2008年7月1日火曜日

現時点の裁判員制度についての問題点

先週末の「朝まで生テレビ」は裁判員制度についてでした。

来年から導入される裁判員制度については、一度「裁判員制度の日本での歴史的経緯」に書いています。
 そこでは、裁判員制度=参審制度のように書きましたが、朝まで生テレビを見るに、裁判員制度は参審制度と陪審員制度の間を取った日本独自の制度だということが分かりました。
具体的には、

陪審制参審制裁判員制
有罪の判断
量刑の判断
審議への職業裁判官の参加
選出方法選挙権民から抽選推薦等選挙権民から抽選
任期事件ごと1〜数年事件ごと

つまり、日本の裁判員制度は、審議を職業裁判官といっしょに行い量刑まで判断するという意味では参審制度に近いですが、事件ごとに選挙民から抽選で選ばれるという意味では陪審制に近いものとなります。(ただし、今調べると国によっては参審制でも抽選のところもあるようです)

裁判員制度がこの時期に導入された経緯ですが、
  • 先進国には導入されている司法への市民参加が日本にまだ無いことから、以前から経団連等から陪審制の導入の働きかけがあった
  • 90年代に日弁連会長となった中坊公平さんが強力に司法への市民参加を押し進めた
  • 警察-検察-裁判所が組織的に連携していてどうしても馴れ合いの部分が生じ、そのために市民から見てあきらかにおかしな判決がくだされることが多々あったため、関係者の間ではかねてから司法改革の必要性が唱えられていた
  • 起訴されれば99.9%有罪なので、弁護士としても無罪を勝ち取る希望がほど遠く、真実を明らかにするよりは情状酌量で量刑を減らすという戦略をとるなどして、適切な裁判が行いにくかった
などが指摘されていたかと思います。

司法の硬直に対して、何度も改革しようという動きがあったもののなかなか内部からの改革はうまくいってこなかった。そこで、市民参加させることで劇的な改造を狙うというのがこの制度の主な推進理由のように読み取れました。

それに対して、反対派からは、
  • 警察-検察-裁判所の癒着の改革には、市民参加よりももっとやることがあるのではないか
  • 裁判員制度が利用されるのが死刑や無期懲役等になりうる重大な刑事事件に限定されているが、導入していきなり重大な刑事事件を担当させるというのは問題ではないか、もっと身近な事件からにした方がよいのではないか
  • 職業裁判官でさえメディアの影響を受けるのに、裁判に興味の無い一般市民が大きくメディアからの影響を受けて正しく判断できなくなったりしないか
  •  重大事件を取り扱うにも関わらず、法務省のパンフには3日くらいで済みますというように非常に軽いタッチで書いてある、いざ参加してみての重さもたいへんだし、逆に重大事件をどうしても期日までに終わらせようという意志が働いてしまうのは問題ではないか
などの意見がありました。

司法の抜本改革のために、もともとは日弁連も"陪審制"の導入を目指していたようです。ところが、裁判所側がこれに強く反発したため妥協案としての裁判員制度になってしまったようです。裁判所が反対する理由は、陪審制だと有罪/無罪の判断に裁判官が関われないからです。まず、ここで何かがずれはじめている気がします。

さらには、裁判員には重い守秘義務が課されます。これも裁判所側からの強い要望で盛り込まれたようです。ノウハウの蓄積という意味でも裁判員になった人にはその内容についてプライバシー等に問題ない範囲で語ってもらいたいところですが、どうも裁判所は保身に走っている気がしてなりません。
ちなみに、アメリカの陪審制では裁判中は当然守秘義務がありますが、終われば内容について話してもよいそうです(もちろんプライバシーに関することはダメですが)。

今、司法に一番問題があるのは、警察や検事による捜査や取り調べと、裁判所との馴れ合いです。そこにこそ改革のメスを入れなければいけないところですが、法務省傘下の官僚組織に内部浄化を期待しても難しいし、外部からどうこうしようとしてもすべて骨抜きにされてしまうのでしょう。なので、その上部構造である裁判という制度から改革しようというのはわかる気がします。官僚は市民に対してはなにも文句を言えないので、市民が参加するというのは一定の意味があるように思えます。
ちなみに、裁判員制度に賛成した社民党は、付帯決議として自白調書取得時のビデオ撮影などを盛り込んでいるようです。が、あくまでも付帯決議なのですが。

裁判員制度が国会で可決されたときにはだれもまじめに考えていなかったのが、ここへきて現実味が増してきてみんなが考えるようになってきています。それ自体はよいことなのかもしれません。

朝まで生テレビでは、最後は少なくとも開始を遅らせて現時点で問題と分かっている部分は修正してから施行すべきだというような結論に傾いていました。
果たしてどうなるでしょうか。

個人的な意見としては、基本的に司法への市民参加には賛成です。が、対象事件に今冤罪が問題となっているような選挙違反事件や国家への訴訟を含めるべきでしょうし、何より理不尽な守秘義務はどうかと思います。
また、市民が司法に参加していくんだという前提での教育の充実は重要でしょう。

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