DIAMOND ONLINE:グーグル和解問題を国会図書館の動きから考える
先週の記事ですが。
改正著作権法が6月12日に成立しました。
違法ダウンロードばかりが焦点あたっていますが、国会図書館の蔵書のデジタルアーカイブ化というのも大きな話です。百数十億円の予算もついたようです。
かたつむりは電子図書館の夢をみるか:国会図書館が蔵書90万冊以上をデジタル化?!
骨董通り法律事務所:「著作権法改正案の概要(第1回)」
まだ国会図書館内での閲覧しかできず、1968年以前に出版されたものが対象で、主に原資料の劣化防止が目的のようですが、それでも「国民ができるだけ幅広くこれにアクセスすることができるようにする,いわゆるアーカイブ事業の円滑化を図る一環」という法律の目的のとおり、これが広くアクセスできるようになればいいですね。
アメリカでは民間企業であるGoogleが、Google Booksというかたちで訴訟を戦いつつ同様のデジタルアーカイブを進めていますが、日本では一部難航しています。国会図書館という大義であれば、その部分も民間企業がやるよりは進めるかもしれません。
逆に、いろいろ配慮しすぎて数百億かけてほとんど使えないものを作り上げてしまう可能性もあるわけですが。そもそも90万冊のスキャンに百数十億円も必要なのか?というのもありますし(人件費月100万円の200人が1年かかっても24億円)。
実際に、現国会図書館館長の長尾さんは、新刊本含めてデジタル化し、外部の「電子出版物流通センター」経由で有料/広告料でアクセスできるようにすることも視野に入れているようです。まだまだ法律改正等必要で長い道のりはありますが期待はできます。
「英語が普遍語となる時代に日本語の価値とは何か」にも書いたとおり、英語が普遍語化する時代においての世界の言語の多様性のためにも、日本語で書かれたものを誰でもアクセスできるようにすることは非常に重要です。国会図書館内だけではなく、公共図書館の端末だけでもなく、ほんとは世界中からアクセスできるようにした方がいいですね。
今話題の「アニメの殿堂」も、作品の展示という観点よりも、国会図書館のデジタルアーカイブ化の中で誰でもアクセスしやすくするようにした方がより効果的なんじゃないでしょうか。(もっとも1968年以前という条件でほとんど引っかかってしまいますが)
2009年7月7日火曜日
改正著作権法による国会図書館のデジタルアーカイブ化
2008年7月9日水曜日
毎日.jpが自社広告だらけになっているそうです
ITPro:「毎日jp」が自社広告だらけに、ネット上に深いつめ跡残る
英文サイト「毎日デイリーニューズ」(Mainichi Daily News)の「WaiWai」というコーナーで低俗な記事を載せ続けていたとして批判されている毎日新聞ですが、なんと毎日新聞の運営する毎日.jpから事実上広告が消えてしまっている(自社広告のみ)ようです。
情報をアグリゲートして広告で儲けるというビジネス・モデルが定着しつつある中、広告を集めるという意味で自社のブランドイメージがより重要になってきていますね。
自分は京都出身なのでこのニュースを聞くとKBS京都(近畿放送)という放送局の倒産を思い出します。1994年、KBS京都はイトマン事件に巻き込まれて倒産してしまうのですが、ちょうどその頃、KBS京都にチャンネルをあわせると、テレビコマーシャルがすべて自社広告になっていました(あと、ゴールデンタイムに「宇宙戦艦ヤマト」の再放送していたり)。何月何日になんという番組を放送しますとか、何月何日にKBS京都でこういうイベントが行われますとか、そういうCMばかり。当時、ああもうこの放送局ダメなんだなぁと思ったものでした。ただ、その後倒産したものの廃局にはならず現在まで放送を続けていますが。
毎日.jpは毎日新聞社にとって一事業なのでKBS京都のようにはならないと思いますが、今後どこまで影響が及ぶでしょうか。
(記事にも指摘されているとおり、デジタルメディア担当者がその後昇格したりしていて、事件後の対応もよくないようです。)
2008年7月8日火曜日
韓国での市民騒動
韓国BSE騒動、政権批判へ変質・・・政治の力学とメディア
「司法とメディアの馴れ合い」でも紹介したLivedoorのPJNewsに韓国のBSE騒動について、"マスメディアが煽る市民暴動"という観点からの記事がありました。
アメリカ産牛肉の輸入反対を学生がネットで訴え始めたところ、労組や宗教団体が関わるようになりすごい規模の抗議運動にふくれあがっています。いまやBSEは脇役で単なる政権批判運動になっていっているようです。
PJNewsの記事では、日本の60〜70年代の状況もひきつつ、マスメディアによって煽られる市民暴動について述べられていますが、もともと今回の騒動の発端は、PJNewsと同じような韓国で強い市民記者によるネット報道だった側面もあります。マスメディアだけでなく市民報道もまた今回の問題には関わっているのではないでしょうか。
一般市民の間にはつねに鬱屈した情動がうごめいていて、景気がいいときにはいろいろな形でガス抜きされますが、社会的に沈んだ雰囲気状況でメディアに憎悪や嫌悪が流れるとそれにのっかって一気に噴出するように思えます。
もちろん不正を暴いて指摘することや弱者の主張を取り上げることはメディアの重要な機能の一つですが、タイミングややり方を誤るといろいろな問題も生じてしまいます。その意味でも、メディアというのは責任の重い難しい役割です。
2008年7月5日土曜日
データベース的時代における工学的帝国化
うう、、長文書いたら消えてしまった。。。よって覚えている範囲のみはしょって。
Tumblrで、「フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる - 情報考学 Passion For The Future」を紹介しましたが、以前に池田信夫blogで、"Is Google making us stupid?"という記事が紹介されていたのを思い出しました。
グーグルでバカになる?
いずれもインターネット時代のデジタル化が人間の記憶や思考に影響(それもマイナスの)を与えているのではないかという指摘です。
まず、デジタルで読んだり書いたりすることに比べての本を読むことやノートに書くことについては「読み書きインタフェース」で少し書きました。
また、"ググりバカ"については「Googleが奪う本質を考える力に膝を打つ」に書きました。
今回はそれ以外のもう少し幅の広い話について。
インターネット時代、情報の摂取は非常に広範囲かつ容易になりました。今までは眼に留まることのなかったようなマニアックな情報まで入手可能です。その反面、一定のパターンの情報のみが、つまりは人気のある情報ばかりが大量に消費されるようになっていることも事実です。
インターネットでは通常、Googleなど検索エンジンやニュース・アグリゲータなどなんらかのサービスを経由して情報を取得することが増えたわけですが、そこでの情報は、一定のアルゴリズムで優先順位を処理されたもので、多くの場合SEOされたか人気の高いものになります。こうしたものに群がることが増えたため、より本質的で深い記事が埋もれてしまうことも起こりえる状況になってきています。
また、ネット上にある記事は断片的で、リンクで次々飛んでいくように読むことが多いため、じっくり文脈をふまえての情報の読み取りにはなりにくいです。
かつて、 東浩紀さんが『動物化するポストモダン』で「データベース的」という概念を提示しました。当時は、IT分野に身を置く人間からみてその用語の使われ方や図解に違和感があり,真剣に読んでませんでしたが、今となっては東さんとは少し違った意味で「データベース的」な時代になってきていると言えるのではないかと考えています。
東浩紀さんの『動物化するポストモダン』については、
2003年6月26日(木)多文化ゼミ
宮台・東対談 〜『動物化するポストモダン』を読む〜
東さんの「データベース」概念は、ボードリヤールのシミュラークル論への対概念として提示されました。
自分の考える「データベース」というものは、工学的に情報を断片化し、アクセスしやすくする情報とともに格納した情報源というような意味で、もっぱらそのような情報源からのみ情報を取得するような状況を「データベース的」と考えています。
必ずしもシミュラークルと対になりません。 すぐ後に述べるとおり、「歴史」などと対になります。
本を読むことが主要な情報源だった時代、本を読むことはすなわち、本の論理展開の文脈と、自分の思考の文脈と、本の向こう側の著者の思考の文脈が交差しながら情報を取得することでした。それぞれの文脈は大きな物語を成し、他の物語と接続されていきます。それら物語の集合は歴史となり,伝統となっていきます。
対立する文脈と遭遇すると、それはイデオロギー闘争となり、しばしば社会的対立にもなりました。そうして歴史も動いていきました。
一方でインターネットが情報源の時代、工学的に処理され、大きな物語という文脈からは切り離された情報を取得していくことになります。その情報は一定のアルゴリズム処理や統計処理によって意味論的文脈からは切り出されて提供されます。したがって、大きな物語と接続されませんし、イデオロギー闘争にもなりません。
人々が工学的に処理され抽出された情報に従属し,それを垂れ流し反応し消費するだけになると、東さんの言うように「動物化」された社会となるでしょう。実際にその傾向も強いです。
方や、たまに大きな物語と接続されると、大きな論争となります(炎上)。 といっても論争程度ですが。
メディアの変遷と関連してまとめてみると、
- 文字を保管するものが無かった時代…口頭伝承による社会化
- 紙はあるが印刷が無かった時代…知識の抽象化と知識の独占による帝国化
- 印刷されるがデータベース化されていない時代…知識の大衆化と知識の物語(イデオロギー)化
- データベース的時代…知識の断片化と工学的帝国化
20世紀までは、知識を物語と接続することで、大衆をも巻き込んだ国家闘争が繰り広げられていたのですが、インターネット時代では知識はデータベース化され、情報の工学を支配するものがそのバーチャルな帝国を作り上げていくのではないでしょうか。
2008年7月3日木曜日
メディア企業が運営する番組ストリーミング配信
もう1ヶ月前の記事ですが、
media pub:インターネットTVの本流は,YouTubeかHuluか
というのがありました。
Huluは、米NBCと米News Corpが共同で設立した動画ストリーミング配信サイトで、当然合法動画コンテンツのみを広告付きで配信します。
これが意外に健闘しているそうです。
ただ、残念ながら、日本から視聴することはできません。
最近、放送法改正に伴い、もうすぐNHKがオンデマンドサービスを開始するようです。ただし、NHKは広告を取れないため有料サービスとなるようです。
ITPro:「4年後の単年度黒字目指す」,NHKオンデマンド室副部長がケーブルテレビ ショーで講演
日本でもHuluのような取り組みがあればよいのですが。
2008年5月21日水曜日
読み書きインタフェース
ITPro:ITの負の影響から社会を守る“情報化会計”の提案(前編)
増岡さんの言いたいことの全体の趣旨からするとどうでもいいことなのですが。
キーボード入力は文字を書くことよりも精神的営みの活性化が弱いというような指摘がありました。
この記事で書かれている通り、読むことと書くことは文化的にも教育上も非常に重要だと思います。
ただ、ITでも読めるし書くことができます。
ITが読み書きに直接影響しているのはインタフェースのみで、読むこと書くことという行為自体は変わりません。
記事では,
「『雨が降る』と書きたいにもかかわらず,手が『amegafuru』や『アメガフル』と打たねばならない分裂は、手の動きと思考との間にずれを生む」と石川九楊さんの文章が引用されています。引用文しか読んでいないので真意はよくわかりませんが、この文章だけだと誤認があるように思います。というのも、手の動きと思考との間にずれを生むのは、鉛筆やペンで文字を書くときも同じだからです。
むしろ、「アメガフル」と書いた方が、頭の中で文字を読み上げているとすると手の動きとのずれが小さくなります。「アメガフル」と頭の中で文を組み立てておいて、それを「雨が降る」と頭で文字に変換して書くことの方がずれが大きいでしょう。amegafuruもあわせて一般的に表音文字の方がずれが少ないと思います。(それでもずれがあるというのがオングらの指摘だと思いますが)
その後に引用されているW・J・オングの『声の文化と文字の文化』でも文字の重要性は指摘されていますが、筆なのかキーボードなのかについては指摘はあったでしょうか?抽象的思考にとっては、声と文字にずれがあることが重要で、そのずれによって即物的声ではなく、抽象的思考が可能になるのだという認識です。
ただ、たしかに入出力インタフェースが変わることで、人間の思考になんらかの影響を与えているとは思います。
自分が感じるのは、インタフェースがキーボードとディスプレイになると、情報が軽薄になるということです。というのも、読むときは指先のちょっとした動きで文字を流していくことができますし、文章の途中でも(リンクなどで)あっちこっちに飛んでいきがちです。また、書くときもとりあえず書き出してコピー&ペーストで後から組み替えていけるからです。これはよい面もあって大量の情報をさばきやすいです。調査するときなどや軽く情報をメモするには非常に役立ちます。
他方で、たしかに人生の中には、こうした高速の情報処理ばかりではなくじっくりと長文に取り組む(読み書く)ことも重要だと個人的には思います。大きな論理の展開の中でこそわかってくるものや感じることもあります。その場合は、たしかに、キーボードとディスプレイではなく、紙とペンの方がよいです。
けっきょく結論としてはおそらく同じようなものになると思うのですが(ネットもいいが紙とペンもね、という)、声と文字のずれがキーボードの方が大きいというのはちょっと違うと思うので書いておきました。
ネット法の動き
いつでも好きなときにコンテンツを見たいという視聴者の利益を顧みない日本のコンテンツ業界に角川会長がコメントしています。
CNET:「放送側が番組の見逃し需要に対応していればYouTubeの成功はなかった」--角川会長が分析
小倉秀夫さんもblogでこの記事を引用して指摘しています。「benli:It's too late」
「気軽にタイムシフト視聴」を行うシステムをテレビ局側がつぶしにかかれば,別の,よりアングラなシステムに飛びつくか,または,テレビ離れをするかしてしまうことは目に見えていたはずです。
「YouTubeとJRCが包括利用許諾契約」にも書いた通り、一部のコンテンツホルダーはこうした意識とはほど遠い後ろ向きな状況です。
ちなみに、アメリカでは、FOXやNBCがHuluという動画配信サイトで動画投稿とともに番組配信も行っています。
ITPro:消費者主導というミッションを打ち出す−−動画配信サイトHuluのCEO
インタフェースもよさげ。ただし、日本からは閲覧できませんが。
ところで、この記事でも述べられていますが、角川氏をはじめとする有識者は、今年の3月にネット配信についての"ネット権"創設という政策提言をしています。
ITMedia:映像・音楽配信を許諾不要に 「ネット権」創設、有識者が提言
その解説記事も最近公開されていました。
ITPro:ネット法(1)許諾権者の一本化でデジタル・コンテンツの流通促進を狙う
今の著作権法のままでは、肖像権や隣接権が邪魔をして再配信のために許諾を得るのが非常にたいへんです。ネット法は、インターネットではこのプロセスを単純化してその代わり事後的に利益の再配分を行うのと、フェアユースの考え方を取り入れるというものです。
ただし、利益の再配分を過去の権利者に遡って管理するのはやっぱりたいへんだと思いますが。
2008年5月20日火曜日
新興技術系メディアvs既存メディア
先週から今週にかけて技術系メディアの買収ニュースが相次ぎました。
CNET:CBS、CNET Networksを18億ドルで買収
CNET:Conde Nast、人気技術ブログArs Technicaを買収へ
「mediba pub:人気技術ブログArs Technica,Condé Nast/Wiredが買収へ」が引用しているTechmemeのランキングで2位と6位の新興技術系メディアが既存メディアに買収されたことになります。
同じくランキング1位のTechCrunchでは、「TechCrunch:「CNETがCBSを」ではなく「CBSがCNETを買収」に結末が逆転した理由」という記事を組んで、CNETの歴史と失敗をまとめています。
CNETは最近株主とももめていました。たしかに、かつては飛ぶ鳥を落とす勢いで既存メディアの買収も可能なくらいの存在だったのが、ここ数年で10分の1近く企業価値を下げていることになります。
media pubでも書かれている通り、TechCrunchは記事の提供でWashingtonPostと提携しています。今後も再編はあるのでしょうか。
2008年4月8日火曜日
オンライン広告がTV広告を抜く?
今までも指摘されていることですが、メディアの受容の仕方がTV中心から多様な形態へと移行しつつあります。
ITMedia:「デジタルネイティブ」が創出する新たな成長モデル
若い世代ではTVがなくても困らないという割合も増えてきていますし、アメリカの4大メディアはTVからオンラインへと軸足をのばしつつあります。
そんな中、イギリスでは、2009年にもTV広告をオンライン広告が抜くというニュースが流れているそうです。
mediapub:オンライン広告がTV広告を追い抜く日,英国では来年にも
そもそも、お茶の間で家族そろって人気番組をずーっと見る(合間のCMも見る)というようなライフスタイルはすでに無くなって久しいですし、TVの番組間に広告を入れるという手法がどれだけ効果があるのかという疑問もあります。おもしろいCM映像であれば、YouTubeなどで流した方が話題にも上り多くの人に見てもらえる可能性だって出てきているわけです。
他方で、インターネットというメディアでは、いまだ優れたコンテンツへの利益配分の仕組みが未成熟でもあります。
ただし、インタラクティブなメディアでもあるので、TVよりもずっと正確な利益の測定が可能です。オンライン広告ではすでにクリック数などに基づく報酬の仕組みが試みられたりしていますし、その収益をその広告をのせたコンテンツにうまく配分できるような仕組みも可能です。
オンライン映像コンテンツの主導権がどうなっていくのか、これからですね。
2007年12月10日月曜日
携帯小説と電子書籍
TechCrunch:「日本ではベストセラーの半分は携帯で執筆されている」
AmazonのKindleと関連させて、日本の携帯小説(携帯で配信された後に単行本化される小説)が述べられていて、自分にはそういう観点がなかったのでちょっとなるほどと思いました。
ebook(電子書籍)はなかなか普及しないですが、よく考えると日本では、携帯でダウンロードして小説を読む人が急増しているのでした。携帯がebookとなっているわけです。
SonyのLibroやAmazonのKindleなどといった電子書籍は、いかに小説を読みやすくするかで解像度やページめくりインタフェース等を工夫してきているわけですが、日本の小説事情としては、逆に、いかに携帯で読みやすい小説を書くかという創意工夫がなされてきているわけです。
先日、『現代日本の小説』(尾崎真理子)という本を読んで興味深かったのですが、そこでも、最近の日本の小説において、PCでの執筆、さらには携帯での配信といった、書いたり読んだりするメディアの変遷が、小説(というシステム)に大きな影響を与えているのではないかという指摘がありました。
携帯ではかつての重厚な小説世界は望むべくもないですが、たしかにメディアの変遷に合わせて人間の表現は変わってきているのであり、その意味で携帯小説というのも興味深い現象ではあるのでしょう。携帯というメディアでどこまで表現できるのか。
2007年11月21日水曜日
ネット動画(今のところ音楽のみ)はカラオケにならって:YouTubeとニコニコ動画がJASRACとの協議開始
もうずいぶん前(先月末)のニュースですがやっぱり取り上げとこうかと。
JASRACとYahoo!で進めていた著作権の包括契約について、YouTubeとニコニコ動画も参加していくようです。
ITPro:「YouTubeとニコニコ動画、「脱違法」へ——JASRACと著作権協議開始」
これが現実解という気はします。ラディカルな著作権批判論が大勢を占めるようなことがないかぎり。
カラオケでの著作権問題の解決策と同じですね。
他方で、今度は、より大きな権利者団体となるJASRACに対する第3者監査をどうするかが気になります。
一般消費者としては、自分で細かいことを気にすることなく、YouTubeやニコニコ動画のコンテンツを楽しめるというのは大きなメリットです。
YouTubeやニコニコ動画も、より視聴アクセス数が増えることで広告収入が伸びることが期待されるでしょう。
ただ、YouTubeなどでは音楽だけではなくTVなどの映像コンテンツに対する著作権の問題がまだ残っています。それらについても同様の包括契約で解決していってほしいですね。そのための余力(資金的なものも含めて)を残しておいてほしいものです。
2007年11月15日木曜日
新聞社サイトの動向:ニュースアグリゲーション
アメリカの大手新聞社は着実にインターネットへと軸足を変えつつあります。
「大手ニュースサイトがソーシャルニュースサイトを買収」などもありましたが、ニュースサイト自身が他のニュースサイトをリンクするという"ニュースアグリゲーション"も大きな流れとしてあるようです。
media pub:「米新聞社サイトが打つ次の一手とは」
つまり、ニュースの元ネタは、自社の記者が集めてくるだけではなくて、他社からも、一般読者からも集めてくるということになります。
その場合、ニュースサイトの大きな役割としては、その記事の集めかた表示(表現)の仕方などの編集者的なものとなってくるのでしょう。
リンク先では、NYTimesが買収したニュースアグリゲーションツールBlogrunnerの特性(記事の集められかた)が記述されています。
新聞社も自社で囲い込むのではなく、適材適所でリソースを活用していくようになっていくのでしょう。
その際、アメリカでは、大学にジャーナリズム学科があったりして、社会としてジャーナリストを育成できる環境がありますが、日本では記者は通常新聞社に入ってから徒弟制的に(?)鍛えられます。
日本でも、ジャーナリストの流動化(転職や独立促進)と教育環境の整備が、今後の日本でのニュースの配信にとって重要な課題になってくるのかもしれません。
2007年10月8日月曜日
大手ニュースサイトがソーシャルニュースサイトを買収
メディア パブ:米ビッグ3のニュースサイトMSNBC,ソーシャルサイトNewsvineを買収
大手ニュースサイトが、ユーザの投稿(投票)やコメントによって作られるソーシャルニュースサイトの1つを買収するようです。
この動きが他にも飛び火するようだと、大きな変化になっていくのではないでしょうか。
いわゆるジャーナリスト(記者)による記事というのはやっぱり価値のあるものです。その価値は、きちんとしたジャーナリズムの手法にのっとり客観性があるためだけでなく、他のメディアや意見に流されることなく孤高の記事を表現できることにもあります(原則的には)。
他方で、そうした記事の中立性を守ることの引き換えに、市民の意見等のフィードバックを直接受けたり双方向的に読者とコミュニケートしたりすることが難しいということもあります。
ソーシャルニュースサイトはそうした部分を補うのに適していると言えます。
なにより、"紙"や"放送"による情報配信の独占に基づくマス広告の利益を守れなくなってきている現状の中、なるべくアクセス数を増やす=アテンションを高めるためにそうしたアクセス数の多いソーシャルニュースサイトが活用できるという現実的判断があったのではないかと思います。
マスメディア媒体の独占とその中でのコンテンツ競争による利益から、より開かれたネット媒体の中でのコンテンツ競争による利益を考えていかなくてはいけなくなってきているのでしょう。
そのときに、プロのジャーナリストによるニュースサイトと、市民によるソーシャルニュースサイトの連携は相乗効果を生むよい協業に思えます。
2007年10月2日火曜日
大手新聞社のオンライン戦略の不満点
昨日(というか数時間前)、「大手新聞社のオンライン戦略」を書いたら、さっそくそれぞれのサイトについて、池田信夫blogでコメント(批判)がついていました。
池田信夫blog:新聞社サイトの囲い込み競争
それぞれGoogleニュースへのリンクを停止し、かつ過去記事は一定期間しか参照できないようです。
2007年10月1日月曜日
大手新聞社のオンライン戦略
最近、大手新聞社のネット上での動きが活況です。
まず、アメリカでは、大手新聞社のNewYork Timesが、一部有料サービスとしていたコラム記事や過去記事も無料化にしたようです。
メディアパブ:NYTのアーカイブ開放,新聞社サイトが新局面に
それ以外の有料新聞サービスも、NewsCorpのマードックが買収したことなどにより無料化される可能性があるという話も出てきています。
メディアパブ:新聞社サイトの有料サービス,最後の砦も崩れそう
日本では、先週産經新聞がMSNと協力してニュースサイト「MSN産経ニュース」の開設を発表しました。
このサイトが画期的なのは、ウェブファーストをうたっていることです。つまり、新聞記事になる前にウェブで記事を発表するという、ウェブ中心の記事配信方針を出しているところです。
ITMedia:21世紀にふさわしい瓦版の先駆けとなるか——「MSN産経ニュース」開設
ITMedia:スクープも紙より先にWeb掲載 「MSN産経」の本気度
産經新聞は、子会社を作って「iza!」というブログやトラックバックと連携したニュースサイトを運営するなど、日本ではこの分野を先導してきているとも言えます。
これに対して、MSNと手を切った毎日新聞は、独自に「毎日jp」を開設し、オールアバウトと協業しながらブログやソーシャルブックマークと連携していくようです。
ITMedia:ブロガーの力も借りる「毎日jp」
こうした連日の大手新聞社の動きに反応するかのように、それ以外の大手新聞社である朝日、日経、読売が提携してのニュースを発表しました。
ITMedia:朝日・日経・読売が提携 「ネット活用で紙の新聞を維持」
しかし、これを見る限り、サービス内容は差別化されておらず、具体的コンテンツも見えてこず、"紙"の方を重視しているなど、従来通りの新聞社の既成概念を陳列しているだけのようで、インパクトと魅力に著しく欠けます。他がいろいろやりだしているので遅れた3社が慌てて発表したという印象を受けてしまいます。
今回の三者提携の発表の中では、サイト開設の話よりも、「地域販売店の統合」の方がより大きいのではないでしょうか。
2007年9月16日日曜日
日本のDiggを探して(ソーシャルニュースサイト調査)
昨日、「インターネットが今までの価値観でいうところの社会的たりえるか」と書いたこともあって、また便利で楽しめるものがないかと探していたこともあって、ソーシャルニュースサイトについてまとめて調べました。
アメリカではDiggが有名ですが、日本でDiggに代わるサイトはないかと探してみたのですがなかなかありませんでした(下表)。
やはりこういうサービスはどれだけ多くの人から使われているかがサービスの有用度として重要ですね。
Hatena::Questionの「ソーシャルニュースのdigg に相当するサービスで、日本で一番使われているのはどこでしょうか?」
http://q.hatena.ne.jp/1187395437
にたくさんソーシャルニュースサイトが紹介されていますが、
狐の王国:#2 ソーシャルニュースサイトの得票数比較
http://www.misao.gr.jp/~koshian/?20070322S2
にもあるとおり、実際多くのユーザを集めているのは、はてなブックマークとnewsingくらいとも言えます。それにしても本家のDiggと比べればぜんぜん少なく、集合知として機能しうるサンプル数なのか不明です。
ソーシャルニュースということであれば、OhMyNewsもとりあげられると思います。こちらもそこそこのユーザは集めています。あと、投稿者が一般人ながら記者なので取り上げられるニュースもユニークです。
1年ほど前、日本のソーシャルニュースを調べたときには、OhMyNews日本版とnewsingの他にblogmemes日本版が主要なものとしてあった気がしますが、blogmemesはすでになくなっているようです(!?)。
その代わりといってはなんですが、アメリカではメジャーなredditの日本語版が始まっています。が、まだまだぜんぜんユーザが集まってないようです。
アメリカでは、Diggクローン以外にも、ランダムに記事を見せる部分を強調したStumbleUponがかなりのユーザ数を集めてブレークしてきているし、記事の特定部分だけを引用できるClipMarksや共有者を限定できるBlueDot、投稿元を登録制にしアクセス数で評価するSpotPlexなど、Diggにない機能を盛り込んだり、Diggの課題を解消しようとするようなサービスが多数出てきています。
個人的には、ma.gnoliaが好きです。見た目で。
「TechCrunch:よりよいDiggへ向けて」参照
翻って日本を見るに、OhMyNewsは韓国からの輸入だし、newsing等のサービスはどれもDiggに似たり寄ったりのものです。
そう考えると、日本では、ユーザを集めてかつそれなりの独自性があるという意味で、やっぱり2チャンネルなんですかね?
個人的には好きじゃありませんが。
アメリカのDigg、韓国のOhMyNews、日本の2チャンネル、というそれぞれの国発祥のサービスが、それぞれのお国柄を表していると考えるとおもしろいのかもしれません。
ソーシャルニュースサイトの比較表です。あくまでざっとした見た目に基づく個人的評価ですのであしからず。
【欄の意味】
「投稿」:一般ユーザが投稿できるか(一般or限定)
「投票」:一般ユーザによる投票機能があるか(一般orなし)
「投票数」:そのサービスの利用数を評価する元情報として。ただし、全サービスの機能をわかっているわけではないので、もしかすると不正確な数字を載せているかもしれません。
「社会性」:社会問題ニュースが多い(=高)のか、身近なネタが多いのか(=低)
「下ねた」:一部のサービスは下ねたであふれていたため、この評価軸も入れました。
「カテゴリ分類」:投稿はカテゴリごとに分けられているか
「見た目」:完全に個人的主観です。
| サービス名 | 投稿 | 投票 | 投票数 | 社会性 | 下ねた | カテゴリ分類 | 見た目 |
| はてなブックマーク | 一般 | 一般 | 不明(多いものは数百票レベル) | 高 | ほとんどない | なし | よくない |
| OhMyNews | 限定 | 一般 | 不明(期間不明ながら数千票も) | 高い | ほとんどなし | あり | 普通 |
| newsing | 一般 | 一般 | 半月で1位:2805票、50位:887票、100位:647票 | 中 | 少ない | あり | よい |
| 一般 | 一般 | 不明(数票程度) | 高い(IT系) | ほとんどなし | なし | 普通 | |
| BlogMemes | 閉鎖? | ||||||
| buzzurl | 一般 | 一般 | 1日5-10票程度。多くて30票 | 高 | ほとんどない | あり | 普通 |
| Choix | 一般 | 一般 | 1ヶ月間で1位:635票、50位:199票、100位:140票 | 低い | 多い | あり | 普通 |
| iVote | 一般 | 一般 | 1ヶ月間で1位:561票、50位:363票、100位:306票 | 低 | ほとんどない | なし | 普通 |
| CoRich | 一般 | 一般 | 不明 | 中 | ほとんどない | あり | 普通 |
| PixNews | 一般 | 一般 | 1位:206票、44位:54票 | 低い | 中 | なし(タグあり) | 普通 |
| THE BLOG HERALD | 限定 | なし | なし | 高 | ない | なし | 普通 |
| @niftyトピックイット | 一般 | 一般 | 不明(多くて百数十票?) | 高 | ほとんどなし | あり | 普通 |
| gooソーシャルニュース | 限定 | 一般 | 不明 | 高 | ほとんどない | なし | よくない |
| Yahoo!みんなのトピック | 一般 | 一般 | 半月で1位290票、50位97票、100位74票 | 中 | 中 | あり | 普通 |
| Over-Ch | 一般 | 一般 | 10以下? | 低い | 多い | あり | 普通 |
| Saaf | 一般 | 一般 | 不明(数票?) | 中 | 低い | なし(タグあり) | 普通 |
| yuying | 一般 | 一般 | 不明(数十票程度) | 中 | 低い | あり | よくない |
| @NEWZ | 一般 | 一般 | 不明 | 低 | ほとんどない | ユーザごとの一覧 | よくない |
| SpoNew | 閉鎖? | ||||||
| 激論バトル | 一般 | 一般 | 不明 | 高 | ほとんどなし | あり | よくない |
2007年9月15日土曜日
インターネットが今までの価値観でいうところの社会的たりえるか
media pub:プロが編集したニュース 対 集合知で編集したニュース
http://zen.seesaa.net/article/55183313.html
Diggやredditなどのソーシャルニュースサイトとメインストリームニュースサイトでの、取り上げる記事の種類やソース元の比較情報が出ています。
やはり、メインストリームでは、国際問題や社会問題が取り上げられる一方で、ソーシャルニュースサイトでは、もっと身近なネタが多いようです。
アメリカでもそうなのだから、日本はもっとそうなのでしょう。
ところで、この結果を受けて、やっぱりみんなの意見が集まるソーシャルニュースではニュースたりえないなぁ、という感想を持つこともできます。
さらにもう少し踏み込んで、世の中で日々起こっている事柄について、メインストリームのメディアが取り扱う情報の偏りをどう評価するか、つまり、本来はみんなはもっと身近なことに興味があるにもかかわらず、いわゆる今までのメディアのニュースが社会問題ばかり取り上げているということが、はたしてよいことなのかどうか、社会問題のニュースは既存メディがなければ元々は知りえないような情報であり本当はわれわれにとってたいしたことじゃないんじゃないかと問い直すことも可能です。
さらにさらに翻ってみると、それでもやはり、社会に属するメンバーとして、一見われわれにとって直接関係のない社会問題であっても、そのことを知り考えるということは重要だと言えると思います。
それが重要なのは、客観的根拠があって、あるいは数えきれない出来事や情報と比較して、重要なわけではなくて、「お年寄りに席を譲ろう」「選挙に行こう」といったスローガンから、一方的情報伝達である義務教育、さらにはマスメディアによる情報取捨選択の偏りといった社会の隅々に行き渡る啓蒙的価値観から重要なだけではあります。
が、すでにそういう社会が存在し、そういう社会に属している以上、その価値観を真っ向から否定してもしょうがなくて、意味がなくて(ただのクレーマーにしかならない)、そうした価値観をいかに継承していくのかということも、インターネットに課された重要な使命だと個人的には思っています。
そこを否定すると、インターネットはただの反社会的道具にすぎなくなってしまう。
自分は、インターネットにはもっと可能性があると考えています。
というこういう文章も、まさに啓蒙的価値観による情報発信ではあるのですが。
2007年7月24日火曜日
最近遊んだソフト2:Joost インターネットTVの可能性
最近遊んだソフトもう1つ。
■Joost
P2P技術を使った動画配信の仕組みです。
インターネットTV(IPTV)の試みとして注目されているようです。
当然まだ英語の番組しかありません。また、個人的にはとくにこれが見たいという番組があるわけでもありません。英語の勉強がてら番組を垂れ流す程度でしょうか。(PRIDE!だっけか?に出てしばらく休養しているはずの五味の海外での試合などがありました。ボコボコにされてましたが。。。)
ユーザインタフェースはかっこよくておもしろく、この辺もいままでのこの手の取り組みとの差異化となっていると思います。なかなかワクワクするようなUIです。
@ITP2Pテレビの「Joost」を試してみた
ITPro P2P動画配信の「Joost」が台風の目に
開発者は、P2Pソフトで有名なKaZaAを作り、その後Skypeを作ったルクセンブルグのNiklas Zennstrom氏とJanus Friis氏です。
KaZaA を作ったものの違法コンテンツ交換が行われてやがて廃止に追い込まれ、その後著作権のないIP電話に移り、さらに合法的な動画配信の仕組みに戻って来るというその経歴もまたおもしろいです。いずれのソフトでもP2P技術が基盤にあります(がんばれ、日本の47氏)。
JoostはしばしばYouTubeと比較されます。
が、そもそも別物と捉えた方がよいのかもしれませんね。
YouTubeの核心はマッシュアップで、それはいわばインターネットの世界を動画に広げたものとなると思います(本来的には)。人がタダで情報を発信して作られてきたインターネットを動画の世界にも広げるというものです。
対して、Joostは、今まで無線やケーブルTVでブロードキャストしてきたコンテンツをオンデマンドで配信するための基盤となるものです。TVの世界をインターネット上に持ち込むことでオンデマンドかつインタラクティブにするというものになります。
YouTubeは、基本的には、デジタルビデオカメラの普及による動画というコンテンツフォーマットの広がりに対応したものとなります。
もちろん、その狙いの先には、法人自体がYouTubeのようなメディアを使って情報配信するようになることで、TVとの垣根を崩そうというものも見え隠れしてはいると思いますが。あるいはさらにもっと先を行って、今の著作権のあり方自体の根底を揺さぶる可能性を秘めたものでもありますが。
他方で、Joostは、今までも試みられてはいまだうまくいっていないインターネットとTVの融合を目指そうというものになります。
たとえば、下リンク先のようなTVの側からの取り組みも平行して行われており、現時点ではどのような形が主流となるのかははっきりしていません。
ICTV―すでにユーザーがもっている普通のテレビ上の対話的テレビ
Joostは、Viacomなど優良動画コンテンツオウナーの賛同を得ていることが最大の強みです。他にも多くと提携しており、コンテンツオウナーと広告主、およびユーザの両方に配慮したコンテンツ配信の仕組みが目指されているそうです。
日本のTV局もぜひこのような方向に一歩踏み出していってほしいものです。別に自前のものでもなんでもいいので。海外ではどんどん進んでいっているのに、国内ではどこもだれも一歩を踏み出さないというのがユーザにとって一番不幸ですね。
2007年6月17日日曜日
共同経験の場としてのマスメディアと情報の効率的収集というインターネット・メディア
TecgCrunch:Revver創始者がパーソナライズできるニュースサービスThoof開設
という記事がありました。
パーソナライズ可能なニュースサイトの新規加入組Thoofについての記事です。
著者はこの手のサービスに批判的で、曰く、
こうしたサイトが何故成功しなかったか?それには私なりの説明がある。人というのはニュースを読むと普通そのニュースについて友だちと語り合いたいと思う生き物なので、一人の人が“おもしろい”と思うものは他のみんながその日何を読んだかにだいぶ影響を受けていると思うのだ。みんな大きなニュースサイトに群がるのは何故か?というと、他のみんながそこに群がるからだしね。なので、本当に自分の興味範囲のニュースだけ求めるニッチな読み手ばかり相手にしてたんでは不十分で、こうしたスタートアップは生き残ってゆけない。
としています。
以前書いたように(マスメディアと共同体的記憶とYouTube)、今日のマスメディアは"共同体的記憶"という重要な社会的役割を担っているために、著者やThoofの創設者のようにこれを個別化を得意とするインターネット・メディアとそのまま比較するのはつらいところがあります。
一斉と個別、PullとPushで、情報配信メディアを分類してみました。(かってなマッピングなので変に感じるところもあるとは思いますが)
■インターネット以前の情報配信
■インターネット後の情報配信
無線による一斉配信というマスメディアのあり方は、いまだインターネット・メディアが及んでいない領域です。
正確には、1996年頃に"プッシュ技術"が現れ、従来のマスメディアの牙城に食い込むかのごとくもてはやされましたが、その後すぐに衰退しています。
野口悠紀夫Online:一世を風靡した「プッシュ」とキム・ポレーゼ
しかし、この領域こそが、よくもわるくも今日の社会の共同体的記憶の役割を担っているのだとも言えます。
インターネット・メディアは、個別化を得意とし、情報の効率的な収集、あるいは専門的/マニアックな情報の配信に効果を発揮していると言えます。
他方で、テレビや映画などの一斉配信方式は、ユーザの共同体験や共同体的記憶を担っています。
映画などのコンテンツは、情報の閲覧ということだけで言えば家でオンデマンドで見ることがもっとも効率的です。ただし、デートで映画館に行ったり、家族で映画館に行ったりする家族や友人との共同経験作りという点では、映画館という場は非常に重要な意味合いをもちます。同様に、テレビは、リビングルームに鎮座することで家族の共同体験作りにいまだ大きな役割を果たしていると言えます。
* 情報やコンテンツを効率的に配信する
* 情報やコンテンツをベースに体験を共有化する
ということをきちんと区別して考えないと、状況を誤って捉えたり、間違ったポジショニングをしてしまうのではないでしょうか。
その意味では、インターネットは、1つ目については現状でかなり成功しているのであり、革命的に便利なツールを多数提供してくれています。
自分が興味があることの1つは、2つ目の部分について、インターネットがどこまで取り込んでいけるのかということです。
この部分にまでインターネットが何かを起こさないと、たとえば「こちら側vsあちら側」という某煽りが、現状追認にすぎないわけではなく、ほんとうにこれから起こるかもしれない革新性を表しているんだということにはならないと思っています。
で、2つ目の体験の共有化をインターネットで取り組もうとすると、持論の1つである、インターネットでの匿名性の部分的除去などにつながっていったりするわけです(インターネットでの情報の集約実現のための真っ白でありえないプラン)。が、それについては、また別に。
2007年1月31日水曜日
Somethingとなりうる情報の流れ
前々回のエントリのコメントで考えていたことを図示するとこのようになるでしょうか。
この絵でもすべてを言い切れていませんが。
(画像をクリックすると拡大したものが見れます)
『Web進化論』で言う「(≒無限大)×(≒無)=Something」となりうるためには、ただ単に情報を垂れ流すだけでなく、情報の流れ方、集約のされ方が重要なのではないか?と考えています。
まずは、その問題点の指摘のエントリです。
・インターネット以前の情報の流れ
極論すると、今までは、マスメディアにしか社会への影響力はありませんでしたし、人々にとっての情報収集源の主なものもマスメディアでした。
ただし、人々は選挙によって社会に影響を与えることができました。
また、マスメディアに対しても投稿やアンケートなど限られて入るものの意見を吸い上げるパスはありました。
・初期インターネット時代の理想
そこにインターネットが登場してきて、すべての人の有象無象の意見が発信され、その中のいくつかが社会に影響を与え、極端な場合マスメディアはもはや不要になる、という夢のような物語が語られるようになりました。
・インターネット時代の情報の流れの現実
ところが、インターネットが普及した現在でも、実際には、
(1)マスメディアは依然として社会に大きな影響力があり、人々の主な情報源のままです。ブログ等で話題になるのもマスメディアによって報道されたニュースが中心だったりします。
(2)ごく一部のブロガー達は、自身のブログで意見を発信し、マスメディアや社会に影響を与えています。私の個人的な観察では、ここに所属するのは、元マスコミにいたフリーのジャーナリストの人々や学者(の卵含む)が個人名で発信しているものがメインです。あとは、フリーウェアなどを公開している方々でしょうか。ここの予備軍となるようなブログは数多くあるもののなかなか吸い上げ影響力を持たせるようになるようなパス/回路が少ないのが現状です。
(3)言い方は悪いですが、不特定多数の意見は、自己撞着的かつ情緒的に閉じたコミュニティ内で垂れ流されています。
かつ、ここに所属する人々がもし選挙に行かないとすると(ここは私の勝手な想像です)、これらの人々の意見は選挙を通しての社会への影響もまったくないことになります。
もともとインターネットの力として夢みられていたのは、(2)のような形態なのだと思いますが、実際に(2)と(3)の格差/壁は想像以上にあるのではないでしょうか?
別に(3)で井戸端会議をインターネットでしようがいいじゃないか、というのはそのとおりです。このブログ自体がそうですし。インターネットのおかげで会ったこともない人とも井戸端会議ができるようになったのは、それはそれでよいことでしょう。
それを踏まえたうえで自分がまずは言いたいのは次の3つ。
少々過激かつ扇動的な言い方で書くと。
■幻想を捨てよ、現実へ出よ
有象無象の情報の錯綜こそが力を持つという初期民主主義の幻想は捨てよう。インターネットがそういう力を持ちうる初期段階は脱したのではないか?そんな夢に甘んじている間にも、旧来のマスメディア勢力が着実に地盤を築いていっており、そうなるとインターネットの本当の力が骨抜きにされる可能性もある、ということです。そうなると、けっきょくインターネットは"サブ"カルチャーであり、"アングラ"である、ということになりかねません。
■開き直ってとどまらず、回路を開こう
(3)から(2)への回路を開くことが重要です。そして、(2)の力の増強のために(2)から(1)への回路を太くしていくことも重要です。
(3)は(3)で存在価値はありますしよいのですが、少なくとも(3)にとどまることが情報を発信しているのではない、という認識が必要なのではないでしょうか。
つまり、多くの人が、(2)と(3)の壁を乗り越え両方にまたがった活動をするということこそ、初期インターネットの理想に近いのだと思います。
(3)にとどまることで開き直ることも可能ですが、そのままなにもせずにSomethingの情報となることはよっぽど幸運な場合だけじゃないでしょうか。
もちろん、必ずしも(2)に活動領域を広げなくとも会社などの実社会や選挙で社会に関係していくこともできるので、私も含めて(3)にとどまっている人がぜったいに(2)に出て行く必要は無いとは思います。ただし、インターネットの世界の中だけで考えるとそれは必ずしもインターネットの力の増大には手伝っていないかもしれません。
いずれにせよ、どうやって回路を開き太くしていくのか、というところがポイントですが、すみません、このエントリではそこまで触れられません。(私自身答えもありませんし)
■情報を保護しつつ共有できる社会へ
実は(3)の人が一番情報の所有権に反発しているのかもしれません。が、何も発信しないのにタダで情報を得ようというのはムシがよすぎると言われてもしょうがないかもしれません。事実上、公共物のフリーライダーです。
他方で、マスメディアや情報の卸となっているところが、情報の所有権をたてに情報を独占し、情報の自由な流通を妨げている、というのも事実です。
情報を自由に共有するためには、まずは情報を保護し(少なくとも作品と創作者のクレジットが紐づくようにし)、その上で対価を得る仕組み(対価を得ない仕組みも含めて)を作っていく必要があります。
それについては、これまでも著作権がらみで私の意見は述べてきていますし、今後考えていきたいテーマでもあります。ので、このエントリではこのくらいで。
少々扇動的だったかもしれませんが、インターネット時代に夢描ける状態と現実にかなりの乖離があり、実はその乖離を固定化しようとしているのがインターネットの夢を見続けている初期インターネット・ユーザ達で、そうこうしている間にも、インターネットの夢は押しつぶされていくのではないか、という危機感からのエントリのつもりです。
「イノベーションのジレンマ」*1と呼ばれるものにインターネットが囚われないことを祈りつつ。
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*1 イノベーションを起こした当初の成功戦略や体験に居座り続けることで、イノベーションの普及期に後続に追い抜かれたりシェアを落としてしまったりすること。しかも居座り続けることが正しい戦略であるというのがジレンマとなっています。