2007年5月31日木曜日

現代においてリアルであること

SSQ氏のブログ「ヘッドライクアホー」のManowarについての投稿へのコメントで、なぜかマニックス(マニック・ストリート・プリーチャーズ)を思い出して、ManowarとManicsという似ても似つかないバンドが実は同じ根をもつのではないか、と書きました。

現代においてリアルであることを目指すと、究極的には、リアルを表す偶像を自分から徹底的に演じきるか(=ヒューモア)、他人による偶像化から徹底的に逃げるか(=アイロニー)、しかないのかもしれません。

Manowarは、自分たちが信じるリアル、しかし別の人から見れば典型的イメージ=偶像、を確信犯的に演じきります。
Manicsは、他人がイメージするリアルという偶像化から逃れよう逃れようともがきます。自分にとってのリアルはそこにはないと悩み続けます。

結果、Manowarは、ヘビメタよろしく鋲付きの革ジャンを着て爆音を演奏し続け、Manicsのリッチーは、腕に4REALと刻み込んだ後失踪し行方不明になってしまいます。

リアルであることはほんと難しいんですね。

というようなことは、なにも自分の考えなんかではなく、もちろんかつて読んだものの受け売りです。

オリジナルの喪失とコピーの氾濫、リアルではない偶像化によるイメージの流布、こうしたことは、1980年代からさかんに語られてきています。
代表例は『シミュレーショニズム』(椹木野衣)などでしょうか。最近のサブカルチャーとしてのHipHopやハウス、古くは戦前のベンヤミンの思想(『複製技術時代の芸術』)などが引用され、オリジナルやリアルなものなんて最初から無いんだ、そんなものは後からあたかもあったかのようにねつ造されたものに過ぎず、現実には剽窃しかないんだ、というような主張がなされています。

この手のオリジナルやリアルは幻想だという批評は、たいていその原点としてさきほどのベンヤミンを論拠とします。
ベンヤミンが『複製技術時代の』を書いた戦間期は、まさに複製技術のおかげで新聞などのジャーナリズムが発達したり、複製芸術である映画が発達したりした時代であり、同時に"大衆"なるものが出現してきた時代でもあり、同じく総力戦という戦争形態やそれを担う全体主義国家が現れてきた時代でもあります。
同時代にオルテガは『大衆の反逆』を書きましたが、これらはつながった一つの事態であり、大衆の成立と同時に"オリジナル"や"リアル"という幻想がその幻想としての起源を忘却されたまま現れてきたのでしょう。

実はそのとき以来、大量の複製が消費される大衆の地平では、オリジナルやリアルなんてものは存在したことなどなかったのです。
ポップ音楽(ヘビメタもパンクもハウスも含む)という、複製メディアに乗っかって流布する地平で、まじめにリアルを追いかけることなどはなっから無理で、自らリアルっぽい偶像を演じきるのか、その地平から降りるのか、リアルであるためにはそういう選択肢しか無いのです。これは、難しい時代になったなぁとかそんなことでもなくて、最初っからそうなのです。

たしかに、音楽ひとつとっても、この100年でずいぶん変化してきています。その変化の中にはエポック・メーキングな人や現象はたしかにあって、そういう人や現象にオリジナルやリアルを見ることは可能です。とはいうものの、そういうエポック・メーキングな人や現象は、オリジナルやリアルであることを目指してそうなったというよりも、むしろ後からそのようにみなされているのであって、実際にはその同時代に同じような現象が多々ある中、たまたまそこに光があたったというようなことが少なくありません。

共時的に他とは違うオリジナルやリアルがあると信じさせられて、それを追い求めるということは、最初から失敗を約束された取り組みであり、近代の行き過ぎた個人主義や個性主義の罠でもあると言えると思います。
けっきょく、その人がオリジナルかどうかなんて、周りにどう思わせるかの自分や関係者のマーケティング力次第なんですから、その辺はあまりストイックになったり(Manicsのように)、諧謔的になったり(Manowarのように)せず、バランスよくいきたいもんですね。
あるいは、そのストイックさや諧謔をまたマーケティングとして確信犯的に利用するというのも手の一つではありますが。

2007年5月30日水曜日

ラテンアメリカにおける政治と文学:『フィクションと証言の間で』

フィクションと証言の間で―現代ラテンアメリカにおける政治・社会動乱と小説創作
寺尾隆吉、松籟社、2007

ラテンアメリカの政治情勢にからめたラテンアメリカ小説の発展史です。

かつてラテンアメリカ諸国の独立前後は、小説は詩と比べてあまり価値をおかれず数としてもあまり生み出されなかったそうです。ところが、19201930年代にメキシコで革命小説が大量に出版されるところからラテンアメリカ文学が興隆していきます。メキシコ革命小説では、革命の意義あるいは矛盾が、単に記録されるだけでなくフィクションを含めることでより作者の意図を込めるものとして書かれました。作者としてはプロの小説家というよりは従軍した知識人が主な担い手だったようです。

その後、ラテンアメリカでの先住民研究が文化人類学の分野で進んだこともあり、先住民の立場から見た植民化について小説として書かれるようになります。先住民の文化的コンテクストにもとづいた筋立てや現象をリアリスティックに描写する手法というのもこのころから始まりだします。ラテンアメリカ文学を一言で形容するときによく使われるいわゆる「魔術的リアリズム」の手法です。ただし、作者はあくまで白人側です。

やがて、ラテンアメリカの政治情勢を記録しようというよりも、ラテンアメリカの情勢を通じて、人間存在自体への問いかけという普遍的テーマを扱う文学が登場します。その代表格が、ノーベル賞作家でもあるガルシア=マルケスです。ガルシア=マルケスは、コロンビアの内戦状態の惨状を告発した一連の暴力小説群を批判する形で小説を発表しだします。ガルシア=マルケス自身、新聞記者でキューバの社会主義革命に共鳴しカストロ議長とも親交のある人ですが、ラテンアメリカ社会の惨状を政治的には批判しつつ、文学としては単純に告発するのではなく、もっと普遍的なテーマとして小説世界を描写します。

人が何かを書き表すのは、まずはその現象や事態を広く知らしめ、告発するためでしょう。そのとき、その文体はジャーナリスティックなものとなります。速報性と事実上の正確さが求められます。次に、その現象をより広く後世にも知らしめるために、そしてその現象がどうして起こったのかの真実を明らかにするために、歴史書が書かれます。歴史は、歴史としての客観性や歴史的意味が書かれることになります。ジャーナリスティックな文章にしろ歴史としての文章にしろ、フィクションを織り交ぜることで、より作者の意図を強調するような文章にすることが可能です。ただし、そのようなフィクションは、小説とはいうもののいわゆる純文学的な近代小説と呼べるようなものではないかもしれません。
純文学は、フィクションを交えつつ思索を深めて、より人間に関する普遍的なテーマを問い直すことになります。それに対して、歴史学は、あくまでも史実に基づき思索を深めて、社会現象や人間の営みの本質を描き出そうとします。より第三者の視点、神の視点に立つのが歴史学的文章で、個人の視点に降り立つのが文学とも言えるかもしれません。もっとも、文学がいくら一人称で語られようともあくまでも第三者の視点が維持されているのではありますが(そして、現代純文学小説にはそこの部分を批判的につくものが多いですが)。

最近、『ニッポンの小説 百年の孤独』(高橋源一郎)と、この本と、『歴史学の名著30』(山内昌之)を続けざまに読んで、ものを書くとはどういうことかということを、いろいろ考えさせられました。

2007年5月15日火曜日

オクシデンタリズムと十把一絡げにしても・・・:『反西洋思想』

反西洋思想』I・ブルマ、A・マルガリート、2004
  堀田江里訳、新潮新書、2006

戦前日本の「近代の超克」から特攻隊、ナチズム、ポルポト、マオイズム、イスラム原理主義、といったものを"反西洋思想"としてまとめて、西洋を敵視する勢力が見る西洋像を"オクシデンタリズム"として類型化し、その源流を西洋自体、西洋啓蒙主義自体に見ていくという試みです。
西洋啓蒙主義は、人間中心主義で文明化を押し進めつつ、他方で「自然へ帰れ」(ルソー)と言ってみたり、反文明的な側面も持つものでした。

で、この本でまとめられていることは、たしかにそのとおりだとは思うのですが、、、

この手のものを十把一絡げにしてなにか問題の解決に役立つのかというとあまり役には立たないのではないか、と。
なにより、実際を知らないお前がいうな(著者はアメリカ人)という反発を招くだけな気はします。

が、だれかがこういう仕事をしなくてはいけなくて、今後の参照基点(悪い見本かいい見本かは別として)としては役に立つものなのかもしれません。

2007年5月6日日曜日

行為には理念よりも現実が宿る:『雪』

雪』オルハン・パムク、2002
 和久井路子訳、藤原書店、2006

トルコ人作家の小説です。

=====(内容紹介)=====
十数年間ドイツへ政治亡命していた詩人Kaがトルコへ戻り、田舎町カルスで起きたイスラム原理主義派の少女たちの連続自殺と市長選挙に取材に行く。Kaにとっての裏の意図は、かつての政治運動のマドンナ的存在だったイペッキが離婚したと知り、彼女に会いにいくことでもあった。
雪の降りしきるカルスでは、政教分離派とイスラム原理主義がモザイク状に対立しており、カルスに通じる道が大雪のため遮断された夜、革命が起きる。Kaは、革命に巻き込まれつつ、なんとかイペッキとともにドイツへ逃亡しようとするが、、、
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先月には、こんなニュースも流れていました。

Asahi.com:トルコ軍部「懸念を持ち注視」 親イスラム大統領誕生に

近代トルコは、トルコ建国の父、ケマル・パシャ(アタチュルク)を中心に、政教分離を国是として成立しました。ケマル・アタチュルクは、トルコ語の表記としてそれまでのアラビア文字をやめアルファベット化するなど、かなり急進的な近代化を実現しています。明治時代には日本語もアルファベット化しようという動きもありましたが、それが実現していたことを考えるといかに急進的だったかがわかります。

トルコは、イスタンブールなど西部では、ギリシャやブルガリアに接し、EU加盟を目指すなど準ヨーロッパ国ですが、東部では、シリアやイラク、イランとも接するイスラム国家でもあります。
政教分離を国是としているとはいえ、とくに東部地域を中心に生活の中にイスラム教が根付いていることは容易に想像できます。

上のニュースでは、民主的選挙の結果としてイスラム原理主義に近い大統領が生まれようとしており、それに対してケマル・パシャ以来の政教分離の守護者としての軍部が遺憾を表明しているというものです。政教分離の立場からの大規模なデモもおこっているようです。ただし、EUは、民主的選挙の尊重から軍部の動きをたしなめています。複雑ですね。
ちなみに、トルコ軍が政教分離の守護者として振る舞うのは小説『雪』でも出てきます。日本では、軍=右=保守というイメージがあるので(ほんとは必ずしもそうでないところもあると思いますが)、最初少々戸惑うところでもあります。

政治上の錯綜もありますが、この小説では、東部の田舎町であるカルスのイスラム原理主義の若者が自身の世俗化に悩み、逆に政教分離派の人間がイスラム原理主義に惹かれていったりするなど、現代トルコ人個人の悩みが小説として満載されています。主人公のKa自身も、政教分離を支持する人間だったにもかかわらず、カルスに来て詩のインスピレーションが沸き出し、降りしきる雪を見て、アラーやイスラム教に親近感を持っていきます。

宗教の弱い日本では、政教分離に悩むことなどあまりないのかもしれませんが、いわゆる保守主義的傾向、自由の裏返しとしての(と捉えられがちの)風紀の乱れなどへの反発や、過去や伝統への感謝や尊重という美しく見える理念、といったものに同調する人は多いと思われ、とくに最近ではこうした保守化、右傾化が強くなってきているように見えます。
自由主義vs保守主義といったような構図は、終わったものではなく、何度もさまざまなパターンとレベルで現れてくるものだと思います。トルコでは、政教分離vsイスラム原理主義という形で現れているということになります。そういう意味で、日本人でもいろいろ考えさせられる小説です。

ちなみに、この小説の舞台であるカルスという町はここにあります。
http://maps.google.co.jp/?ie=UTF8&ll=40.610369,43.093228&spn=0.011777,0.021329&t=k&z=16&om=1
最近はこうして小説の舞台を見ることができ、便利ですねぇ。

ちなみに、著者のオルハン・パムクさんは、2006年にノーベル文学賞を受賞しました。

考えたことをいくつか。

■政治と文学
著者のオルハン・パムクさんは、この小説を、最初で最後の政治小説としているようです。たしかに、テーマとして政治的なものが扱われていますが、内容としてはむしろ、政治を巡る人間ドラマとして描かれており、そこがこの小説の奥行きにもなっていると思います。

小説内に、巡業小劇団が出てきます。その劇団がカルスという保守色の強い町で、女性のベールを取る(=反イスラム的、政教分離的)という象徴的行為を劇中に行います。と同時に、革命的行為の主体となります。
また、Kaのかつての詩作仲間が、いまやイスラム原理主義の側に裏返って市長選に立候補していたりします。

演劇や文学、詩が、政治と結びつくことは少なくありません。とくに植民地時代のアジア、独立後のラテンアメリカ、民主化後の東欧などでは、詩人が大統領(や運動の代表)になったりしているケースも多々見られるようです。
近代的な思想がまずは詩として自国語に導入され、理念として定着し、それが政治へと伝播していくということでしょうか。

他方で、日本の明治維新では、あまり文学者が政治家になるということは少なかったように思います。文筆家でもあった福沢諭吉も在野のままですし(政治家を輩出はしましたが)、中江兆民なんかも在野のままです。
その後、文筆家が民権運動などに関わることはあっても、実際の政治家として力を発揮するような例はほとんどないように思います。だれかいるでしょうか?最近だと、石原慎太郎や田中康夫ですかねぇ?


■理念と現実
この小説では、政教分離やイスラム原理主義といった理念と実際の現実のはざまで思い悩む人がたくさん出てきます。
イスラム原理主義こそ社会を規律正しくしみんなを幸福にさせると信じつつも、他方で異性に対する思いや自分が思いを寄せる人が自殺という反イスラム的行為をとったことについて悩んだり、政教分離的立場にいながらも、イスラム原理主義者を愛してしまったり、娘がイスラム原理主義となり、それでもなおいっしょに住んで生活することになったり。

小説内では、理念を純粋に守り続ける人は最終的に悲劇的結末になっている気がします。一概にはいえないかもしれませんが。あるいは、悲劇的結末を予感、覚悟しつつ行為に出る登場人物に対して、読者が純粋な理念をもっている人と感じるだけなのかもしれません。

他方で、小説内では、理念は理念として置いておいてより現実的に生きる人の方が圧倒的に多く描かれます。それがこの小説にリアリティを与えているようにも思います。
実際のところ、その人をいったん愛してしまえば、理念の違いは脇に置いておけるのかもしれません。あるいは、愛する人と別れることになっても、それは理念の違いというよりも実際の現実的生活のすれ違いが原因のことの方が圧倒的に多いのでしょう。

というように、この小説では、政教分離vsイスラム原理主義という理念上の対立があるのですが、登場人物の行動は、いっけん理念に基づくように見えるものでも、きわめて現実的判断、もっというならば、色恋や怨念などといったものが原因となっていることが大半です。
そのため主義主張が入り乱れているようにも見えます。
したがって、一見大きな理念に従って行動しているように見えても、その実はより個人的な思いが行動の原因となっています。でも、実際の人間の行動なんてそんなもんなのかもしれません。いくら大きいことを言っていても、実際にはちっぽけな日々の現実的な思いの積み重ねがその人の行為を作っていっているのでしょう。

登場人物のそれぞれが、きわめて理念的な人物であっても実際の行動は現実的な判断に基づいているということが、この小説の奥行きでありおもしろさでもあります。
純粋にストーリーとしてもおもしろいですし、トルコの現状を知るという意味でもおもしろかったです。

2007年5月3日木曜日

日本的近代社会とオウム事件:『さよなら、サイレント・ネイビー』

さよな ら、サイレント・ネイビー』伊東乾、集英社

地下鉄サリン事件実行犯の豊田亨と大学で同級生であった著者が、オウム事件とその後をノンフィクションとしてまとめたものです。
失礼ながら文章が稚拙というか、どこか文体として小恥ずかしいところもあるのですが(熱いからか?)、全体としては(構成としても)おもしろいですし、扱っているテーマは非常に深く、オウムの事件を古くて新しいわれわれの時代の普遍的問題として捉えようという意欲的な試みです。

豊田亨被告は、死刑を求刑されているものの黙して語らず、無期懲役となるための法廷戦略などをとることもなく、たんたんと裁判をこなしています。そんな態度からマスコミなどでは、反省の色なしなどと報道されたりもします。
しかしながら、著者によれば、彼が語った数少ない証言などからは深く反省していることは伝わるし、証言者として現れた麻原に対して「いいかげんにしろ」というようなことを理路整然と語り教祖を黙らせたりするなど、彼が事件と裁判を正しくとらえていることはわかります。とくに紹介されているエピソードの一つとして、接見のときに本来は接見者に話しかけてはいけない看守が著者に「豊田さんは人格者です。(死刑は)なんとかならないものでしょうか」と語らずにいられないかのように語ったそうで、このエピソードからも、豊田被告に身近に接することのできる人の印象と世間(マスコミ)の印象が大きく異なることがわかります。
豊田被告は、ある意味で日本男児なのであり、男は黙って潔く責任を取る(=死ぬ)ことをよしとしているようです。
著者は、そうではなく、今後こういうことを起こさないためにも、当事者として語るべきだと言います。"サイレント・ネイビー"ではだめだというわけです。そのとおりだと思います。

大学の教職の地位にある著者は、院生などと協力しながら、豊田被告といろいろやり取りしているようです。ただし、豊田被告との約束によりそれを公にすることはできません。なので、この本では、主にすでに公表されている資料や著者が実地で経験したことがらがベースとなっています。そうした豊田被告とのやり取りは、のちのちには日の目を見るときがくるのでしょうか。
ところで、死刑が確定すると、こうした接見もすべて禁止されてしまうそうです。そういう意味でも、死刑は問題を闇に葬るだけで著者が語るような真相の究明のマイナスにしかならないでしょう。

この本で自分が着目したテーマを3つほど。

■エリートの暴走
豊田被告は東大物理学科の中でもとくに優秀だったそうです。そんな優秀なエリートがどうしてオウムなんかに?というのが一般的な疑問だと思います。いろいろ事情が記述されていますが、第二次世界大戦との対比が興味深かったです。
第二次世界大戦もいわば東大エリートが導いた惨事です。当時は、今よりもずっと東大エリート主導の社会だったため、東大内に戦争反対の人たちが多数いたのも事実ですが、戦争へと導く思想的背景を準備したのも、それを実行に移すべく行動したのも、東大エリートたちだったと言えます。
そういうエリートたちも、個人個人を見ると人格者だったり、非常に優秀だったりするわけです。それでも、そういう人間が集まっても間違った方向に進んでいけるんだという悲劇的事実は認識すべきです。
したがって、なにごとにも、少々回りくどくても、めんどうでも、抑制する仕組みが存在することが重要です。これは、会社やプロジェクトでも言えることですね。優秀な人間がいけいけどんどんでいって必ずしも最善とはかぎらないことがあります。少々まわりくどくても、ステップを踏みながらの方が健全なのでしょう。

■マインドコントロール
麻原彰晃は、煩悩を捨てる一番効果的な方法はマインドコントロールに浸ることだと考えていた節があるそうです。まじめな信者たちが、とくに性的煩悩に苦しんでいるときに、それから解放する方法としてオウム真理教はマインドコントロールを提供したということのようです。
煩悩を頭ごなしに否定するのではなく、煩悩を煩悩として肯定できることが重要ですね。煩悩(=本質でないこと、無駄なこと)もまた、必要があって自分に現れているのであって、それも大事なことの一つです。本当だと思うことに一足飛びにとびつくことが必ずしもよいことではありません。
同じく、第二次世界大戦が例としてあげられて、あの当時は、日本国民全員がマインドコントロールされていたと述べられます。その意味でも、いつわれわれもマインドコントロールされるかわからないのです。だまされたやつが悪いとは言っていられません。

■裁判の矛盾
著者は、今回初めて裁判に密接に関わって、司法という仕組みに失望しているようです。というのも、法廷では、なんら真実が明らかにされようとはせず、ただ法律のお作法に則って物語を組み立て、事件を個人の責任に押し付けていくだけのものだからです。
著者によれば、オウム事件はもっと日本人の精神構造に普遍的な根深い問題のはずです。その構造やら根本やらを明らかにしていかないと、またいつ同じような事件が起こるとも限りません。そのためにも、脳生理学など最新の科学の成果も取り入れつつ、いったいあの事件で何がおこっていたのかをつまびらかにすべきで、司法の場はそれにふさわしいはずでした。
が、実際の法廷で行われていることは、マスコミに影響されたもしくはマスコミと結託した検察が事件を個人の怨念など単純で表面的な原因に無理矢理結びつけ、物語を作り出しては結審していくというお芝居です。著者はそこに深く失望しているようです。なので、豊田被告の死刑が確定して接見できなくなる前に、なんとしてでも当事者の語る事件の真実を導きだしたいと考えているようです。
著者のいらだちの原因は2つのレベルがあると思います。

(1)日本の司法制度の問題点
日本では立件した刑事裁判はほぼ確実に有罪になるという実績があります(逆に有罪にできないような証拠不十分案件は立件されないということです)。そのためには、オウム裁判においても、麻原彰晃の主任弁護人だった人(安田弁護士)を別件で逮捕して弁護団から外してでも裁判を進めようとします。あまり報道されませんがやってることはめちゃくちゃです。「あんな極悪人はさっさと死刑にしてしまえ」というような極端な意見を地でいっているのだからおそろしいものです。信じられないですが。
そんな調子ですから、司法の場で真実を明らかにしようというよりも、早く結審して検察としての実績をあげようというモチベーションの方が高いといえます。

(2)近代的司法の本質
(1)は明らかに問題として、それでも乗り越えられない近代司法の本質とでもいえる問題もあると思います。それは、近代社会においては、社会を安定的に運営するために、個人と自由意志と責任を堅密に結びつけているということがあります。
司法の場においては、社会(=その他一般人)は悪くはないというのが大前提となっています。社会自体の罪を裁ける司法機関はありません。したがって、司法の場においては、特定の個人や機関が責任を取りうる単位として措定され、その人の行為に罪があるのかないのかを判断していくことになります。
という大前提をふまえると、オウム事件がいくら日本社会の悪い部分の縮図だとしても、司法の場でそれを明らかにすることはおそらくできません。司法の場では、言い方が悪いですが、誰かが非をかぶって責任をとることになり、その人に非があることを証明するための物語が作られることになります。これは近代司法の仕組みの宿命と言えるでしょう。

それにしても、と著者と同じく言いたくなります。

第二次世界大戦でも、戦後の東京裁判でA級戦犯は死刑になるか、そうではない場合はその後なぜか公人として復帰しています。また、東京裁判にかけられなかった重要人は、戦後ひっそりと過ごしてきています。つまり、どうして第二次世界大戦がおこってしまったのかを当事者の立場から語れる人がいなくなってしまったのが問題です。責任は個人に押し付けられ、そういう人たちは、死刑にされるか、公人として活動するために過去の非を語れなくなってしまったか、となったのです。
オウム事件でもその繰り返しとなるのでしょうか。
著者は、アメリカの9.11事件でその首謀者の一人が極刑ではなく終身刑になったことを引き合いに出しています。それにより、9.11事件ではいつか当事者により真実が語られる可能性が残されていることになります。
日本でもオウム事件を闇に葬るようなことはしてはいけないでしょう。

オウムによる地下鉄サリン事件は、日本ではテロとして扱われず、「外国はテロがあって怖いなぁ(日本はないから安心)」とのんきに語る日本人も多いですが、海外では、Subway Attackとして、化学兵器が使われたテロとして捉えられています。
日本人が、こうしたテロ行為を反省的に捉え直し、真実を明らかにし、再発防止にどういかしていけるのか、海外からの見本となるような対応をどうとれるのかが、今まさに賭けられているのだと思います。この本はそれに一石を投じるものとなるでしょう。なってほしいものです。

 
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