2008年7月1日火曜日

司法とメディアの馴れ合い

現時点の裁判員制度の問題点」では、警察-検察-裁判所の馴れ合いが問題となっていることについて書きましたが、この馴れ合い連鎖はマスメディアにも及びます。

多くの場合、マスメディアは、警察等からリーク情報が欲しいため、また記者クラブでの付き合いを円滑に運ぶため、 あとは迅速な報道を行うため、とくに初期報道は警察-検察-裁判所からの情報に偏って報道します。ただし、マスメディアにもメディアとしての良心があるために、その後の綿密な取材に基づく特集報道やドキュメンタリーでは客観的に報じることも多いです。

たとえば、先日の光市母子殺害事件裁判においても、安田弁護士が勝手に欠席したかのように報道されていましたが、実際には事前に次回公判までもっと時間が欲しいことと、当日先約があるため欠席することが裁判所に伝えられていたにもかかわらず、裁判所が勝手に公判を開いて無断欠席かのように扱い、メディアはそれをそのまま報じました。その背景には、担当裁判官があと1、2ヶ月で任期切れでそれまでになんとか公判を開きたいという思惑もあったようですが、そういうこともいっさい報じられません。
また、加害者がいかに残虐かを煽るように何年も前の手紙だけを繰り返し流して(それを報道することは正しいですが)、反省している面もあること等にはいっさい触れていませんでした。

ところが、死刑判決が確定した日以降の報道においては、そのムードが急に変わったように、死刑反対の意見の識者も賛成の識者も公平に取り上げて報道しているように思えました。一定の司法への配慮義務は果たしたということなのでしょうか。
それどころか、むしろ死刑反対側の意見を取り上げることの方が急に増えたかもしれません。直接関係ないですが、最終的には某新聞が「死神」と書いてしまう始末。。。

これはある程度はしょうがない側面もあるため、視聴者側のメディア・リテラシーが重要になってくるところではあります。

また、少し違いますが、たとえば、植草事件もその例かもしれません。植草教授がわいせつ行為で2度目に逮捕されたとき、メディアはかなりバッシングしましたが、この事件もかなり警察側の強引なところもあったようです。とくにねつ造されたブログ記事を元に事件を報じたマスメディアが批判されているのですが、当のメディアはそういうことを一切報じません。

この件については、Livedoorが運営するPJnewsが詳しいです。PJnewsは主に市民ジャーナリストが記事を書くニュースサイトで、既存メディアのしがらみが無いためメディアを批判する記事が書けます。
植草事件の真相封じたねつ造ブログ−−ネットも支配する情報操作の闇(下)

ちょっと陰謀説に流れ過ぎの感はありますが。

抽選で選ばれた裁判員は 、こうした司法と馴れ合いのメディア晒されつつ判断を下さないといけないわけで、しかも犯罪者とはいえその人の一生を決する判断を下さないといけないわけで、やはり大変な仕事となるでしょう。

今回の制度では、効率的に裁判を進めるため厳密な公判前手続きが規定されていて、その手続きには(たしか)弁護士も入れます。そこから出てくる情報は司法と馴れ合いのメディアよりも正確なものとなるでしょう(直接証拠に接することもできるので精度が高くて当然ですが)。したがって、とくに司法関係者の"馴れ合い"ということに関していえば、この公判前手続きでの弁護士の働きが重要になってくるように思われます。

いずれにせよ、バカバカしい冤罪は、普通に聞いているだけでおかしいので、市民が裁判に参加することで裁判官もおかしなロジックは通せなくなるはずです。少なくともそういう裁判が減ることが期待できそうではあります。ただ、今回裁判員制度の対象となっている重大な刑事事件にどれだけそういう裁判があるかは疑問ですが。

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