2008年7月30日水曜日

アメリカの経済不調について書こうとしつつも書けず小ネタをTumblrに

最近、また更新できていません。
あまり、ビビッとくるニュースがないのもあるのですが、最近のアメリカの経済を見てそれについて書こうとしながら自分には荷が大きすぎて筆が止まっているというのが実際です。

以前読んだ

人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか
1997年――世界を変えた金融危機

などの本には、ざっくりまとめると、90年代後半以降、世界の資本主義のルール(パラダイム)が変わってしまっており、アメリカが財政赤字を膨らませつつ、ドルをうまく操作することと(住宅などの)内需拡大により資金(オイルマネー等)をどんどん吸い込みかつ世界へと投資していくことで、いわば世界のアメリカ銀行として機能する新しい時代になっている(日本もその時代に合わせて行動しないといけない)、というようなことが書いてありました。
私なりに解釈すると、世界が経済(貿易)に関して国家間もしくは国際的に(協定などで)協調していくというよりも、アメリカ銀行という信用機関を通して経済活動を行っているということになります。

ほんとうにパラダイム変換してしまっているのか、それともやっぱりただのバブルなのか、専門家にも賛否両論だと思いますが、少なくとも以前はパラダイム変換側が圧倒的優勢だったもののここ数カ月のアメリカ経済不調でその立場が危うくなりさらに賛否両論になってきているように思えます。

パラダイムは変わってしまったが、変換直後の初期幸福状態が持続するわけではないということでしょうか。

というようなことを最近のニュース記事を交えて描こうとしていましたが、筆が折れたままです。。。

その間も、Tublrの方は気軽に更新していて、こっちの方が更新頻度的には本体っぽくなってきました(笑)。
qog's tumblelog

Tumblr、気軽に引用できるのはいいですね。

2008年7月21日月曜日

フリービジネスの6類型

CNet:今こそ求められるフリービジネスのデザイン・スキル

クリス・アンダーソン氏による、無料で使えるインターネット・サービスのビジネスモデル類型化です。6パターンにまとめられています。

  • Freemium(無料簡易版+有料完全版)
  • Advertising(広告)
  • Cross-subsidies(相互補完)
  • Zero marginal cost(ゼロ限界費用)
  • Labor exchange(労働交換)
  • Gift economy(贈与経済)
オリジナルは、"Free! Why $0.00 Is the Future of Business"。

今となっては、かなりの部分がAdvertisingに収束しつつあるように思えます。後は少数のFreemiumと、WikipediaなどのGift economyでしょうか。
その意味で、インターネットでのAdvertisingでかなりのシェアを握っているGoogleがいかに強いかがわかります。

ただ、インターネット・ビジネスも広い意味でのブロードキャスティングと考えると、それほど革新的なビジネス・モデルだとも言えないかもしれませんね。

とくに無線の世界では、地上波TV局が広告モデルですでに情報配布を行っていますし、個人(ハム)無線では贈与的に情報のやり取りがなされ、BSなどの一部無料放送ではFreemium的ビジネスモデルが採用されています。

今までの"もの"や"サービス"と比較すると対価を払わないインターネット・ビジネスが革新的に見えますが、そもそも情報をばらまくという意味で(無線)ブロードキャスティングと同じ枠組みで考えればそのビジネスモデルも不思議でもありません。

初期のインターネット・ビジネスは、情報を"もの”としてビジネスを捉えようとしていたので失敗したのかもしれません。あるいは従量課金が成立してきていた"通信サービス"として考えていたので失敗したのかもしれません。
今となっては、昔から情報を取り扱ってきていたブロードキャスティングビジネスをお手本とすべきだったことがよくわかります。

2008年7月16日水曜日

8割が死刑賛成という調査の偏り

今は、『「社会調査」のウソ』という本を読んでいます。
いかに巷に溢れる「社会調査」なる統計調査やアンケート調査があやしいものかがよくわかります。メディア・リテラシーを鍛えるためによさそうです。Amazonでの評価も高いですね。

これで思い出したのが、「日本人の8割が死刑に賛成」という世論調査結果です。(またまた、死刑の話ですみません)

他国で拮抗しつつも反対の方が多いテーマが、ある国で8割以上賛成となると、ちょっと訝しいものを感じないでしょうか。まるで中東諸国や社会主義国での得票率のようです。
洗脳されているか、情報操作されているのではないかと感じてしまいます。

これにはからくりがあります。

おそらく「日本人の8割が死刑に賛成」というのは、内閣府が実施している世論調査の結果(下にリンクを列記)だと思うのですが、死刑に関する調査は、最近では5年に1回ほどの「基本的法制度に関する世論調査」の中で行われています。この調査での死刑の賛否に関するアンケート文言は、次のどちらかを選ばせるようになっています(それ以外という選択肢もある)。

  • 「どんな場合でも死刑は廃止すべきである」
  • 「場合によっては死刑もやむを得ない」
「どんな場合でも~べきである」と問われたら強い信念を持つ場合以外はたいてい逡巡します。「場合によっては~やむを得ない」と限定的に言われればそちらの方が賛成しやすいです。
死刑反対論者でさえ、国家転覆等の場合はやむ得ないと考えている人もいるでしょうから、このアンケートではそういう人はその他か賛成側に回ります。

このような質問文言から、賛成81.4%、反対6.0%(平成16年)という数字が抽出されメディアを踊っているわけです。

この調査は、内閣府で実施されていますが、関係省庁が法務省とされているとおり実際の作成は法務省でしょう。

ちなみに、類似の調査は昭和31年から行われているようですが、その頃からはアンケート文言のニュアンスが変わってきていて興味深いです。

1980年ごろまでは、死刑廃止という意見もあるがそれをどう思うか?というようなアンケートの問いかけ方でした。
たとえば、1980年の調査では、「あなたは,重い罪を犯した人の場合でも,実際にはなるべく死刑にしない方がよいと思いますか,そうは思いませんか」というアンケートがあり、死刑にしない方がよいが25.3%、そうは思わないが41.7%です。
圧倒的に死刑賛成ですが、この数字であれば直観的にまだ民意を反映していると思えます。
ちなみに、1967年も同じ質問がなされていますが、なんと死刑にしない方がよいが41.6%、そうは思わないが40.0%でした。

もちろん、最近は厳罰化の流れにあるので、1980年よりももっと死刑賛成が増えているとは思います。

ただ、どうして民意が厳罰化の流れにあるのかは注意深く考えないといけないでしょう。
犯罪や殺人事件自体は戦後ずっと減ってきているのです。
また、興味深いことに、1956年の最初の調査のときから、「最近凶悪事件が多いと思いますか?」という質問に対して76%もの人がそう思うと答えています。1967年も「凶悪事件は増えているか?」に73.9%もの人がそう思うと答えています。1980年は84.1%、1989年は90.8%とたしかにパーセンテージは上がってきていますが、少なくとも1956年当時から凶悪犯罪が増えているという意識は国民の中にあったと思われます。つまり、いつの時代も「物騒な世の中になったなぁ」とみんな獏と感じているということです。

世界が、中国でさえ死刑執行数を減らしているのに、日本だけが増やしているという現実はどう捉えればよいのでしょうか。

あと、死刑は日本の文化だという話もありますが、ヨーロッパでさえも昔は見せしめ的に死刑執行されていました。ギロチンとか有名ですね。死刑は世界中に存在しました。が、今は多くの国で執行しなくなってきています。多くの国は死刑を文化として持っていましたが、それを捨ててきました。
なので、問題の立て方としては、日本はどうしてその文化を固辞するのかですね。
[Update]
自分も偏りのある表現だったかもしれません。より正確には、どうして死刑廃止国は死刑という文化を捨てたのか、日本はその理由に追随する必要はあるのか、でしょうか。

【死刑に関する世論調査リンク】
昭和31年:死刑問題に関する世論調査
昭和42年:死刑に関する世論調査
昭和50年:犯罪と処罰等に関する世論調査
昭和55年:犯罪と処罰等に関する世論調査
平成元年:犯罪と処罰に関する世論調査
平成6年:基本的法制度に関する世論調査
平成11年:基本的法制度に関する世論調査
平成16年:基本的法制度に関する世論調査

リスクと資産のアンバンドル

池田信夫blog:なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか

「リスクと資産をアンバンドルする証券化のメカニズム自体に落とし穴がある」という指摘になっとくです。

もしこの落とし穴をほんとうに防ぐためには、株式を含めた証券化をすべて禁止し資金が必要な場合にはすべて負債で調達するということにすればよいことになります。負債の場合は、リスクが顕在化したときに借り手にとってすべての資産が奪われてしまうため、無責任な借金はできません。

でも、それではリスクの高い事業は実現できなくなってしまいます。リスクが高いものに貸すときはそれなりの高利にしないといけないでしょうから、そうなると事業を行う借り手はお金を借りることができなくなってしまいます。

リスクが高いものにも資金が回るようにした方が経済的発展のためにはよいけれども、そうするとリスクをとらない危なっかしい資金提供が出てしまうというジレンマです。

ただ、素人的には、派生証券はやはりリスクと資金のアンバンドルが直接投資より強まるように思えるので、それに対する対応は有効な気もしますがそうでもないのでしょうか。

XMLの今後の運命

CNet:グーグル、XMLに代わるデータ交換ツール「Protocol Buffers」をオープンソース化

先週のニュースですが、GoogleがProtocol Buffersをオープンソースとしてリリースしています。

Protocol Buffersは、Google内で利用されているというデータ交換の仕組みで、専用の言語でデータ・フォーマットを定義してコンパイルすると、JavaやPython、C++用のクラスが生成され、そのクラスを使ってset/getやserializeができ、ネットワークやディスクに書き出せるというものです。

異なる言語やバージョンでのデータ交換で互換性を持たすために、今まではXMLを使おうという流れでしたが、Googleのようにデータの大量処理が必要なシステムだとXMLでは捌ききれなかったために、新しい仕組みを用意したということのようです。

たしかに、WebServiceしかり、一時期データのやり取りはなんでもかんでもXMLだという時代がありましたが、必ずしも成功していないところがあるように思えます。
XMLを導入することで柔軟性が増すということだったのですが、けっきょく最後はRDBに格納するためにデータ定義を柔軟に変更するなどということには対応できず、また、XML Parserが非常に重たいためにつねにパフォーマンス上の問題を抱えていました。

異なる言語間での相互運用性が高まったのは事実ですが、けっきょく柔軟性は高まらず重たい処理が増えただけで、相互運用性のメリットの割に払われるコストが高すぎたようです。

また、柔軟性を高めるため、XML DBを利用することも重要な検討項目になっていますが、XMLありきでデータの格納もXML DBにしようということであれば本末転倒な気がします。

XMLというツールが目的として一人歩きし、なんでもかんでもXMLということになって自滅していったようにさえ見えます。

そうこうするうちに、Web2.0の世界ではRESTが使われだし、XMLの出番は減ってきているように思えます。
さらには、Webの世界では、単純な"変数=値"を束ねたセットでデータとして事足りることが多く、複雑に対応できるXMLやさらにはRDBでさえ不要だという流れさえ部分的には見えます。

RDBの世界は、データ運用や厳密なACIDの実現で豊富な実績やノウハウがあるため、今後も使われていくでしょうが、なんでもかんでもRDBに入れておくということではなくなっていくかもしれません。
XMLはなおさら使われる場所が少なくなるように思えます。

GoogleのProtocol BuffersやHadoopは、XML(やRDB)ありきではなく、データを適材適所に取り扱うためにどうすればよいかということをもう一度考え直させるきっかけを与えてくれているのではないでしょうか。

2008年7月15日火曜日

自動車のモジュラー化の行方

日本のもの造り哲学』藤本隆宏でも書かれているように、モジュラー化され水平統合されていくエレクトロニクス業界と、系列業者間の擦り合わせで垂直統合されている自動車業界は、一見好対照なイノベーションの起こし方をしている業界です。

中国やインドの自動車業界は、自動車のモジュラー化を進めて低価格な自動車を製造し始め急成長しているようですが、そんな中国の自動車業界に急ブレーキがかかってきているという記事(書籍の紹介)がありました。

Tech-ON:転機に立つ中国の民族系自動車メーカー

中国の自動車が安全試験で低い評価をとったことがきっかけのようです。

自動車のような人の命に関わる製品のモジュラー化はどのようにどこまで進むのかが今注目されていると思いますが、この記事では、中国発でのこの方向の進化には一定の限界があるだろうとしています。それよりも自動車先進国でもっと抜本的なイノベーションが起こり、一気に世界が中国化することの方があるのではないか、という指摘です。

クラウド・コンピューティング現状図解

media pub:クラウドコンピューティング市場/技術を俯瞰する図

media pubにクラウド・コンピューティングを図解した絵が引用されていました。
わかりやすいかというと、うーんというかんじですが。

去年〜今年のbuzzワードとして。

2008年前半におけるクラウンド・コンピューティングというキーワード

ITPro:実録:クラウド・コンピューティング特集記事ができるまで

すでにニュースとして流れている情報ばかりですが。
この第2四半期にクラウド・コンピューティング関連の発表がいかに多くなされたかがよくわかります。
なんでもかんでもこのキーワードに結びつけられる傾向がありますね。
一方で、確実にSaaSやPaaSといった方向への動きがあることも事実です。

資本主義はどうしてヨーロッパで起こったのか

池田信夫blog:資本主義という奇蹟

池田信夫さんの考える資本主義なるものについて端的に述べてありたいへん参考になります。
曰く、

  1. 資本蓄積(Marx)
  2. 近代的個人の成立(Weber)
  3. 財産権の確立(North-Thomas)
  4. 法の支配(Hayek)
  5. 科学と技術の融合(Mokyr)

その上で「神の前で孤独な個人というキリスト教的な自己意識」(つまり、後の2か)がもっともコアとなるとされています。私も同感です。
2と3は密接に関係するとされていますが、4も2と密接に関係します。(明文)法の支配のためには前近代的な部族社会(法ではなく因習の支配する社会)から抜け出した近代的個人が必要です。

5も非常に重要でしょう。高度な技術は西欧以外にも存在しましたが(中国や日本でさえも)、西欧の技術は科学(学問)と結びつくことによって抽象化が可能となり、世界を単純に捉えられるようになることで、漸進的な発展ではなく爆発的な発展が可能になったと思います。

こう整理してきてやはり疑問なのは、
  • 「神の前で孤独な個人」 というのは一神教であるユダヤ教やイスラム教でも発生しえたが、どうしてキリスト教(あるいはヨーロッパ)なのか
  •  科学の発展のためには、ギリシャ哲学という資産(遺産)が非常に重要だったと考えられるが、ギリシャ哲学を知っていたのはヨーロッパだけでなくイスラム圏でもよく知られていた、どうしてイスラムではなくヨーロッパで科学と技術が融合したのか
ということです。

宗教学ではよく指摘されることですが、一つには、ユダヤ教やイスラム教では、教典に非常に具体的な日常のルールまで記述してあって、教典が具体的な生活の指針にもなっていたし、法にもなっていたということがあります。ユダヤ教やイスラム教では、教典に書かれていることはまさに法(近代的なものではなく)だったのです。

それに対して、キリスト教では、教典は神の教えをイエスが伝えたものとなっており、教えは絶対だがそこに具体的に書かれているとおり生活しなければならないというものではなかったと考えられます。そのため、キリスト教では、ローマ法の伝統もあり、教典とは別に教会法という普遍法が整備されていきます。
つまり、世界を抽象化しやすい素養があったということになります。

また、その過程では、極めて排他的に正統を定義し他を排除することで(他宗教のみならず自宗教内分派まで) カトリック教会のヒエラルキーが構築されました。逆に中世以降は、このカトリックに反発する形でプロテスタントや世俗国家が発生してきます。
部族社会から人々を切り離すという意味で、こうしたカトリックやその対抗のプロテスタントや世俗国家という社会のあり方は効果的だったのではないでしょうか。
逆に、キリスト教以外の世界宗教は、部族社会の中に取り込み溶け込むことで浸透していったようにも思えます(もちろん、キリスト教世界にもきわめて非正統的なローカル社会が存在したことが知られていますが)。

部族社会から切り離された普遍世界(当時はキリスト教)を持つヨーロッパに、イスラムからギリシャ思想が逆輸入されてくることで、ヒューマニズム(人文主義)が発生します。以降、普遍的な"人間"というきわめて抽象的な自己表象や世界表象が成り立つようになり、人間を中心にした世界観から科学が発達定着し、技術と融合していったのではないでしょうか。

近代的個人が成立するとは、部族の慣習や細かい宗教教義に囚われることなく、論理的抽象的な世界観をもって自ら違う方へ決断できるということです。今までと違う方へ、大勢と違う方へと判断し、行動し、説得していくことができるということです。

と、ここまで勝手な解釈で、リンク先記事に触発されてざっと思いついたことを書きなぐってみました。

近代がどうしてヨーロッパから発生したのか、資本主義がどうしてヨーロッパなのか、ということは多くの議論を読んでいる非常に興味深いテーマです。「私たちはどこから来てどこへ行くのか」につながるテーマでもあると思いますので、けっして最終結論が出ないようにも思います。

2008年7月14日月曜日

社内SNSのWeb進化論的導入事例

社内SNS導入成功事例が当事者の方から分析されています。

ロサンゼルスMBA生活とその後:社内SNSに関するウェブ進化論的考察

『Web進化論』的な事業を大企業内で実施できたのではないかという自己評価で、読んでいてたいへん参考になりますし、刺激にもなります。

大荒れの私的録音録画小委員会

ダビング10は開始されましたが、あいかわらずもめているようです。
延期されていた文化審議会 著作権分科会の私的録音録画小委員会の第3回会合が行われたようです。が、権利者とメーカの意見は真っ向対立。

指摘されているように、消費者の観点はすっぽり抜け落ちているようです。
このままだとまた、官僚による妥協案が調整されて、本質的な部分で前進することなくものごとが進みそうです。

TechOn:「パンドラの箱を開けてしまったようだ」,大荒れの私的録音録画小委員会

TechOn:「きちんと議論するのが先」,JEITAが私的録音録画補償金に対する見解を説明

2008年7月12日土曜日

AppleTVがUpdateされMobileMe対応(パスワード対応)

日本ではほとんど評価されていませんが、自分はAppleTVの大ファンです。

引っ越しを契機に大型TVに買い替えました。同時にAVアンプとスピーカー(3.1ch)も買いそろえました。
これにAppleTVをつなぐと、

  1. iTunesで買った/取り込んだ音楽をAVアンプ+スピーカーから聴くことが可能です
    ちなみに、あまり知られてませんが、MacのiTunesからAppleTV経由で出力するよう操作することが可能です(素直にAppleTVのリモコンを使えばよい話ですが)。
  2. iPhotoに取り込んだ写真を大型TVでスライドショートして見ることが可能です
  3. iMovieで作成したムービーを大型TVで見ることが可能です
とくに、2と3は、小さい子供のいる家庭だと家族にたいへん喜ばれます。Macを覗き込んでみるよりも、大型TVでみんなで見た方がそりゃあ楽しいです。思った以上に。スライドショーに付ける音楽もスピーカーから出せますしね。

前置きが長くなりましたが、こんなAppleTVがMobileMeの登場とともにUpdateされました。

で、今までも、Wireless LAN+インターネット経由で、.Macにあげた写真や動画を見ることができたのですが、対象はパブリックなコンテンツだけでした。つまり、パスワードをかけたコンテンツは見ることができませんでした。
家族の写真などをパスワードかけて.Macにあげていると、PCやMacからは見えたのですが、AppleTVでは見れなかったわけです。

で、今回のUpdateはセキュリティパッチがメインのようなのですが、なんとMobileMe対応として上のようなパスワードをかけたコンテンツも見ることができるようになっているではありませんか。
これは、.Mac(MobileMe)+AppleTVユーザには非常にうれしい知らせではないでしょうか。

どこにもこの情報を見つけることができなかったので、ここに書いておきます。

内閣官房発の有害情報共有ネットワーク機関

政府のIT戦略本部の下に置かれた「IT安心会議」で、官民協力のもと違法情報や有害情報を共有するためのネットワークを作るということが発表されたようです。

CNet:ネット上の違法・有害情報を共有--官民ネットワーク機関が創設へ

あまりニュースになっていないようですが、メモとして書いておきます。
先日のネット規制法でのフィルタリング業者などとどのような関係になるのでしょうか。

3Dバーチャルワールドのいくつかの発表

先週は、3Dバーチャルワールド系の発表がいくつかまとまってありました。

まず一番大きかったのが、GoogleがSecond Life的なバーチャルワールドを始めたというニュースです。

TechCrunch:Googleがバーチャルワールド「Lively」を始動

まだ部屋の中と間を行き来できるだけで、屋外は存在しないそうです。また、リンデンドルのような通貨もありません。

次に、SecondLifeがIBMと相互運用を開始したというニュースがありました。

TechCrunch:IBMとセカンドライフが相互運用を発表。しかし、バーチャルワールド同志の橋渡しは不正解だ

SecondLifeは外の世界に閉ざされたクローズドな環境であることが指摘されていましたが、バーチャルワールド間での相互接続の第一歩が踏み出されました。
ただし、TechCrunchの記事で指摘されているとおり、SecondLifeがオープンにすべきなのは、他のバーチャルワールドに大してではなくて一般のWebに対して、つまり、一般のWebコンテンツをSecondLifeから利用できたりSecondLifeを一般のWebの中に埋め込んだりできることなのかもしれません。

一般のWebとの連携という意味では次の記事で紹介されているVivatyの方が進んでいるのかもしれません。

TechCrunch:Vivatyがブラウザ上での3Dを実現。まずはAIMとFacebookから

実際に、今年バーチャルワールドに対する投資も増えているようです。

TechCrunch:バーチャルワールドに大ブーム―今年だけですでに$345Mの投資

SecondLifeは一時期の話題性を過ぎ去って加入者数や利用者数が伸び悩んでいると聞きますが、バーチャルワールド自体についてはまだまだ投資が続いているようです。

また、Googleがバーチャルワールドに進出したことに伴い、次にGoogleが狙うのはどこだ?というおもしろい分析がなされています。

media pub:Googleの次の進出分野,「仮想世界」に続いて「音楽」か「旅行」か「車」か?

2008年7月9日水曜日

iPhoneまであと3日なのに

iPhoneの日本発売まであと3日、まさかのX02NK(Nokia N95)買いをしてしまいました。


元々業務用で使用していた携帯の充電池がもたなくなってきていて(見た目も薄汚くなってきたし)、そろそろ買い替えたいなぁと考えていました。

そこに、日本でのiPhone発売のアナウンスがあったので、これはもうiPhoneでしょとiPhoneを買う気満々でいました。
なにせ、家ではMac使いで、AppleTVも、.Macもフル活用していて、去年のジョブズのiPhone発表プレゼンに聞き惚れていた人間だからです。

ところがiPhone買おうと思ってからいろいろライバル製品を調べだすと、こちらもなかなか魅力的。そんなこんなでずっと悩んでいました。

そして、なんとiPhone出る3日前にSoftbankのX02NKを買ってしまいました。

X02NKは、海外ではNokia N95と呼ばれ、2006年に発表され2007年第1四半期に出荷されています。つまり、iPhoneより早く出ています。
スペック的にはiPhoneにまったく劣っていません。むしろ、すでに3G対応でGPSを備えており、カメラもオートフォーカス付きの500万画素のカールツァイスレンズで、優れている部分もあります。ただ、あのするするっと動くユーザ・インタフェース、そしてディスプレイの大きさでは完敗です。見た目もやっぱりiPhoneの方がいい(でも、N95も他の携帯に比べて見た目はかなりいいと思いますが)。

Mac+.Macユーザとしては、実はiPhoneで一番いいなぁと思っていたのがMobileMeとの連携機能です。記事を読む限りはプッシュ的にデータが同期されるようで、これはいいなぁと思っていました。
あとは、今後いろいろ楽しそうなアプリが出てきそうだなぁというのも。

では、どうしてNokia N95にしたかというと、最大のポイントは片手で操作しやすいかどうかです。自分は、携帯は(通話以外は)歩きながらか電車の中で使うことが多く、iPhoneも片手でも操作できるのでしょうが、どうしても両手が塞がってしまうイメージがありました。その点Nokia N95は片手で操作することが前提になっています。
あとは、iPhoneは初回出荷数が少なそうで、いつ手に入るのかもよくわからなかったからというのもあります。もう、今の携帯の充電池は弱弱なのです(一回話すだけで目盛りが減る)。
さらには、WirelessGateがX02NKに対応したというニュースにも影響されています。これで、月800円で山手線少し外側くらいまで無線LANつなぎ放題になるからです。

というわけで、今はN95をカスタマイズ中。
 
実は、N95は、既に海外ではN95 8Gというマイナーバージョンアップ版が去年末に出ていて(マイナーと言いながらメモリが増えるだけでなくディスプレイも大きくなっている)、さらにはN96が今年中に出るというニュースが流れています。N95自体が日本で出るまでに1年以上かかっているので、これらがいつ日本に出てくるのか、すぐ出てきたらどうしようというのがN95を買うのを躊躇する原因となっていました。
こればっかりは今後どうなるかわかりませんね。でも、もう買ってしまいました。

毎日.jpが自社広告だらけになっているそうです

ITPro:「毎日jp」が自社広告だらけに、ネット上に深いつめ跡残る


英文サイト「毎日デイリーニューズ」(Mainichi Daily News)の「WaiWai」というコーナーで低俗な記事を載せ続けていたとして批判されている毎日新聞ですが、なんと毎日新聞の運営する毎日.jpから事実上広告が消えてしまっている(自社広告のみ)ようです。

情報をアグリゲートして広告で儲けるというビジネス・モデルが定着しつつある中、広告を集めるという意味で自社のブランドイメージがより重要になってきていますね。

自分は京都出身なのでこのニュースを聞くとKBS京都(近畿放送)という放送局の倒産を思い出します。1994年、KBS京都はイトマン事件に巻き込まれて倒産してしまうのですが、ちょうどその頃、KBS京都にチャンネルをあわせると、テレビコマーシャルがすべて自社広告になっていました(あと、ゴールデンタイムに「宇宙戦艦ヤマト」の再放送していたり)。何月何日になんという番組を放送しますとか、何月何日にKBS京都でこういうイベントが行われますとか、そういうCMばかり。当時、ああもうこの放送局ダメなんだなぁと思ったものでした。ただ、その後倒産したものの廃局にはならず現在まで放送を続けていますが。

毎日.jpは毎日新聞社にとって一事業なのでKBS京都のようにはならないと思いますが、今後どこまで影響が及ぶでしょうか。
(記事にも指摘されているとおり、デジタルメディア担当者がその後昇格したりしていて、事件後の対応もよくないようです。)

2008年7月8日火曜日

韓国での市民騒動

韓国BSE騒動、政権批判へ変質・・・政治の力学とメディア

司法とメディアの馴れ合い」でも紹介したLivedoorのPJNewsに韓国のBSE騒動について、"マスメディアが煽る市民暴動"という観点からの記事がありました。

アメリカ産牛肉の輸入反対を学生がネットで訴え始めたところ、労組や宗教団体が関わるようになりすごい規模の抗議運動にふくれあがっています。いまやBSEは脇役で単なる政権批判運動になっていっているようです。

PJNewsの記事では、日本の60〜70年代の状況もひきつつ、マスメディアによって煽られる市民暴動について述べられていますが、もともと今回の騒動の発端は、PJNewsと同じような韓国で強い市民記者によるネット報道だった側面もあります。マスメディアだけでなく市民報道もまた今回の問題には関わっているのではないでしょうか。

一般市民の間にはつねに鬱屈した情動がうごめいていて、景気がいいときにはいろいろな形でガス抜きされますが、社会的に沈んだ雰囲気状況でメディアに憎悪や嫌悪が流れるとそれにのっかって一気に噴出するように思えます。

もちろん不正を暴いて指摘することや弱者の主張を取り上げることはメディアの重要な機能の一つですが、タイミングややり方を誤るといろいろな問題も生じてしまいます。その意味でも、メディアというのは責任の重い難しい役割です。

医療ミスが刑事罰に値するなら司法ミスはどうなのでしょうか

日曜深夜に日本テレビのドキュメンタリーで"富山冤罪事件"が取り上げられていました。

警察が自供を文字通りでっち上げ、被告は検事や裁判官に無罪を主張したにもかかわらずその後警察に「もう調書と違うことは言いません」と一筆書かされ、供述調書通りに裁判で有罪となり、3年弱懲役刑を服したというものです。
出所後、別件で逮捕された犯人がこの事件を自供したためより大きな問題となり、その後の再審で無罪判決を受けるものの、既に服役した後で(当然職も失い)、かつ再審ではなんら真実が明らかにされることなく警察が証人に呼ばれることもなく事務的に手続きされただけだったというものです。

富山県警は捜査に落ち度はなかったとして処罰等は一切なし。もちろん、立件した検事も判決した裁判官にもなにも処罰なしです。
その後明らかにされた捜査内容をみると、明らかにアリバイがあり数々の状況証拠の食い違いがあったにもかかわらずなぜか立件されていたのでした。素人目にみても杜撰なミスにもほどがあります。

で、少し前に「医療ミスの刑事告訴について」を書きましたが、医師がミスにより患者を亡くしてしまったときに刑事罰を受けるのであれば、警察や司法関係者には、ミスで無罪の人に刑罰を受けさせてしまったときになんらとわれることはないのだろうか?と素朴に疑問に思いました。富山の事件では国選弁護人の対応にも問題があるようにも思えます。

それこそ冤罪死刑になった場合は、業務上過失致死なんじゃないでしょうか?

なお、現在、賠償請求での告訴が検討されているようです。

規制のパラドクスと企業文化

オープンとクローズドを使い分けるGoogle」で、Googleの株式会社としてのあり方を少し書きましたが、以前、池田信夫blogにも株式会社についてのエントリがありました。

池田信夫blog:株式会社の本質

また、最近のエントリで、

池田信夫blog:Web2.0はもうからない

というものもあり、そこでは、この第2四半期にアメリカでIPO件数が30年ぶりに0件になったのはたまたま不景気だからではなくてもっと本質的な問題で、インターネットでの儲け方(monetize方法)が固まりつつあり、しかもそれがGoogleをはじめとする数社に握られだしているため、起業のゴールはIPOではなく買収によるexitになりつつあるのではないかという指摘がなされています。

起業/企業のあり方は刻々と変わりつつあります。

規制で透明性を高めようとすると逆に直接投資が減る?」では、株主のための透明性を規制で高めることが株主を遠ざけるというパラドクスがあるかもしれないと書きました。
かつて労働組合が強くなりすぎて結果企業は労働組合の言うことをそのまま聞く(福利厚生を厚くする)かわりに労組に加われる正社員を減らしていったように、株主のための規制が強くなりすぎると企業はそこを避けるようになるかもしれないし、消費社保護が規制でいきすぎると企業はそこからもなんらかの形で逃れるようになるのかもしれません。

日本でも、

isologue:今時のインディーズ映画制作と金商法(規制のおさらい編)


に、ちょっとお金を調達して映画を撮りたいというときにも金商法の対象となるようになってしまって非常にやりづらいということが紹介されていました。これも透明性を高めて詐欺などをなくそうという施策が別のところに弊害をもたらしているというパラドクスです。

制度設計の難しさですね。

話は戻って1つ目のエントリで、Googleが設けたChief Culture Officerというのはやはり興味深いです。

企業とは何だろうと考えるときに、提供するサービスや技術、経営者、株主や債権者、従業員などなどいろいろあると思いますが、ここにあげた要素はすべて代替可能と言えます。ところが、企業文化というものは変わりにくいものとしてあるようです。(もちろん、カリスマ経営者が牛耳っていて、辞めたとたんがらっと変わってしまうような企業もあるとは思いますが。)
経営者にとっても、企業文化をいかに醸成するかは大きな課題でしょう。

Googleが自社の企業文化にこそ企業の価値(会計的な意味ではなくて)をおいている証拠ですね。どれだけ成果を上げているのか(いないのか)は不明ですが。

2008年7月7日月曜日

オープンとクローズドと使い分けるGoogle

更新中断している間にあったGoogle関連の話題を中心に。

Googleはオープンな企業だと思われているけれども、実際には技術上も企業上も重要な部分はクローズドに保った非常にしたたかな企業だと言えます。

たとえば、携帯プラットフォームAndroidやOpenSocialなどの活動をみていると、Googleはすべてオープンな企業のように見えますが、実際には検索アルゴリズムやサーバの仕組み等はけっしてオープンにしていません。最近でこそ論文等を通していろいろ内部がわかりつつありますが、自社のCompetencyとなる部分については情報箝口令をひいていると言ってよいでしょう。
逆に、携帯やSNSなど遅れて参入したエリアについては徹底してオープンにし、既存企業にプレッシャーを与えています。

そういう意味では、逆にGoogleに攻め返す最良の手段は、オープンな検索エンジンなのかもしれません。一定のルールで外部からも自由にアルゴリズムをくめるような検索エンジンを出せばGoogleをぎゃふんと言わせられるかもしれませんね。

まずは、最近、少しずつGoogleの内側が公開されていっている点から。
1ヶ月前の記事ですが、Googleのデータセンター内部についての記事がありました。

CNET:グーグルデータセンターの内側--明らかにされた独自性

非常に興味深い内容です。

Tech-ON:Google社の基盤技術「MapReduce」についてエンジニアに聞く

では、Hadoopの仕組みの一つであるMapReduceについてのインタビューが出ています。

また、以前書いた「巨大システムでのプログラム修正(Googleでは年に450回だそうです!)」では、Googleの検索アルゴリズムがどうメンテナンスされているかが明らかにされていましたが、

CNET:検索サイトの舞台裏--グーグル幹部が明かす改善手法

という記事では、ユーザによって少しずつ見せ方を変えて、どれが一番ユーザにとってよいかをテストしながら運用していく方法が紹介されています。

Google内部事情とは違いますが、Google Geers改めGeersに関して、単純にオフラインでもWebアプリケーションが操作できるようになっただけではなくて、ブラウザが新たなOSになっていく(すべてがブラウザ上で動く)という状況を見据えての戦略的展開ではないかという指摘がありました。
とくに新標準であるHTML5を、ブラウザが実装する前にGeersで提供してしまって、(ブラウザを壱から開発することなく)そのエリアの先鞭を付けようというものです。

TechCrunch:新プラットフォーム戦争に備えよ。Google GearsはMicrosoftの利益を直撃する

一方で、Googleのオープンソース戦略には非常にきわどいものがあるという指摘もありました。

CNET:グーグルのオープンソースは綱渡り--クリス・ディボナ氏インタビュー

Googleはオープンソースの恩恵をたくさん受けているのに、オープンソース業界への見返りはほとんど行っていないという批判です。
オープン携帯プラットフォームAndroidで採用されているJVMも標準ではなく独自なものだという批判もありました。


また、企業運営という意味でも、Googleは種類株の仕組みで創業者3名に優先的に議決権を割り当てて50%以上を確保しています。つまり、市場という観点からみてもGoogleは、極端な言い方をすれば、公開(オープン)企業よりもオーナー企業の方に近いとさえ言えます。

日本Google社長の村上さんも、「株主より企業理念を優先する」とはっきり言っていて明快です。

池田信夫blog:グーグル:迷い込んだ未来

つまり、いかに見た目上オープンに見えるようにしつつ、自社に有利なところはクローズドにいくかということに関して、非常にしたたかに行動していることがよくわかります。
当然のことですが、何でもかんでもオープンにしたり、世の中の流れに乗っかってしまったりする必要はないということですね。

2008年7月5日土曜日

データベース的時代における工学的帝国化

うう、、長文書いたら消えてしまった。。。よって覚えている範囲のみはしょって。

Tumblrで、「フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる - 情報考学 Passion For The Future」を紹介しましたが、以前に池田信夫blogで、"Is Google making us stupid?"という記事が紹介されていたのを思い出しました。

グーグルでバカになる?

いずれもインターネット時代のデジタル化が人間の記憶や思考に影響(それもマイナスの)を与えているのではないかという指摘です。

まず、デジタルで読んだり書いたりすることに比べての本を読むことやノートに書くことについては「読み書きインタフェース」で少し書きました。

また、"ググりバカ"については「Googleが奪う本質を考える力に膝を打つ」に書きました。

今回はそれ以外のもう少し幅の広い話について。

インターネット時代、情報の摂取は非常に広範囲かつ容易になりました。今までは眼に留まることのなかったようなマニアックな情報まで入手可能です。その反面、一定のパターンの情報のみが、つまりは人気のある情報ばかりが大量に消費されるようになっていることも事実です。
インターネットでは通常、Googleなど検索エンジンやニュース・アグリゲータなどなんらかのサービスを経由して情報を取得することが増えたわけですが、そこでの情報は、一定のアルゴリズムで優先順位を処理されたもので、多くの場合SEOされたか人気の高いものになります。こうしたものに群がることが増えたため、より本質的で深い記事が埋もれてしまうことも起こりえる状況になってきています。

また、ネット上にある記事は断片的で、リンクで次々飛んでいくように読むことが多いため、じっくり文脈をふまえての情報の読み取りにはなりにくいです。

かつて、 東浩紀さんが『動物化するポストモダン』で「データベース的」という概念を提示しました。当時は、IT分野に身を置く人間からみてその用語の使われ方や図解に違和感があり,真剣に読んでませんでしたが、今となっては東さんとは少し違った意味で「データベース的」な時代になってきていると言えるのではないかと考えています。

 東浩紀さんの『動物化するポストモダン』については、
2003年6月26日(木)多文化ゼミ
宮台・東対談 〜『動物化するポストモダン』を読む〜

東さんの「データベース」概念は、ボードリヤールのシミュラークル論への対概念として提示されました。

自分の考える「データベース」というものは、工学的に情報を断片化し、アクセスしやすくする情報とともに格納した情報源というような意味で、もっぱらそのような情報源からのみ情報を取得するような状況を「データベース的」と考えています。
必ずしもシミュラークルと対になりません。 すぐ後に述べるとおり、「歴史」などと対になります。

本を読むことが主要な情報源だった時代、本を読むことはすなわち、本の論理展開の文脈と、自分の思考の文脈と、本の向こう側の著者の思考の文脈が交差しながら情報を取得することでした。それぞれの文脈は大きな物語を成し、他の物語と接続されていきます。それら物語の集合は歴史となり,伝統となっていきます。
対立する文脈と遭遇すると、それはイデオロギー闘争となり、しばしば社会的対立にもなりました。そうして歴史も動いていきました。

一方でインターネットが情報源の時代、工学的に処理され、大きな物語という文脈からは切り離された情報を取得していくことになります。その情報は一定のアルゴリズム処理や統計処理によって意味論的文脈からは切り出されて提供されます。したがって、大きな物語と接続されませんし、イデオロギー闘争にもなりません。
人々が工学的に処理され抽出された情報に従属し,それを垂れ流し反応し消費するだけになると、東さんの言うように「動物化」された社会となるでしょう。実際にその傾向も強いです。
方や、たまに大きな物語と接続されると、大きな論争となります(炎上)。 といっても論争程度ですが。

メディアの変遷と関連してまとめてみると、

  • 文字を保管するものが無かった時代…口頭伝承による社会化
  • 紙はあるが印刷が無かった時代…知識の抽象化と知識の独占による帝国化
  • 印刷されるがデータベース化されていない時代…知識の大衆化と知識の物語(イデオロギー)化
  • データベース的時代…知識の断片化と工学的帝国化
のようになるのではないかと考えています。

20世紀までは、知識を物語と接続することで、大衆をも巻き込んだ国家闘争が繰り広げられていたのですが、インターネット時代では知識はデータベース化され、情報の工学を支配するものがそのバーチャルな帝国を作り上げていくのではないでしょうか。

2008年7月4日金曜日

ネット規制法成立

更新を中断している間に、2008年6月11日、ネット規制法案が成立しました。
1年以内に施行となります。

ITPro:青少年にはフィルタリングを——有害サイト規制法案が成立


保護者の判断によりフィルタリングの解除は可能で、フィルタリングのデータベースは民間で作成するということになっています。

早くも、ネット事業者や民放連は"表現の自由"から反対を表明しています。


それに対してか、総務省は、多くの国民がフィルタリングに賛成しているというアンケート結果を公表しています。

CNET:40.9%がフィルタリングサービス加入の義務化に賛成--総務省調査


民間での自助努力を議論する暇もなくあっという間に成立してしまったという話です。

NBonline:“骨抜き”ネット規制法でも、業界と溝 −国家管理にマイクロソフト、ヤフー、楽天の隠せぬ不安

以前に書いたこのフィルタリング法案についてのエントリは次のとおり。
ネット規制法案まとめ:フィルタリングと情報アクセスの自由
フィルタリング実現のためには

医療ミスの刑事告訴について

かなり古いのですが、「医療費のコスト削減策はこんなにある 」という森永卓郎さんの記事に、おそらく医療関係者と思われる方々からの大量のコメントがつきました。

森永さんは、医師の数が足りないのであれば町医者と最先端医療では求められるレベルが違うのだから一種二種のように資格を分けて医師になりやすくすればよいのではないか(そして診療費も差をつければいいのではないか)という提案でした。

それに対して、「お前は準医師みたいな(質の低い)のに診てもらいたいか?」というようなコメントがたくさんついたわけですが、これは一般人の感覚とお医者さんとでずいぶんずれているなぁと思っていました。私の感覚では、風邪ぐらいなら二種医師に診てもらってもぜんぜんいいのですが。まあ、書き込んでいるお医者さんが特別なのかもしれませんが。

すると、この森永さんの意見を擁護した小倉弁護士のblogに今度は舞台が移って、小倉弁護士 vs お医者さんで議論が沸騰しました。もう1ヶ月くらい続いています。

その一連の小倉弁護士の話で、「なるほどなぁ」と思ったのがあったのでここに紹介します(これがこのエントリのメインです)。

自分は、産婦人科医が帝王切開手術に失敗して死亡させたことが刑事告訴された事件について、民事で賠償請求なら分かるけれども刑事とは厳しいなぁと思っていました。そのお医者さんも一生懸命手術を施したものの、たしかに一部に対応がまずい部分もあったかもしれず、残念ながら患者さんを死亡させてしまった。そういうケースで刑事告訴は厳しいなぁ、ますます医師のなり手が減るかも、と思ってしまいました。そういう批判的報道だったから、それにそのまま流されてしまったのでしょう。

ところが、小倉さんのblogで、命に関わるような仕事は医者だけじゃなくてトラックの運転手も同じだ、トラックの運転手が人を轢いたら業務上過失致死で刑事告訴され、さらに最近では危険運転致死傷罪にとわれたら実刑で即交通刑務所入りなのに、どうして医師が業務上過失致死罪で告訴されることがそんなにおかしいのか、という話がありました。

la_causette:刑事罰は業界を崩壊させるのか

なるほどなぁ、おっしゃるとおり、と思いました。
もちろん、お医者さん側が精一杯やった中での事故であれば、 それを主張すれば執行猶予はつくだろうし、きちんとした医師であれば社会的地位もそれなりに維持されるでしょうから、小倉さん曰く、医師がやるべきは刑事告訴そのものの否定ではなくて、そうした弁護支援活動や裁判後の被告医師の取り扱いの公平さへの取り組みだろう、と。
なっとくです。(もちろん医師にまったく非がない場合は起訴もされないでしょうし)

ただ、交通事故は車に乗っている限り国民全員にリスクがあるけれども、医療事故は医師か関係者にしか起きえないリスクであって、そこを同じ天秤にかけてもいいのかというのは少し疑問としてあります。

障害ありきではなく障害をどう取り除くかが重要:"ガイジン"の仕事術紹介

ちょっと前ですが、日本人とは違う"ガイジン"のビジネスの進め方のおもしろい紹介記事がありました。

NBonline:第27回:日本人とガイジンの発想はどこが違うんだろう?

その1:やらなければ、何もできない
その2:すぐやる、後回しにしない
その3:シンプルに考える
身に染みる思いです。
詳しくは記事をどうぞ。

また、同じ人がこのことについて最近の具体例を提示してくれていて、再びなるほどなぁ、という感じです。

NBonline:第28回:オリンピック水着騒動に見た、国際ルールを超えるチカラ

とても大きな障害があるけれども、条件さえ整えば自分の会社の技術やスキルで実現できるものだし、それは顧客にとっても大きなメリットがある、ならばやるしかないだろうということでしょうか。

実現されるものが顧客や関係者にとって大きなメリットがあるのであれば、障害がある(時間がない、ルールで禁止されている)から実現するものをどう変更するかに頭を絞るのではなく、その障害をどうすれば取り除けるかに頭を絞るべきだというのはたしかにそのとおりだと思います。

2008年7月3日木曜日

メディア企業が運営する番組ストリーミング配信

もう1ヶ月前の記事ですが、

media pub:インターネットTVの本流は,YouTubeかHuluか

というのがありました。

Huluは、米NBCと米News Corpが共同で設立した動画ストリーミング配信サイトで、当然合法動画コンテンツのみを広告付きで配信します。
これが意外に健闘しているそうです。
ただ、残念ながら、日本から視聴することはできません。

最近、放送法改正に伴い、もうすぐNHKがオンデマンドサービスを開始するようです。ただし、NHKは広告を取れないため有料サービスとなるようです。

ITPro:「4年後の単年度黒字目指す」,NHKオンデマンド室副部長がケーブルテレビ ショーで講演 

日本でもHuluのような取り組みがあればよいのですが。

規制で透明性を高めようとすると逆に直接投資が減る?

融資を中抜きしたら投資」で、企業の透明性を高めてなんらかの形で直接投資に結びつけていかないとと書きましたが、ことはそう簡単ではないなぁと思わせる記事がありました。

TechCrunch Japanese アーカイブ » ベンチャー投資の「危機」

Tumblrにも書きましたが、TechCrunchの記事で、今年の第2四半期は、30年ぶりにベンチャーIPOが0件だったというものです。

もちろん、一番の原因は経済環境全体の悪化なのでしょうが、それとともにSOX法の影響というものもありました。

3年前に比べて、ベンチャー支援された企業が「株式を一般公開したいと考えていいない」と思っているベンチャー投資家達のため 

株式での資金調達とするとSOX法などめんどうなことが増えるのでベンチャー企業が株式を一般公開しなくなるだろうと考えている人は投資家にもいるようです。

株式投資にとって企業の透明性は非常に重要でしょうが(情報が希少とならないよう)、規制で透明性を高めようとすると逆効果になっているというパラドックスになってしまっています。

極端をイメージしてアイディア出しする

更新止まっている間に、アイディア出しのためのおもしろい手法が2つほどあったので、それを紹介します。

Biz.ID:「今までにないアイデアを出さなきゃ」をかなえる「エクストリーム・ゴール」
Biz.ID:「はてなタクシー」に学ぶ——新事業アイデアを見つける方法 

「エクストリーム・ゴール」は、ブレインストーミングしてもありきたりのアイディアしか出てこないようなときに、あり得ないほど目標値を高めてみてそれが実現したときにどのような状況になっているかをイメージし、そこから方策のアイディア出しをするというものです。けっこう効果出るんじゃないでしょうか。

「はてなタクシー」は、フレドリック・へレーン氏の『スウェーデン式アイデア・ブック』からのもののようで、対象のサービスや活動の基本要素を書き出し、そのうちの1つが無かった場合をイメージする。たとえば、タクシー運転手が車の運転できなかったら、逆にどのようにすればタクシーサービスが成り立つだろうか、というようなことを考えてアイディア出ししていくものとなります。

いずれも、現状あり得ない極端な状況を具体的にイメージして、どのようにすればそのような状況でのサービスや活動が可能となるかにアイディアをしぼっていくものと言えるでしょう。

アイディア出しに行き詰まったときによさそうな手法です。

2008年7月2日水曜日

音楽ダウンロードの現状

nikkei TRENDY net:レディオヘッド以降の配信戦略

音楽のダウンロード配信の現状。まだ模索中というところでしょうか。
レディオヘッドのダウンロード配信では、約2億円の収益があったと予測できるそうです。レーベルを通さないのでそのうちのかなりの割合が本人たちの手元に入ったはずです。

また、音楽オンライン販売サービスで、iTunes、Wal-Mart、Amazon、Napsterなどに続いてRhapsodyも非DRMのMP3販売を開始したそうです。
TechCrunch:Rhapsody、DRMは死んだと認める―MP3ストアを開店

いよいよ音楽のビジネスモデルが変わってきているようです。

日本版フェアユースの検討は先へ進むでしょうか

更新していない間にも、著作権関連でいろいろ動きがありました。

まず、ダビング10については、補償金問題について文部科学省と経済産業省で調整が行われ、Blu-rayには課金するが、HDDプレーヤや携帯プレーヤには課金しないという妥協案に落ち着きました。(だったら最初から協議調整しとけよ。。。
CNET:ダビング10の補償金問題、Blu-rayに課金の折衷案で文科省と経産省が合意

ダビング10の開始も7月5日となったようです。
CNET:ダビング10が7月5日にも解禁--開始当初は補償金なし 

それよりも、内閣の知的財産戦略本部が「知的財産推進計画2008」を決定して、今年中に、検索サービスのサーバを国内に設置可能できるよう法的措置を実施することと、日本版フェアユース規定の導入を検討することを通知しました。

Tech-On:「知的財産推進計画2008」,検索サービス適法化や「日本版フェアユース」の検討を求める

日本は著作権法の関係でいまだに検索サービスを国内サーバに設置できません。インデックスが著作権法違反になるとされています(そんなバカな。。。でも、ほんとう)。

より重要だと思われるのが、日本版フェアユースの検討です。
ネット法の動き」でも紹介した通り、一部からは政策提言も出ていますが、フェアユースがないと法律に縛られて、日本で新しいビジネスが起こりにくいどころか、アメリカで次々と登場してくる新しいサービスやビジネスモデルにもついていけなくなります。

一方で、フェアユースの導入にも問題はあって、十分な判例の蓄積がないと逆に片っ端から訴えられることになりかねないという指摘もあります。
池田信夫blog:フェアユースより「フェアコピーライト」を

きちんと機能しうるフェアユースの検討をぜひ進めてほしいです。 


[追記]
 無名の一知財政策ウォッチャーの独言:第103回:知財計画2008の文章の確認

アジャイル開発とシステムテスト

IBMのWebSphere開発がウォータフォール型からアジャイル型に変更されたそうで、どのようにアジャイル型に移行していったか、またどのように反復開発を行い、システムテストをどのように実現していったかについての詳細な記事が出ていました。

すでにアジャイル開発されている方には当たり前のことなのかもしれませんが、個人的にはこれはたいへん参考になります。

アジャイルとシステムテストの新たな関係(前編)
アジャイルとシステムテストの新たな関係(前編)

融資を中抜きしたら投資

最近、池田信夫さんと磯崎哲也さんのblogで、投資と融資の違いの議論があって参考になったので紹介しておきます。

isologue:「ITゼネコン構造がイノベーションを阻む」(池田氏、月刊アスキー記事)について
池田信夫blog:いい加減さの最適化
isologue: 「ベンチャー企業」のための資金調達入門
池田信夫blog:ウェブの食物連鎖

池田信夫blog:「中抜き」の経済学
isologue:投資と融資の違い
isologue:ベンチャー企業とMM理論と上限金利規制

経済学的には負債(融資)と株式(投資)は同じでどちらもInvestment(投資)だと。
会計的にも、資金を出す側からすると融資も投資も同じく投資(固定資産)に分類される。
ただし、資金を調達する側からは融資は負債に投資は資本に分類される。

では、違いは何かというと、

  • 負債による金利には税金がかからないが、株式の配当には税金がかかる
  • 破産すると、負債の場合は債権者が残りの資産の権利を得るが、株式の場合はパーになってしまう
  •  負債の場合は返済さえすれば比較的自由に経営できるが、株式の場合はつねに投資家の眼にさらされる
  • 日本では上限金利規制があるために、資金を出す側の儲けに上限があるが、株式の場合は融資した企業の企業価値(株価)があがっただけ儲けとなる
となると、たしかにベンチャーにとってはもともと赤字だし破産したら何も残らないので負債でも株式でもどっちでもいいわけですが(実際には株式が多いと思いますが)、融資を受けられるような実績のある企業にとってはメリットが多いように見える負債の方がよいということでしょうか?
議論はベンチャーのことが中心だったためその辺がよくわかりませんでした。

ただ、企業に関する情報が希少な時代には、銀行が投資家の資金を仲介して企業に投資(融資)する方がよかったが、本来であれば直接投資家がリスクをとる形が望ましいというのは、なるほどと思いました。

問題は、日本人はアングロ=サクソン系と比べるとはるかにリスクをとらない国民性を持っているようにも思いますので、それをふまえた上でどう中抜きに移行していくかなのかもしれません。

直感に過ぎませんが、リスクが無いところにイノベーションも成長も無いように思えます。そういう意味では、20世紀末の日本の経済成長の裏では、見えないところでリスクをとっていたのかもしれません。ただ、国民に見えてなかっただけで。

今後もイノベーションが起こっていくためには、なんらかのかたちでリスクをとる必要があると思われます。そのとり方が、グローバリズム共通のものとなるのか新しい日本的なものとなるのかどうなのでしょうか。

2008年7月1日火曜日

司法とメディアの馴れ合い

現時点の裁判員制度の問題点」では、警察-検察-裁判所の馴れ合いが問題となっていることについて書きましたが、この馴れ合い連鎖はマスメディアにも及びます。

多くの場合、マスメディアは、警察等からリーク情報が欲しいため、また記者クラブでの付き合いを円滑に運ぶため、 あとは迅速な報道を行うため、とくに初期報道は警察-検察-裁判所からの情報に偏って報道します。ただし、マスメディアにもメディアとしての良心があるために、その後の綿密な取材に基づく特集報道やドキュメンタリーでは客観的に報じることも多いです。

たとえば、先日の光市母子殺害事件裁判においても、安田弁護士が勝手に欠席したかのように報道されていましたが、実際には事前に次回公判までもっと時間が欲しいことと、当日先約があるため欠席することが裁判所に伝えられていたにもかかわらず、裁判所が勝手に公判を開いて無断欠席かのように扱い、メディアはそれをそのまま報じました。その背景には、担当裁判官があと1、2ヶ月で任期切れでそれまでになんとか公判を開きたいという思惑もあったようですが、そういうこともいっさい報じられません。
また、加害者がいかに残虐かを煽るように何年も前の手紙だけを繰り返し流して(それを報道することは正しいですが)、反省している面もあること等にはいっさい触れていませんでした。

ところが、死刑判決が確定した日以降の報道においては、そのムードが急に変わったように、死刑反対の意見の識者も賛成の識者も公平に取り上げて報道しているように思えました。一定の司法への配慮義務は果たしたということなのでしょうか。
それどころか、むしろ死刑反対側の意見を取り上げることの方が急に増えたかもしれません。直接関係ないですが、最終的には某新聞が「死神」と書いてしまう始末。。。

これはある程度はしょうがない側面もあるため、視聴者側のメディア・リテラシーが重要になってくるところではあります。

また、少し違いますが、たとえば、植草事件もその例かもしれません。植草教授がわいせつ行為で2度目に逮捕されたとき、メディアはかなりバッシングしましたが、この事件もかなり警察側の強引なところもあったようです。とくにねつ造されたブログ記事を元に事件を報じたマスメディアが批判されているのですが、当のメディアはそういうことを一切報じません。

この件については、Livedoorが運営するPJnewsが詳しいです。PJnewsは主に市民ジャーナリストが記事を書くニュースサイトで、既存メディアのしがらみが無いためメディアを批判する記事が書けます。
植草事件の真相封じたねつ造ブログ−−ネットも支配する情報操作の闇(下)

ちょっと陰謀説に流れ過ぎの感はありますが。

抽選で選ばれた裁判員は 、こうした司法と馴れ合いのメディア晒されつつ判断を下さないといけないわけで、しかも犯罪者とはいえその人の一生を決する判断を下さないといけないわけで、やはり大変な仕事となるでしょう。

今回の制度では、効率的に裁判を進めるため厳密な公判前手続きが規定されていて、その手続きには(たしか)弁護士も入れます。そこから出てくる情報は司法と馴れ合いのメディアよりも正確なものとなるでしょう(直接証拠に接することもできるので精度が高くて当然ですが)。したがって、とくに司法関係者の"馴れ合い"ということに関していえば、この公判前手続きでの弁護士の働きが重要になってくるように思われます。

いずれにせよ、バカバカしい冤罪は、普通に聞いているだけでおかしいので、市民が裁判に参加することで裁判官もおかしなロジックは通せなくなるはずです。少なくともそういう裁判が減ることが期待できそうではあります。ただ、今回裁判員制度の対象となっている重大な刑事事件にどれだけそういう裁判があるかは疑問ですが。

現時点の裁判員制度についての問題点

先週末の「朝まで生テレビ」は裁判員制度についてでした。

来年から導入される裁判員制度については、一度「裁判員制度の日本での歴史的経緯」に書いています。
 そこでは、裁判員制度=参審制度のように書きましたが、朝まで生テレビを見るに、裁判員制度は参審制度と陪審員制度の間を取った日本独自の制度だということが分かりました。
具体的には、

陪審制参審制裁判員制
有罪の判断
量刑の判断
審議への職業裁判官の参加
選出方法選挙権民から抽選推薦等選挙権民から抽選
任期事件ごと1〜数年事件ごと

つまり、日本の裁判員制度は、審議を職業裁判官といっしょに行い量刑まで判断するという意味では参審制度に近いですが、事件ごとに選挙民から抽選で選ばれるという意味では陪審制に近いものとなります。(ただし、今調べると国によっては参審制でも抽選のところもあるようです)

裁判員制度がこの時期に導入された経緯ですが、
  • 先進国には導入されている司法への市民参加が日本にまだ無いことから、以前から経団連等から陪審制の導入の働きかけがあった
  • 90年代に日弁連会長となった中坊公平さんが強力に司法への市民参加を押し進めた
  • 警察-検察-裁判所が組織的に連携していてどうしても馴れ合いの部分が生じ、そのために市民から見てあきらかにおかしな判決がくだされることが多々あったため、関係者の間ではかねてから司法改革の必要性が唱えられていた
  • 起訴されれば99.9%有罪なので、弁護士としても無罪を勝ち取る希望がほど遠く、真実を明らかにするよりは情状酌量で量刑を減らすという戦略をとるなどして、適切な裁判が行いにくかった
などが指摘されていたかと思います。

司法の硬直に対して、何度も改革しようという動きがあったもののなかなか内部からの改革はうまくいってこなかった。そこで、市民参加させることで劇的な改造を狙うというのがこの制度の主な推進理由のように読み取れました。

それに対して、反対派からは、
  • 警察-検察-裁判所の癒着の改革には、市民参加よりももっとやることがあるのではないか
  • 裁判員制度が利用されるのが死刑や無期懲役等になりうる重大な刑事事件に限定されているが、導入していきなり重大な刑事事件を担当させるというのは問題ではないか、もっと身近な事件からにした方がよいのではないか
  • 職業裁判官でさえメディアの影響を受けるのに、裁判に興味の無い一般市民が大きくメディアからの影響を受けて正しく判断できなくなったりしないか
  •  重大事件を取り扱うにも関わらず、法務省のパンフには3日くらいで済みますというように非常に軽いタッチで書いてある、いざ参加してみての重さもたいへんだし、逆に重大事件をどうしても期日までに終わらせようという意志が働いてしまうのは問題ではないか
などの意見がありました。

司法の抜本改革のために、もともとは日弁連も"陪審制"の導入を目指していたようです。ところが、裁判所側がこれに強く反発したため妥協案としての裁判員制度になってしまったようです。裁判所が反対する理由は、陪審制だと有罪/無罪の判断に裁判官が関われないからです。まず、ここで何かがずれはじめている気がします。

さらには、裁判員には重い守秘義務が課されます。これも裁判所側からの強い要望で盛り込まれたようです。ノウハウの蓄積という意味でも裁判員になった人にはその内容についてプライバシー等に問題ない範囲で語ってもらいたいところですが、どうも裁判所は保身に走っている気がしてなりません。
ちなみに、アメリカの陪審制では裁判中は当然守秘義務がありますが、終われば内容について話してもよいそうです(もちろんプライバシーに関することはダメですが)。

今、司法に一番問題があるのは、警察や検事による捜査や取り調べと、裁判所との馴れ合いです。そこにこそ改革のメスを入れなければいけないところですが、法務省傘下の官僚組織に内部浄化を期待しても難しいし、外部からどうこうしようとしてもすべて骨抜きにされてしまうのでしょう。なので、その上部構造である裁判という制度から改革しようというのはわかる気がします。官僚は市民に対してはなにも文句を言えないので、市民が参加するというのは一定の意味があるように思えます。
ちなみに、裁判員制度に賛成した社民党は、付帯決議として自白調書取得時のビデオ撮影などを盛り込んでいるようです。が、あくまでも付帯決議なのですが。

裁判員制度が国会で可決されたときにはだれもまじめに考えていなかったのが、ここへきて現実味が増してきてみんなが考えるようになってきています。それ自体はよいことなのかもしれません。

朝まで生テレビでは、最後は少なくとも開始を遅らせて現時点で問題と分かっている部分は修正してから施行すべきだというような結論に傾いていました。
果たしてどうなるでしょうか。

個人的な意見としては、基本的に司法への市民参加には賛成です。が、対象事件に今冤罪が問題となっているような選挙違反事件や国家への訴訟を含めるべきでしょうし、何より理不尽な守秘義務はどうかと思います。
また、市民が司法に参加していくんだという前提での教育の充実は重要でしょう。

2008年夏:スマートフォン比較

iPhoneが日本で出るということで、iPhoneを買うつもりでいたのですが、調べてみると他にも魅力的なものがいろいろあり、表にまとめてみました。



QWERTYキーボードにはやはり惹かれるところがあるんです。
あと、iPhoneはカメラがしょぼそうで。

ただ、Macとの連携などを考えると、やっぱりiPhoneかなぁと思ったりしています。
初回販売台数が限られてそうで買えるかどうかわかりませんが。

 
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