2008年7月8日火曜日

規制のパラドクスと企業文化

オープンとクローズドを使い分けるGoogle」で、Googleの株式会社としてのあり方を少し書きましたが、以前、池田信夫blogにも株式会社についてのエントリがありました。

池田信夫blog:株式会社の本質

また、最近のエントリで、

池田信夫blog:Web2.0はもうからない

というものもあり、そこでは、この第2四半期にアメリカでIPO件数が30年ぶりに0件になったのはたまたま不景気だからではなくてもっと本質的な問題で、インターネットでの儲け方(monetize方法)が固まりつつあり、しかもそれがGoogleをはじめとする数社に握られだしているため、起業のゴールはIPOではなく買収によるexitになりつつあるのではないかという指摘がなされています。

起業/企業のあり方は刻々と変わりつつあります。

規制で透明性を高めようとすると逆に直接投資が減る?」では、株主のための透明性を規制で高めることが株主を遠ざけるというパラドクスがあるかもしれないと書きました。
かつて労働組合が強くなりすぎて結果企業は労働組合の言うことをそのまま聞く(福利厚生を厚くする)かわりに労組に加われる正社員を減らしていったように、株主のための規制が強くなりすぎると企業はそこを避けるようになるかもしれないし、消費社保護が規制でいきすぎると企業はそこからもなんらかの形で逃れるようになるのかもしれません。

日本でも、

isologue:今時のインディーズ映画制作と金商法(規制のおさらい編)


に、ちょっとお金を調達して映画を撮りたいというときにも金商法の対象となるようになってしまって非常にやりづらいということが紹介されていました。これも透明性を高めて詐欺などをなくそうという施策が別のところに弊害をもたらしているというパラドクスです。

制度設計の難しさですね。

話は戻って1つ目のエントリで、Googleが設けたChief Culture Officerというのはやはり興味深いです。

企業とは何だろうと考えるときに、提供するサービスや技術、経営者、株主や債権者、従業員などなどいろいろあると思いますが、ここにあげた要素はすべて代替可能と言えます。ところが、企業文化というものは変わりにくいものとしてあるようです。(もちろん、カリスマ経営者が牛耳っていて、辞めたとたんがらっと変わってしまうような企業もあるとは思いますが。)
経営者にとっても、企業文化をいかに醸成するかは大きな課題でしょう。

Googleが自社の企業文化にこそ企業の価値(会計的な意味ではなくて)をおいている証拠ですね。どれだけ成果を上げているのか(いないのか)は不明ですが。

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