このブログのテーマとは直接関係ありませんが。
30日、フセイン大統領の死刑が執行されたニュースが流れています(たとえば、asahi.com)。
日本でも、今月25日に4名の死刑が執行されました。
他方で、27日に、フランスのシラク大統領が、「死刑廃止」を憲法に盛り込む意思表明をしています。(Yahoo!ニュース:仏憲法「死刑廃止」明記へ シラク大統領、新年に提案(12月29日8時0分配信 産経新聞))
ちなみに、ヨーロッパ各国は、イギリスも含めフセイン大統領の死刑に反対しています。フセイン裁判が国際法廷ではなく米国主導のため、その意見はフセイン裁判には反映されていません。
世界の流れとしては死刑廃止の国が増加しているのですが、先進国の中ではアメリカと日本だけが死刑を存続させています。
死刑に関する客観的事実を列挙すると、
【国際社会の流れ】
* 2006年12月現在、世界197ヶ国中128ヶ国で死刑が廃止
* 1989年12月に国連総会で死刑廃止条約が採択されるも日本は反対、現在まで批准せず
* 先進国で死刑を執行している国は、日本とアメリカ(50州中13州は死刑廃止済み)のみ
【国内の状況】
* 国民の大多数(8割以上)は死刑賛成
* 切腹等の死生観、文化的背景(悪いことをした者は死んで当然という感覚)
世界では死刑は廃止の流れなのですが、日本ではそうはなっていません。
その理由としては、
1. 日本独自の国民感情や意見、文化的背景を反映している
2. 国民が死刑に関する世界動向を知らない
のどちらでしょうか。
前者(1)であれば問題ないのですが、後者(2)であればあまりよくないと考えています。このエントリが少しでも死刑に関する世界動向を知るためのの補助になればと思います。
それにしても国連などの国際的権威に弱い日本が、こと死刑に関しては反対し続けているというのも不思議な感じです。
環境問題で京都議定書にアメリカが批准しないことに憤りを覚えている人は多いように思いますが、日本も批准していない国際条約があるということは認識しておくべきと思います。
(環境問題は一国内の問題ではないと思われるかもしれませんが、死刑も、日本国内で犯罪を犯した外国人が死刑になりうるという意味では単純な国内問題ではありません。)
死刑については、
* 文芸春秋編 日本の論点Plus [死刑廃止についての基礎知識]
* 世界:死刑執行:国内世論と国際社会から見えること
死刑に消極的賛成の方のサイト
* 犯罪の世界を漂う
中立的立場ながらも死刑反対の方の意見
* ビジネスのための雑学知ったかぶり:死刑廃止をめぐって
=====
(個人的意見)
私は、基本的には死刑に反対です。
が、法律はその国に住む人の意見を抽出したものであるべき、とも思いますので、大多数が死刑賛成の現状では日本で死刑が存続してもしょうがないとは思っています。
せめて、日本で死刑が存続する理由が、死刑に関する世界の動向に無知であるため「ではない」ことを願います。
多くの人が指摘するように、終身刑がないことも問題と思っています。
私が死刑に反対な理由は、
* 何人たりとも人を殺してはいけない、という原則を社会全体として尊重すべき
* 死刑の犯罪抑止効果に疑問
* 死刑が被害者の気持ちを慰安するか疑問
* 近代社会においては、応報を招く"報復"を禁止し、国家による罰金や禁固などの刑罰によって換算することで社会的安定を得ているが、死刑は"報復"的である
です。
犯罪被害者のケアは第一に考えられなければなりませんが、それが死刑だとは考えないという立場です。死刑よりももっとすべきことはあるはずです。
いずれにせよ、2006年12月で128ヶ国もの国が死刑を廃止しても、社会的不安定になることなく、被害者のケアを行い、加害者に相応の懲罰を与えている、ということからも、「犯罪抑止力」と「被害者のケア」という問題に死刑が直接関係ないと言えるとも思います。
日本では、死刑があっても凶悪犯罪は後を絶たないですしね。(死刑の適用が甘いからだという意見もあるでしょうが)
死刑存続の理由として、社会機能の効用があまり考えられないのだとしたら、文化的背景が大きいというのはそのとおりかもしれません。
私自身、昔は死刑についてなんの疑問も抱いていませんでした。私より上の世代では「死刑っ!」というギャグまであったくらいですから。
日本人の国民意識として「悪いことをした者は死んで償うべき」というものはある気がします。それと、自分で責任をとって命を絶つことの潔さというような死ぬ美学があるような気もしています。
ただし、個人的にはこの死生観は非常に危険で、改めていった方がいいのではないか?と考えています。(何十年、何百年かかるのかもしれませんが)
第2次世界大戦の玉砕精神や神風特攻隊のようなもの、浅間山荘事件や日本赤軍、最近ではオウムなどで、まさにこの精神が悪い方向に出てしまっているのではないでしょうか。
最近でこの死生観が悪い方向に出ていると思えるのは、いじめ自殺の問題です。(さらに脱線していってしまいますが)
ワイドショーなどで、凶悪犯事件のときにコメンテイターが「卑劣な犯罪者は死ぬべき」などと言った直後に、いじめ事件で「ぜったい死んではいけない」とか言っているのを見るにつけて矛盾を感じます。
「悪いことをしたら死ね」という言葉を、極悪犯罪予備軍の人が聞いて「そのとおりだ!」と思って考えを改めるでしょうか?
逆に、こういう言葉が一番突き刺さるのが、まじめで心の弱い人たちなのではないかと思います。
いじめ自殺した人の遺書に「私がいるとみんなに迷惑がかかるから死にます」というようなことが書かれていることが多いように思います。
いじめで自殺してしまう人の中には、自分が悪いと思い込んでしまう人が少なくないように思います。もちろん、その先にはいじめた人への怨念のようなものはあるとは思いますが。でも、普通に人のせいにできているうちは自殺にまで思いつめないと思います。
実は、私には、自殺した知り合いがいます。
また、自殺未遂で大怪我の後生き残った知り合いもいます。
さらには、自殺願望のある(あった)知り合いもいます。
こういう境遇にあるのは特異なのかもしれませんが(私はカウンセラーでもなんでもありません)、彼らと話していて感じるのは、「自分がいると周りに迷惑がかかる」「自分のせいでみんなが困る」といったような気持ちがあることです。
「悪いことをしたら死ぬべき」という死生観が、今一番心に響いているのはまじめで心の弱い善良な人たちではないでしょうか?
「何人たりとも死んではいけない」というメッセージを社会として出していくためにも、死刑は存続するとしても、マスコミを通じて死刑を声高に主張するのは控えたほうがよいのではないか?と思ったりもします。
2006年12月30日土曜日
死刑についての国際情勢と日本の事情
2006年12月28日木曜日
Web2.0的世界での権利の濫用の問題
ITセキュリティの世界では、
* 権利の違反
* 権利の濫用
という概念を使ったりします。
「権利の違反」は、ITセキュリティの世界で言うと、クラッキングであり、なりすましであり、盗聴やバイパスなどなど、いわゆるシステムへの攻撃のことです。
「権利の濫用」は、正しい権限のある人が、必要以上に情報を閲覧したり操作したりすることでセキュリティ侵害を起こすことです。たとえば、情報漏えい事件の中には、システムを運用する人が与えられた自分のIDでデータを盗み出すようなケースがあり、これは権利の濫用となります。運用するためにはデータにアクセスできなければならないが、それを運用以外の目的で利用しているからです。
「権利の違反」は、お金と時間さえあれば対策可能です。問題は、対策がいたちごっとなることです。
「権利の濫用」は、対策を施すことが困難です。というのも、どれが正しい情報操作でどれが濫用しているものなのかの区別を機械的につけることが難しいからです。夜中にアクセスしているとか、大量にダウンロードしているとか、兆候となるものの検出や状況証拠の収集は不可能ではないですが、それも正規の操作ではないとはなかなか断定できません。最終的には、本人の意志を確認するか、事件が起こってしまうかしないと、なかなか特定できないものです。
Web2.0時代の、SNSやWikipediaなどの万人参加型のサイトもまた、まさにこの「権利の濫用」に悩んでいると言えるでしょう。
先日、「ソーシャル・ニュース・サイトの信頼性はアカウントとの長期的関係により成り立つか」というエントリでも書きました。
正しいユーザが正しく"ウソ"を書き込んでしまった場合、"ウソ"の情報が流通してしまう可能性があります。
もし、サイトをシステム的に攻撃してくれるのであれば、なんらかの対策は可能です。
そうではなく、正しいユーザが正しく振舞って"間違ったこと"をすれば、この行為を防ぐのはそう簡単ではありません。
「池田信夫blog:2ちゃんねる化するウィキペディア」
でも、日本のウィキペディアの信頼性の低さの指摘がありました。
「TechCrunch:Pageflakesで何やらおかしなことが起こりつつある」
でも、ポータルサイトのPageflakesでやFeedBurnerが正しいやり方で不正に利用されてその信頼性が低下しそうなことが伝えられています。
現実世界でも、「権利の濫用」は起こりうるのですが、現実世界では人間的なプロセスを回すことで第3者のチェックをいれこの濫用を防いでいます。
デジタル世界でも、人間的なチェックを入れれば対策はできるのですが、それではデジタルのメリットが半減してしまいます。自動的に処理できてこそのデジタルのメリットですから。
「権利の濫用」という行為に対してなんらかのデメリットがもたらされないと、こうした行為は起こってしまうでしょう。
「権利の濫用」に対して、懲罰的なデメリットを与えるためには、その行為を行うユーザを特定する必要があります。現実世界の個人を特定する必要はないまでも、デジタル世界のユーザ・アカウントを特定し、そのアカウントが持つ各種特権を剥奪するなどのデメリットを与える必要があるでしょう。
そのためにもやはり、"不特定多数の匿名"というのは都合が悪いように思います。固定ハンドルネームを持つような世界にならないと、こうした「権利の濫用」に対するある程度有効な対策が打てそうにありません。
もちろん、インターネットの世界から"不特定多数の匿名"を撤廃したほうがよいという話ではありません。
が、少なくとも、"不特定多数の匿名"でいられる2チャンネル的世界と、固定ハンドルネームもしくは実名で活動する信頼できる世界の両方が必要なのではないでしょうか。ウィキペディアは後者の世界にあった方がよいですし、そうでなくなってしまうと「2ちゃんねる化するウィキペディア」と表現されてしまうのでしょう。
ちなみに、日本のインターネットでは不特定多数の匿名が好まれますが、アメリカなどの海外では逆にインターネット上で実名で活動する人のほうが圧倒的に多いです。「実名だと犯罪に利用されたりするから匿名にしましょう」という呼びかけがあるくらいです。
これもまた、"個"が確立し自己主張が強い文化と、"衆"の中にうもれた方が居心地がよい文化の違いなのでしょうか。
2006年12月27日水曜日
Creative Commonsに動き:理事長の禅譲と今後の方向
ちょっと間があいてしまいました。
この間、ダイエットを開始しました。どうでもいいですね。
前回のエントリ(「新聞社がサイト記事に対してCreative Commonsを採用」)とも関連して。
ITmedia:Creative Commonsに新理事長が就任、レッシグ氏はCEOとして続投
Creative Commonsに大きな動きがありました。
Creative Commons創設者のレッシング氏がより動きやすいように、理事長の座を伊藤穣一氏に禅譲したそうです。
Creative Commonsは今後、
* Creative Commons関連のツールを公開しているccLabsの拡充
* 指定したライセンスを越えての利用に対して営利的な権利を主張できる仕組みの整備
* Creative Commons Version 3の整備
などなどに取り組んでいくそうです。
さらには、Code v2も出版されたようです(『CODE』の改訂版)
Creative Commonsが完璧かと言うとそうではないのでしょうが、少なくともCreative Commonsは、デジタルコンテンツに対するライセンスに関して、現在実際に運用されているもののなかでもっともデジタル世界に適したものの1つであり、かつ対象範囲がもっとも幅広いものの1つでもあります。
営利的権利の主張(経済的対価の取得)についてはまだまだいろんなやり方が開発されていくと思いますが、コンテンツに対する著作権の主張については、 Creative Commonsのようなものが定着していけば、デジタル世界はより使いやすく便利なものへと進化していきそうです。
2006年12月23日土曜日
新聞社がサイト記事に対してCreative Commonsを採用
メディア・パブから。
メディア・パブ:新聞もついにクリエイティブ・コモンズを採用へ
米GateHouse Media社が、サイト記事に対してCreative Commonsを採用したそうです。
最近のアメリカの新聞社は、インターネット上での展開にも積極的で、インターネット・ニュースによる広告収入を強化してきているようです。
それによる経済的対価の確保が可能となったことで、記事コンテンツの囲い込みによる経済的対価の確保というモデルを放棄し、逆に、自社の記事を広く流通させるために記事の著作権を主張しつつコピーを自由にするというモデルに移行しつつあるのでしょうか。
2006年12月21日木曜日
アメリカ人記者による日本のIT業界の問題点指摘記事
以前、「ものづくりの知恵をITに」というエントリで、ThinkITの連載記事を紹介しました。現時点で、5回ほど続いています。いずれも非常に興味深い内容ですので、興味のある方はぜひ。
ここが変だよ!日本のIT
第1回 ものづくり現場の知恵を活かし、ITプロジェクトを改革せよ
第2回 なぜ日本のIT業界ではスーパーSEを育てられないのか
第3回 ITの効果を享受するためにSI・ベンダーの使い方を変えろ!
第4回 間違った「顧客至上主義」が蔓延!ユーザと情報システムの関係を見直せ!
第5回 情報の非対称性を踏まえてIT調達プロセスを見直せ
基本的には、アメリカの良い例と日本の典型的な例を比べて問題を指摘しています。
アメリカにも失敗事例はあるだろうし、日本にもうまくいった例はあると思いますが、そういうことを踏まえたうえでもなかなか的確な指摘がされていると思います。的確であるがゆえに、根本的で根が深く、この問題を日本で解決していくのには時間がかかりそうです。
また、アメリカのやり方をそっくりそのまま持ってきてもうまくいかないということもあるでしょう。
でも、元はといえば、アメリカでも80年代に日本の製造業のやり方を学んで積極的にソフトウェア産業に取り入れていったのでした。その過程で、アメリカ流にカスタマイズされているものもあるでしょう。
その逆流に今取り組むべきなのかもしれません。
まずは、90年代を通じて企業のあり方が大きく変わると同時に、企業のITも大きくパラダイムシフトしてしまったという認識をもつことが重要でしょう。
具体的には、
* ITが定型業務ツールだけではなく知的作業ツールとしても積極的に活用されるようになった(企業内での情報の使い方流れ方が変わった)
* コンシューマライゼーションが起きた(「コンシューマライゼーション(消費者先導型IT)」)
といった点が指摘できると思います。
それにあわせて、今までどおりのITシステムの作り方ではうまくいかなくなってきているのです。
その具体的な問題の指摘が上に紹介したリンク先記事に整理されていると考えています。
話和は少し変わって、「ITPro:プロジェクトマネジメントは先達に学ぶべき?」という記事を読むと、ITの現場のPMの方々も、製造業のプロジェクト・マネジメントに学ぶ必要があると考えているようです。
こうした問題意識によって、今後ITもうまく変わっていけるでしょうか。
不正なコンテンツへのリンクは違法豪控訴裁判所、無許可MP3ファイルへのリンクを掲載したサイトに違法判決
豪控訴裁判所、無許可MP3ファイルへのリンクを掲載したサイトに違法判決
不正なコンテンツへリンクをはることは、諸外国でも違法とされています。
リンク先記事では、最近オーストラリアでも違法とされたほか、過去にはアメリカやオランダでも違法とされているようです。
YouTubeが違法でないのは、YouTubeが違法性を指摘されるとそのコンテンツを削除しているからです。この行為は、アメリカのミレニアム著作権法にのっとっているとされています。
池田信夫blog: Person of the Year
におもしろい指摘がありました。
恒例のTime誌の「今年の人」は「あなた(You)」だったそうです。具体的にはYouTubeやブログなど、一般市民がつくるもの(CGM)が特集されたそうです。とくにYouTubeを高く評価する記事だったそうです。
かつて、Time誌が1982年にパーソナル・コンピュータを今年の人に選んだとき、それ以降コンピュータ業界はコンシューマライゼーション(およびダウンサイジング)の方向に大きくパラダイムシフトしていきました。
実はその年、日本では「第5世代コンピュータ」プロジェクトで人工知能を国策として推進したにもかかわらず、うまくいきませんでした。
そして今年、Time誌がYouTubeをはじめとするCGMを今年の人とした一方で、日本では、Winny判決のようなものがくだされました。
なにか考えさせられる指摘ですね。
ただし、池田さんは、Winny判決がYouTube的なものを違法だとするものだとされていますが、その指摘は必ずしも正しくないとは思いますが。
結果としての美しさ
404 Not Found:美しいプログラムの美しくないソース
シンプルなプログラムが美しいという記事を受けて、小飼弾さんが半分賛同しながらも、シンプルなインタフェースを用意するために内部のソースは複雑になってしまうこともあり、それでもインタフェースがシンプルだったら美しいと思う、という趣旨を述べられています。
シンプルなものが美しいというのはあたっていると思いますが(もちろん、シンプルだけが美しさではないですが)、そのシンプルさの背後にはたくさんの思考や試行が隠れいてるものだとは思います。
美術作品であっても、何重にも絵の具が塗り重ねられていたり、別の絵の上に描かれていたり、そうでなくてもたくさんのデッサン(習作)を経ての作品になります。
線しか描かれていない現代美術であっても、たくさんの複雑極まりない思考の末に現れてきているものです。
そういう意味でも、シンプルで美しいものは、その背後に複雑なものが隠されているというのはそのとおりだと思います。
美しさは結果であって、過程はそのかぎりではありません。
2006年12月20日水曜日
ソーシャル・ニュース・サイトの信頼性はアカウントとの長期的関係により成り立つか
「インターネット・ニュースにおける信用度の問題」で、ソーシャル・ニュース・サイトの信用度について触れました。
CNET:digg、やらせ投稿対策に乗り出す--規約違反者のアカウントを削除
diggは、やらせ投稿をしたアカウントを削除することで対応しだしているようです。
今回の件は、元来はdiggに対して長くに渡り非常に貢献しているあるユーザがつい"やらせ"に対応してしまった、という事件であったために、アカウントの削除という"懲罰"と、それに対する謝罪ということで穏便に片付いたようです。その後、このユーザはアカウントも復活しているようです。
このように悪事を働くユーザを地道に排除していくしか、ソーシャル・ニュースの信頼性を高める方法はないのでしょう。
ただし、確信犯がたくさんのアカウントを使い分けてこのような操作を行うような場合、このような対処ではうまくいきません。
その場合、アカウントに対して貢献度に応じてポイントを与えるなど、ユーザとの長期的な関係を成り立たせる方策を考えた方がよいのかもしれません。
そのうえで、ポイントの高いアカウントによる投稿(digg)ほどニュースに対するポイントも高くするなどの仕組みを整えれば、不正を起こりにくくできるのかもしれません。
日本の著作権権利団体からの要請に対するYouTubeからの回答
「著作権は主張すべき、でもどうやって?+著作権法厳罰化の動き」で話題にした、日本のJASRACなどの権利団体がYouTubeに提出した要請に対して、YouTubeからの回答があったそうです。
ユーチューブが著作権侵害で回答:「日本でのビジネス展開を検討」
「まずはビジネスとして話し合いをしたい」というなんという王道な対応!日本側にボールが投げられた状態ですね。
こうなってくると、日本側の対応のスマートさが問われます。どう返すか。
悪意ある利用状況を認識しているにもかかわらず改善策をとらないことが幇助である
ITmedia 寄稿:小倉秀夫弁護士 Winny裁判を考える なぜ「幇助」が認められたか
以前のエントリとはまた別の弁護士さんの意見です。
今回の"幇助"の解釈としては、悪意ある利用状況を認識しているにもかかわらず改善策をとらなかったことが幇助となっていると解釈されているようです。
また、よく出る「今後のソフトウェア開発にブレーキがかかる」という意見に対しては、
「新しいソフトウェアに盛り込んだ新しい技術が悪用されるかもしれないと認識しつつ公開に踏み切った」程度では、「現実の利用状況」自体が存在しないのでので、幇助犯とはなりません。
ただ、自分たちが開発し公開しているソフトウェアが現実社会において主として特定の種類の犯罪行為に広く利用されていることを知った時には、公開を停止するとか、そのような犯罪に利用されにくいように仕様を改善するなどの措置を講ずることが求められるとはいえるでしょう。
とされています。
ナップスター・インタビューデジタルARENA:定額配信サービス上陸!ナップスターが変える音楽の"価値"
デジタルARENA:定額配信サービス上陸!ナップスターが変える音楽の"価値"
ナップスターの人へのインタビューです。タワーレコードが考えるナップスターや、お金の分配についてなどについての興味深いインタビューとなっています。
「音楽を所有という概念ではとらえたくない。文化として売っていきたい」というのは、現状の音楽文化のおかれた状況の的確な認識かと思います。
ナップスターは、DRMと定額配信を組み合わせてのサービスモデルを組み立てています。
現在、成り立っている音楽配信サービスモデルは、iTunesとナップスターだと思います。iTunesは一時期ほど売れなくなってきているというニュースもあります。今後、どういうサービスモデルが成功していくのでしょうか。
2006年12月19日火曜日
インターネット・ニュースにおける信用度の問題
「集約機能の精度の問題」というエントリで、ソーシャル・ニュース・サイトdiggに虚偽の情報が掲載されたというメディア・パブの記事を紹介しました。
これに類似した行為は一度きりのようなものではなく、マーケティング目的で継続的に行われているようです。
すなわち、広告目的で特定サイトへのアクセスを誘導するために、報酬を支払うなどしてdiggの投票を促すような組織が存在するようです。
CNET:Diggへの「やらせ投稿」問題--ついに証拠が浮上?(「天敵」が追求中)
CNET:ランキングをめぐるもう1つの戦い--急成長したdiggを狙う情報操作
無記名の人気投票がなんらかのメリットを生み出す場合、このような情報操作は必ず現れてくるでしょう。SEO(Search Engine Optimization)以上のものとして。
とくに集計が機械的なものの場合、その裏を書くやり方が出てくることは容易に想像できます。
そのような例は有名企業などでも起こりえます。
Engadget:ソニーまたヤラセ:PSP絶賛の偽「ファンサイト」で炎上
JCASTニュース:NHKに取り上げられた 女子大生のブログ炎上
民主主義の仕組みに乗っ取れば、このような虚偽の情報も長期的には淘汰されていくはずです。が、ニュースというようなある特定の時点での露出度を競うような場合には、直接民主主義はその効果を発揮しきれないのではないでしょうか。
つまりは、悪用されやすいのではないでしょうか。
nikkei BPnet:オーマイニュース(韓国):Web2.0の先駆け
オーマイニュースであれば、記者が登録制であるために、虚偽のニュースを掲載すればその記者の信用度が下がるという意味で、誰でも投票できるdiggのようなソーシャル・ニュース・サイトよりもニュースというメディアにとってより適しているように思えます。
が、韓国では発展したものの、日本では苦戦しています。
上のリンク先では、日本ではすでにブログが発達していたためとしていますが、それだけが原因でしょうか。
たとえば、kizashi.jpのようなブログ頻出語の傾向を見るサイトでは、既存ニュースに対するリンクが圧倒的に多いことが見受けられます。
つまり、日本の大多数のブログは、既存メディアで話題になったことを引用して自分のブログでも話題にしているのです。
まだまだ既存メディアの影響度が大きいのかもしれません。
あるいは、日本では、単純にオーマイニュースの認知度が低いためかもしれません。
また、オーマイニュース上では、ニュースの書き方についてしばしば炎上しているようです。これは、日本での市民ジャーナリズム発展のために通るべき茨の道ととるか、日本では受け入れられていない現象ととるか、どちらでしょうか。現時点ではなんとも言えませんが。
ところで、資本主義の市場においても虚偽の情報を流すことが可能です。
実際、これによって大きな利益を得たりする企業や個人もいるでしょう。
ところが、そうした企業や個人は、まず事前の監査によって虚偽の情報が流れるのを防ぎ、さらに事後的にも査察により虚偽が暴かれることで罰を受けます。
自由市場が、自由なものとして成り立つためには、参加者の信用度というものが問題になります。
長期的取引が成り立つような市場であれば、虚偽により信用を失うことが長期的利益に反する行為になります。そのような市場では、自然と誠実さが追い求められることになるでしょう。
自発的誠実さ以外にも、監視や罰則などで信用度を裏付ける仕組みなどがあることによってはじめて自由市場が成り立つと思います。
良い場合で蚤の市、悪い場合で詐欺市場を、自由市場とは呼ばないでしょう。ある種の参加者の公平性や信用のようなものがないと、自由は成り立たないからです。自由と好き勝手は異なる次元のものです。
自由な取引を成り立たせるためには、信用を生み出す長期的な取引、もしくは監視と罰則の仕組みが必要となってくるわけです。そして、そのような長期的取引や監視/罰則を可能とするのは、取引主体の自己同一性(前回と同じ人であること)が大前提です。
インターネットの世界においても、長期的な関係性がなりたつような仕組みがあれば、虚偽を働くことは自分にとっての不利益となるために発生頻度は抑えられると考えられます。そのための仕組みとして、オーマイニュースやブログ・ネットワークのような登録制のニュース配信の仕組みが考えられます。
本名や個人情報を公開するかどうかは別として、同一ハンドルネームでアイデンティティが維持されれば、こうした信用と責任の仕組みはある程度実現可能でしょう。
このようなアイデンティティを前提にしない、完全匿名の仕組みで信用を得るためには、民主主義的投票はたしかに有効な手段です。が、投票者の独立性が維持されないと難しく、また、長期的/広範囲には淘汰されるとしても短期的には情報操作がある程度可能となってしまうという問題点があります。
diggのようなより自由度の高いソーシャル・ネットワークでは、こうした短期的情報操作にどう対向していくかが大きな問題となるでしょう。その解決策は具体的にはまだ見えてないように思えます。
2006年12月18日月曜日
Winny判決では幇助の解釈が争点となりうるという意見
ITmedia 寄稿:白田秀彰氏
Winny事件判決の問題点 開発者が負う「責任」とは
に、法学的見地から今回のWinny判決に対する意見が書かれています。原理的なところから書き起こされているので非常に参考になります。
「プログラマや技術者に無理解な不当な判決であり、今後新しい技術を開発するにあたって萎縮効果をもたらす」というのは、宣伝の必要性から発言されているということは理解できるが、やや誇張された主張ではないか、とされています。
逆に、白田さんがこの判決で問題になりうるかもしれないと思うのは、次の3点だそうです。
* 自らの作り出したモノがどのように社会的に受容されているかを把握する責任を設定したこと
* 幇助の故意について「他人の違法行為」の認識がかなりの程度抽象的でも構わないとしたこと
* 犯罪行為と幇助行為との因果関係がソフトウェアについて、他のモノより強く認定されたこと
ただし、これらについても、今回の判決が不当化というとそうとも言い切れないのではないか、とも。
2006年12月16日土曜日
一貫性とオリジナリティと美しさ
ITPro 経営を伸ばす視覚伝達デザインの鉄則:第4回 「良さそう」と思ってもらうには4つのポイントが必要
* 伝えたい情報が伝わっているか
* 伝えたい世界観が伝わっているか
* アイデンティティ,オリジナリティがあるか
* 美しさ,造形的センス
いわゆる造詣デザインのみならず、一般的な提案書や説明資料においてもこれらの点は重要だと思います。
さらには、開発/製造される"もの"自体にも重要なポイントでしょう。
ユーザが"もの"を利用するときに満足するかどうかは、その"もの"に、「認知統一性」と「コンセプト統一性」があるかどうかだとされることがあります。(『リーンソフトウェア開発~アジャイル開発を実践する22の方法~』より。オリジナルは『実証研究 製品開発力―日米欧自動車メーカー20社の詳細調査』。)
外面的な統一性と内面的な統一性、見た目や使い心地の一貫性と設計思想の一貫性による生産性や保守性といった方がわかりやすいかもしれません。
「伝えたい情報が伝わっているか」は認知統一性があるか、「伝えたい世界観が伝わっているか」はコンセプト統一性があるかと言い換えることもできると思います。
さらに優れた設計(デザイン)は、そうした情報や世界観にオリジナリティがあるかということを問います。
他の誰かでもできるものではなく、その人にしかできないものがあれば、設計はよりよいものとなります。
これはなにも新奇なものや人と違うものにしろというわけではなく、その人の得意な部分が発揮されていればおのずとオリジナリティも出てくるものと思います。
そしてさらには、美しさです。
以前書いたように(「ものづくりの美学」)、あらゆる"もの"に美しさはあります。とくに、合目的性(目的に適った無駄のないもの)に対する美しさは、工業製品のみならずITシステムのようなものにもあてはまると思います。
ユーザから見て一貫性があり、その人の得意な部分が発揮され、全体としてみても無駄なく美しいような"もの"を作ることが、理想的なものづくりの姿ではないでしょうか。
2006年12月15日金曜日
ロボットの魂とは自らの目的を理解しているかのように見えること
今日の小ねた第3弾。
もの(づくり)に魂を吹き込むことはなかなか難しいことです。
人型ロボットであれば、形が擬人化されているので、あたかも魂が吹き込まれたかのように見えなくもないです。
ただ、形の擬人化の観点を除いても、設計者の思いがものに組み込まれて、そのものが、組み込まれた思いを体現するかのように、自らの目的を理解しそれに従うかのように、そしてあたかも生きているかのように動くとき、そこに魂を感じてしまいます。
ものが自らの目的を理解しているかのように動くとき、そこにはものづくりの美学があります。
が、設計者の思いとは裏腹の動きとなり、目的を離れてむなしく動作が空回りするとき、そこに魂が抜けた抜け殻を感じてしまいます。
わけのわからないことを言っていますが、要するに次のリンク先の動画をおもしろいのでご覧ください。
GIZMODO:ASIMO 対 階段
魂が抜け、あっという間に単なる"もの"になってしまうその瞬間を目撃できます。
いや、単におもしろいだけです。
ゲーム業界にもモジュラー化の波
今日はエントリをいくつか。
@IT:Windows搭載基板がアーケードゲーム業界を席巻
ゲームセンターには久しく行っていませんが、アーケードゲーム基盤にも、PCアーキテクチャと汎用OSが進出しているのですね。
開発生産性や保守性、他プラットフォームへの移植容易性などが評価されているようです。
今まで、スキルのある人間が密に連携して開発されてきたゲームの世界も、いよいよ部品の組み合わせで製造していくモジュラー型アーキテクチャが進行していくのでしょうか。
興味深いです。
=====
「モジュラー型アーキテクチャ」については、機会を改めて書きたいと思いますが、以下に若干思うところを書きます。
世の中の工業製品は、そのアーキテクチャによって、モジュラー型とインテグラル型に分類できるとされます。そして、一般的に、製品コスト削減という観点から、インテグラル型からモジュラー型に移行しがちです。コンピュータ・ハードウェア業界がその典型です(メインフレームからPCへ)。これに反するのが自動車業界でインテグラル型のままです。IT業界ではCPUはインテルがかなり独占していますが、自動車業界ではエンジンは各社で開発します。
詳しくは、
・経済産業研究所:モジュラー型製品における日本企業の競争力――中国情報家電企業における組み合わせ能力の限界
・ITPro:なぜ「IT産業のトヨタ」は出ないのか
・その他、藤本隆宏さんの書籍(たとえば、『ものづくり現場発の産業論』のメモ)
IT業界のとくにソフトウェアについては、戦略論の方々はモジュラー型と分類されるのですが、ITの現場の人間にはどうもそれがしっくりこず、インテグラル型なんじゃないか?という意見の人も多いようです。
少なくとも、レイヤーという観点で見ると、ハードウェア-ネットワーク-OS-ミドルウェアといったように、かなりモジュラー型になっていますし、汎用 OSについては、その中も、デバドラ等ハードウェア処理部分、ネットワーク・スタック、プロセス処理部分、その他便利な部品モジュール群といったように、かなりモジュラー型になっていると言えると思います。
ただし、問題は、とはいうものの、いざ組み合わせるときにねじをはめるようにはうまく動かないことが多く、その印象からインテグラル型じゃないか?と思えてくるということになります。
レイヤーは、いわば縦方向のアーキテクチャですが、横方向のつながり(アーキテクチャ)についても、DCOMやCORBAなどある程度モジュラー化の取り組みはありますし、今流行のSOAもまた、ソフトウェアの横方向のモジュラー化の取り組みといえます。
ところが、横方向のアーキテクチャについても、ソフトウェアの場合、つながりの組み合わせパターンがほぼ無限大あり、物理的な物と違って完全なモジュラー化が難しいという側面があります。
したがって、ここでもやはり、インテグラル型なんじゃないか?という思いが出てくるわけです。
その他、藤本さんによれば、製品アーキテクチャのみならず、開発アーキテクチャや製造アーキテクチャにもモジュラー型とインテグラル型があるということです。
その辺も含めて別の機会に整理できればと思います。
Winny裁判を傍聴してきた方の記録と意見へのリンク
昨日のエントリ(「Winny裁判では技術一般や著作権法自体を問うことは難しそう」)に引き続き、簡単にリンクの紹介です。
いずれも、今までWinny裁判を傍聴されてきた方の記録と意見です。
CNET:Winny裁判、罰金刑は重いか?軽いか?--自己矛盾を抱えた判決
【情トラ】附゛録゛:Winny事件京都地裁判決言渡し
2006年12月14日木曜日
Winny裁判では技術一般や著作権法自体を問うことは難しそう
Winny裁判の判決が昨日出ました。ネット上でもさまざまに議論されているようです。小飼弾さんのブログでも半ばヒステリックに反応されているようですね。
404 Title Not Found:極めて不当かつ想定の範囲内の判決
以下、個人的意見として。
いったん裁判は脇においておいて、一連のWinnyの出来事についての推測も交えつつの事実を整理したいと思います。
まず金子氏の意図について、
* 金子氏(a.k.a.47氏)は、ほぼ間違いなく著作権侵害の意図があった、著作権への挑戦でもあった
* ただし、その後、著作権侵害の罪に問われないような準備と工作はした
次に、Winnyの技術について、
* Winnyは、いわば大規模で実際に運用された世界初のデータ・グリッドであり、(実装)技術的にも優れているといえる
* 日本発の影響力のあるソフトウェアとなれた可能性もなくはない
* この技術自体を違法とすると社会的影響は大きい
* Winnyの一番の危険は、放流ファイルが削除できないことである
3つめに、当時のWinnyを取り巻く状況について、
* Winny以外にも著作権違反に使われているP2Pソフトは(多数)ある
* ただし、国内ではWinnyが最盛期には最大ユーザを抱えていたと思われる
* 実際に、Winnyで著作権を犯してファイルを流す人もたくさんいた、それをダウンロードする人もたくさんいた
* Winnyについての特集記事を掲載するなどした雑誌もあった
* Winnyが注目を浴びたのは、Winnyに感染するウィルスにより情報漏えい事件が多発したためである
* そもそもUSなどでは、P2Pファイル交換ソフトに関してその利用者が一斉摘発されることはあっても開発者は訴えられていない
* 日本でも、金子氏が逮捕される前までは、実際にファイル交換した人が(おそらく掲示板に書き込むなど行動が派手だったために)たまに摘発されていた
というような事実を踏まえつつ、今回、Winnyでどうして開発者が罪に問われたかを邪推すると、
* 利用者を一斉摘発しようとするとまずは京都府警の警官に逮捕者が出てしまう(警官のPCのWinnyから情報が流出したことがありました)
* 利用者の摘発では、見せしめ摘発では済まずかなり大量の一斉摘発が必要であり、府警レベルではおさまらないそうとう大掛かりな捜査が必要となる
* Winny記事を掲載した雑誌を幇助として摘発することを考えると、言論の自由など問題が肥大化して裁判が検察に不利になる
* 2chの掲示板での47氏こと金子氏の書き込みにより、著作権違反を知りつつ開発したということを立証できそうと判断された
というような判断があり、結果として一番立件しやすかった開発者の逮捕があったのではないでしょうか。
そうしたことを踏まえて裁判を考えてみると、こうした(個人的推測含む)事実の上に、裁判的お作法を含めて考えると、
* 日本の刑事裁判では99%が有罪になってきている(そのため、無罪にはしづらいという意識が働く)
* 検察は、今後のネット犯罪の取り締まりでも有利に動けるよう、なんとしてでも勝ちたい
* 京都府警はサイバー犯罪に特に注力しているため、負けるわけにはいかない
* 被告は当然自分に不利な発言はしないし、過去の不利な発言も修正しようとする
* 被告側は、今回の事件をソフトウェア開発一般論に展開することで有利な立場に立とうとする
* 裁判官は、事実、個人の心証、社会への影響、この後の判例としての価値、などを鑑みて判決を出す
というそれぞれの立場があり、結果として今回の判決は、技術一般としては中立的価値を認めつつ、金子氏個人の意図とそれに伴う行為(開発の継続)に対して罪を科し、それによって検察側の面目も立てたという、司法としては妥当なものだったのではないでしょうか。それが社会的正義かは別として。
ただし、やはり、著作権侵害よりも著作権幇助の方が罪を問われるといういびつな構造には疑問を感じます。
やはり、京都府警が功をあせって最初の罪の問い方を間違ってしまったのが一番の問題ではないでしょうか?
私が考える妥当なシナリオはこうだったと思います。
1. まず、IPAなり警察なり適切な組織から、Winny開発者に対して違法ファイル放流を軽減するための仕組みを実装するよう指導する
2. 指導に従わなかったときにはじめて逮捕する
3. 金子氏は指導に疑問を感じたら、それについて訴訟を起こす(おそらく、日本でこういう行政訴訟を起こすのは困難だと思いますが)
そもそも、こういう重要な事案を扱う問題について、一裁判官に判断を任すのはかわいそうすぎます(言い方が悪いですが)。先日も、住基ネットについて判決をくだした裁判官が自殺してしまいました。
裁判官は裁判官で、司法のロジックの中で生きているので、いろんな意見や立場を調整したような判決にせざるを得ない。その結果、判決が日本の社会や産業に大きな影響を与えるのだとしたら、それは司法で取り扱うには重圧が過ぎるのではないでしょうか。
そのような社会に大きな影響のあるような法律上の問題は、きちんと立法で対応すべきではないかと、選挙などで国民の民意を形成しつつ取り組んでいくべき問題ではないかと思います。
実際、他の分野でも、車に対する交通法規にしろ、原子力にしろ、公害問題関連法律にしろ、新しい技術革新に対して新しい法律を立てて対応してきていると思います。
今回の件も、もしまともにやるのであれば、Winnyだけではなくデジタル時代の著作権について、時間はかかるかもしれませんが広く民意を形成し立法していくべきでしょう。
司法での対応としては、技術一般ではなく個別ケースに対して、今回のような判決を出すのが精一杯な気がします。
最後に、現時点のリンク集をまとめます。
まずはCNETの一報
CNET:Winny開発者に有罪判決--150万円の罰金命令
@ITの報道(今回の判決を受けての今後のソフトウェア開発への提言も含まれています)
@IT:ソフト開発への今後の影響を分析 「Winny裁判」で有罪判決、自由なソフト開発はもうできない?
判決要旨(判決文はまだ公開されていないようです)
asahi.com:「ウィニー」裁判、判決要旨
今回の一連の報道についてのリンク集
星を見る人:Winny開発者に著作権侵害ほう助の有罪判決、金子勇被告は控訴
金子氏弁護人のサイト
Attorney-at-law アターニーアットロー~博士と私
壇弁護士の事務室:判決
経済学的見地からの今回の判決の影響
池田信夫blog:Winny事件の社会的コスト
Winnyのセキュリティの観点から(判決前日に書かれた記事です)
高木浩光@自宅の日記:■Winnyの問題で作者を罪に問おうとしたことが社会に残した禍根
Slashdotでの反応
Slashdot: Winny開発者に罰金150万円の有罪判決
一ソフトウェア開発者の立場の意見
フニクラを見上げて:Winny判決
栗原潔のテクノロジー時評Ver2:【感想】Winny判決について
2006年12月12日火曜日
画面デザインにおける著作権、特許権、意匠権の比較
「画面デザインにおける意匠権」の続きで、まとめの記事となります。
ITPro:画面デザインの保護(4) 著作権,特許権,意匠権による保護を比較する
画面デザイン以外でも参考になります。
ユーティリティ・コンピューティングをロングテールへ(アマゾンの新たな挑戦)
最近、Amazon.comも矢継ぎ早に新しいサービスを開始しています。とくに注目されているのは、Amazon Elastic Compute Cloud(EC2)やAmazon Simple Storage Service(S3)といったユーティリティ・コンピューティング分野かもしれません。そこで、次の3つの観点でAmazon.comの最近の取り組みとロングテールについてまとめたいと思います。
* Amazon.comのユーティリティ・コンピューティングへの取り組みの新しさ
* Amazon.comのユーティリティ・コンピューティングは、e-リテール・プラットフォームのオープン化という新しい挑戦に基づくもの
* Amazon.comが目指さなかったもの:日本の小規模製造業や地域の中小企業でのロングテール的取り組み
■Amazon.comのユーティリティ・コンピューティングへの取り組みの新しさ
アマゾンのユーティリティコンピューティング事業参入--CEOベゾス氏が狙う今後とは
ユーティリティ・コンピューティングは、何年も前から注目されてきました。たとえば、IBMも、ITを電気やガスのようなインフラにする、そのためには従量課金的なユーティリティ・コンピューティングの実現が重要である、としてきています。
ところが、あまりうまくいっていません。
理由はいろいろあると思いますが、今までユーティリティ・コンピューティングをとなえてきている企業が従来型の大手ITベンダであり、ターゲットも大手企業だったというのもあるかもしれません。大手企業では、自前でITリソースを調達できるうえ、今までもそうしてきてかつ成果もそれなりにあげているので、新しいコンピューティング・パラダイムへ移るには時間がかかります。
また、ユーティリティ・コンピューティングを売ろうとしてきた大手ITベンダも、実はユーティリティ・コンピューティングが普及してしまうと自社のハードウェアが売れなくなるので、口先では言うものの現場の営業がどこまで積極的に推進してきたかというとほとんど皆無でしょう。
そんななか、コンピュータ・ベンダではないAmazon.comが、このユーティリティ・コンピューティングを実現しようと取り組み始めているため関心が集まっています。
Amazon.comのユーティリティ・コンピューティングのターゲットは、個人や中小零細企業です。また、Amazon.comは自社でハードウェアも製造していませんしハードウェアを売る必要もありません。ここが、今までのユーティリティ・コンピューティングの取り組みと大きく異なるところです。期待させる部分でもあります。
こうしたビジネスモデルは、今までのAmazon.comの取り組みと合致するものでもあります。
上のリンク先でも、「私は、薄利多売ビジネスの手堅さを常に信じてきた」というジェフ・ベゾスCEOの言葉が紹介されています。
■Amazon.comのユーティリティ・コンピューティングは、e-リテール・プラットフォームのオープン化という新しい挑戦に基づくもの
Amazon.comの特徴は、言うまでもなくロングテール・ビジネスの実現だと言われています。この実現のためには、流通体制の構築とITの活用が重要であり、Amazon.comはそこに莫大な投資をしています。
そして、いまやAmazon.comは、こうして構築した"eリテール・プラットフォーム"とも言うべき自社のリソースを外部からも利用できるようにして課金するというビジネスモデルを進めているようです。
それは、USで開始されているFulfillment by Amazonというサービスも見てもわかります。たとえば、次のリンク先によれば、
Nikkei BPnet 21世紀に勝つビジネスモデル:第9回 Amazon.com:eリテール・プラットフォームの覇権を目指す
開発したマーチャンダイジングシステム、インフォメーションシステム、ロジスティックシステムを自社で占有することなく、ネット上の多数の個人・企業が利用できるようにした。その狙いは、「eリテールをしようとする誰もがAmazon.comのオペレーションに依存する世界」を構築することである。
と分析されています。
つまり、IT資源のみならず、流通体制についても外部から利用できるようにしているということです。
ちなみに、この記事は、Aamazon.comと比較しながら楽天を"寄合百貨店"、ヤフーを"ターミナル駅の駅ナカショッピングセンター"と分析しています。Amazon.comは、"トータル・オペレーション・プロバイダー"です(これだけちょっと言葉のままではわかりにくいですが)。 Amazon.com自体に対する分析も非常に興味深いです。
話を元に戻して、Amazon Elastic Compute Cloud(EC2)やAmazon Simple Storage Service(S3)、Fulfillment by Amazonといったサービスを開始したAmazon.comは、ロングテールというビジネスモデルを自社の資源の外部への開放という形で進めていこうとしているようです。
書籍などでのロングテール・ビジネスは、需要の少ない商品をそれを欲する少数の人に届けるというマイクロ・マッチングがポイントでした。80:20の法則(パレートの法則)の小さい部分、べき曲線のおしりの部分(テール)で利益を上げるという今までのビジネス常識を覆すものでした。
e-リテール・プラットフォームのオープン化は、ターゲットが小さいという意味ではロングテールと言えるのかもしれませんが、マイクロ・マッチングというわけではありません。需要が少ないものを売っていくというよりも、もともと需要が無いか不明なところに低価格でプラットフォームを提供することで需要を掘り起こそうというもの、べき曲線としてもともと線が無いところにべき曲線のテール部分を薄く浮き上がらせようとしているビジネス・モデルなのかもしれません。
そのため、書籍での小さい需要をビジネスとして黒字にするまで何年もかかっていますが、ユーティリティ・コンピューティングの黒字化は同じだけかもっと年月がかかる可能性もあります。
そういう意味では、Amazon.comとして順当なビジネスの拡張とも言えますが、書籍等でのロングテールとはまた違ったロングテール・モデルへの挑戦となるのかもしれません。
■Amazon.comが目指さなかったもの:日本の小規模製造業や地域の中小企業でのロングテール的取り組み
もし、Amazon.comがロングテールに順当に取り組むのだとしたら、書籍だけでなくもっと他の商品へのカテゴリの拡張ということも考えられと考えられるかもしれません。
たとえば、日本でそのあたりに取り組んでいる企業が次の記事で紹介されています。
消費財製造業でのロングテールへの取り組み。
ロングテール現象を普通の企業が事業機会にする方法 その1
ロングテール現象を普通の企業が事業機会にする方法 その2 「マーケティング」は「ロングテール」に取って代わられるのか
ロングテール現象を普通の企業が事業機会にする方法 その3 ニッチなニーズを仲介「マイクロマッチング」
地域の中小企業に対するロングテールへの取り組みについては、次の記事に紹介があります。
ITmedia:おせっかいなCGMと、フランチャイズが結ぶロングテール
ロングテールを、小規模製造業や地域の中小企業のような、文字通りロングテールを必要とするところに拡張していく取り組みとして興味深いです。
Amazon.comが黒字化まで時間がかかったように、こうした取り組みが実を結ぶまでにはもしかすると時間がかかるのかもしれませんが。
なお、最近のヒット作の減少とロングテールの関係については、ロングテールの提唱者アンダーソン氏自身の言葉を交えた次のような記事があります。
ITmedia:小さくなるヒット、伸びるロングテール
コピーワンスの見直し案5つ
Tech-On:「コピー・ワンス」見直しの議論,事務局が5案を提示
情報通信政策部会のデジタル・コンテンツの流通の促進等に関する検討委員会で、地上デジタル放送のコピーワンス機能について次の5つの案が提示されたそうです。
1. 現行のコピー・ワンスのまま運用する
2. コピー・ワンスから「EPN」への運用に切り替える
3. HDD録画機への複数のバックアップを許容する
4. HDD録画機に蓄積した時点で「1世代のみコピー可」という情報を持たせるといった新しいルールへの変更を検討する
5. コピー・ワンスとEPNの併用など,番組ごとに運用ルールを変更する
コピーワンス技術も、視聴者に許容されるようなより柔軟なものになっていくのが現実的とは思います。
2006年12月10日日曜日
2つの著作権法改正の動き(文部科学省と知的財産戦略本部)
前に少し触れただけの、「著作権法違反の厳罰化」についてもう少し(「著作権は主張すべき、でもどうやって?+著作権法厳罰化の動き」参照)。
最近、著作権法関連で2つの動きがありました。
1. 文化庁が今国会に提出した著作権改正法案
2. 知的財産戦略本部による2008年国会提出を目指す著作権法改正の動き
1. 今国会の著作権改正法案
今国会(2006年12月)に提出されている著作権改正法案は、いくつかの比較的小粒の修正がなされたものです。そのためかあまり話題になることなく、文部科学委員会の約2時間の審議で可決され、その後衆議院本会議でも可決されています。
主な修正内容は、
* IPマルチキャスト放送(事業者)に対して、著作権法上も放送事業者と同じ権利を与える
* 視覚障害者向け録音図書のインターネット送信に関する著作権の制限
* 機器修理時等の著作物バックアップに関する著作権の制限
* 著作権侵害に対する刑事罰の強化
などです(他にもあります)。
IPマルチキャスト放送の著作権については、地上波デジタル化にともない電波の届かない地域に対してIPマルチキャスト放送での代替が検討されていることに対応するものです。
ちなみに、GyaOなどはIPマルチキャスト放送事業者ではなくあくまで通信事業者とみなされており、とくに著作隣接権について放送局のような特権は認められていません。
ただし、次の記事によると、この著作権改正法案では、地域を限定すればこのような業者でも著作隣接権の特権を得られるように解釈できるそうです。
文化庁の「大英断」・著作権改正法案に潜む見過ごせない欠陥
改正著作権法が衆院で可決--IP放送にも放送事業者としての特権付与へ
法案は、
第165回国会における文部科学省提出法律案:著作権法の一部を改正する法律案
2. 知的財産戦略本部による著作権法改正の動き
2ch等Web上で少々波風立ったのがこちらの法案です。11月下旬に報道されました。
asahi.com:ダウンロード、海賊版は禁止 政府、著作権法改正を検討
おそらく、asahi.comが、
音楽や映像を違法コピーした「海賊版」をインターネット上からダウンロードすることを全面的に禁止する著作権法改正に着手する。
と表現してしまったために、「ダウンロードしただけでタイホかっ!?」、「リンク先に違法コピーを仕込んで逮捕に誘導するダウンロード詐欺が横行する」、「キャッシュの仕組みなどをわかってないのか、もう少し勉強しろ!」などの書き込みがあったようです。
そのあたりのリンク集としては、
ぬるいゲーム時事ブログ:著作権法改正でダウンロードしたりYouTube見るだけで逮捕!?
にまとまっています。
実際には、どのような行為が違法なダウンロード行為なのかはこれから詰めていくのでしょう。
文部科学省の文化審議会では、すでにこうした議論が始められていて、デジタルデータの一時複製に関して、次のような場合には著作権を発生させるべきではないとしています。
1. 著作物の使用又は利用に係る技術的過程において生じる
2. 付随的又は不可避的(著作物の本来の使用・利用に伴うもので,行為主体の意思に基づかない)
3. 合理的な時間の範囲内
(文化審議会著作権分科会報告書より)
ただし、結論は先送りされています。
また、それよりも、「知的財産戦略本部」は文部科学省とは独立した組織であり、文部科学省のこうした考え方がどこまで採用されるかは不明だということの方が問題ですが。
コンテンツ産業の発展のためには、不法なダウンロードを取り締まることも大事ですが、それよりも、新しい創造をした人に対していかに権利と名誉を守るか、そしていかに経済的対価を得られるようにするか、を考えることの方が重要でしょう。
それと同時に、いかにコンテンツを幅広く流通させるかも重要となります。
具体策として個人的に思いつくのは、
1. ゆるいDRMで保護しながら1つ100円程度の低価格でのコンテンツ流通
2. コンテンツは無料とし広告モデルを採用、この場合、いかに広告を見せるかの仕組みが重要
3. DRMで保護しないなら、ダウンロード負担金のような半分税金をとって著作者に配布
4. 寄付金(donation)方式や投票方式にするにはうまい仕組みが必要、かつこの場合もDRMは必須だろう
などです。
いずれにせよ、デジタルデータという特性を考えると、コンテンツそのもので儲けるというよりもその副産物で儲けるという、ITでのオープンソースのようなビジネスモデルになるのかもしれません。その場合、小規模/無名なコンテンツ製作者への経済的対価が極端に小さくなってしまう可能性もあります。それにともない、現在のコンテンツ制作のあり方が根底から変わってしまう可能性も否定できません。すなわち、大手出版社や広告代理店に働きながら趣味でコンテンツ制作するか(ITでいう多くのオープンソース・プログラマー方式)、もしくは資金を集めて大きな会社で運用するか(ITでいうRedhatやIBM、 Oracleなどの方式)。
はたして、それが正しいコンテンツ制作のあり方なのか、というところも含めて議論が必要でしょう。
今まさに、コンテンツを保護しつつ広く流通させるという二律背反をいかに実現するか、という点について、法制上技術上の革新と調整が求められているわけです。
知的財産戦略本部では、ダウンロードがどうとか、どういうダウンロードが違法なのかなどといった各論に陥ることなく議論が進んで欲しいものです。
ちなみに、最近のこうした著作権法がらみの改正のきな臭さについては次のブログが参考になります。
とくに、著作権法が、著作物の保護と効果的な利用という目的から逸脱し、共謀罪も含めたネット監視社会に利用されてしまうのではないか?という懸念が表明されています。
保坂展人のどこどこ日記:著作権法改正、厳罰化とネット規制を考える
保坂展人のどこどこ日記:著作権法違反の厳罰化とネット監視社会への危惧
2006年12月9日土曜日
画面デザインにおける意匠権
画面デザインにおける著作権と特許権の続きです。
画面デザインの保護(3)意匠権による保護ではパソコン用ソフトは対象外:ITPro
意匠権とは、工業デザインの保護のための権利と法律です。
結論から言うと、基本的には、情報家電等の画面には適用されるが、ビジネスのPCで使用する画面には適用されないだろう、とのことです。
ちなみに、意匠権は、著作権と異なり、コンテンツそれ自体は保護しません。初期画面等その外面上の形状のみが保護対象です。かつ、登録制となります。
2006年12月8日金曜日
2つのイノベーション:インクリメンタル型とアーキテクチャル型
イノベーションについて。
NBonline 宮田秀明の「経営の設計学」:ダ・ヴィンチの飛行機に足りなかったもの〜“ビジョン”を“コンセプト”に変える難しさ
イノベーションには、インクリメンタル型とアーキテクチャル型という2つのタイプがあるということです。すなわち、継続して改良を積み重ね漸進的な技術革新が起こるインクリメンタル型のイノベーションと、大きな断絶を伴う技術革新であるアーキテクチャル型のイノベーション。
アーキテクチャル型のイノベーションを起こすには、ビジョンを描きそれを具現化するコンセプト(新しい考え方)およびモデルを作らなければいけないが、そこが非常に難しいとされています。
レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才でさえ、空を飛ぶというビジョンに対して描いたコンセプトは間違っていた、と。
そうしたイノベーションは、つぎ込んだ研究開発費と成果の相関は著しく低い、また、現場主導ではなくトップダウンのマネジメントでないとうまくいかない、とも指摘されています。
また別の観点から。
池田信夫blog:「ユーザー主導」の落とし穴
クリステンセンも指摘するように、持続的イノベーションが没落するのは、顧客を無視するからではなく、むしろその要求を聞いたために(顧客とともに)没落するのである。グーグルのような破壊的イノベーションは、新しい(今は存在しない)企業によってまったく新しい市場(たとえば検索広告)を作り出すことが多いので、いくら既存企業の話を聞いても生まれてこない。
クリステンセンが『イノベーションのジレンマ』で指摘するように、企業として正しい判断の元企業努力を積み重ねインクリメンタル型のイノベーションを実施していると、いつのまにかアーキテクチャル型のイノベーションによって市場の質(アーキテクチャ)が変わってしまっているということが起こりえます。
破壊的なイノベーションは、実はユーザ主導では生まれないし、企業の地道な努力の積み重ねでは生まれないということです。
では、イノベーションを起こす企業は、アーキテクチャル型のイノベーションを目指せばよいかというとこれが非常に難しい。ほとんど狙ってできるものではありません。たくさんの暗中模索の後にたまたま行き当たるかもしれない、というものなのだそうです。「多産多死」の中から解が現れるのを待つしかない、と。
池田信夫blog:現代は「情報大航海時代」か
いまグーグルが行っているのは、かつて物的資源を財産権で囲い込んで収益を上げる資本主義が発見されたように、情報を囲い込まないで持続可能な経済システムが存在するのかどうかという歴史的な実験である。それが存在するのかどうかはあらかじめわからないし、コロンブスのようにインドだと思ったら新大陸だったということもあるかもしれない。
先の宮田さんの記事によれば、人材育成としては、最初はインクリメンタル型のイノベーションのマネジメントを経験させ、その後にアーキテクチャル型のイノベーションに取り組むという2段階を踏むことが重要だという指摘がありました。
いずれにせよ、宮田さん自身が体験したアーキテクチャル型のイノベーションがほとんど予算無しで実施された研究だったということからも、いろいろな研究や取り組みを試みては失敗するというのを繰り返すしか、アーキテクチャル型のイノベーションは生まれてこないんでしょうね。
しかし、それだけやってたら会社をクビになると思うので、インクリメンタル型のものに取り組みつつ余力で取り組むということになるでしょうか。
2006年12月7日木曜日
著作権は主張すべき、でもどうやって?+著作権法厳罰化の動き
最近の著作権がらみの話。
YouTube「氏名や住所の登録を必須に」--権利団体らが著作権侵害防止策を要請
JASRACや民放連が、YouTubeに対してユーザの個人情報の登録の義務付けや違反したユーザIDの削除、警告文の掲載などを要求したようです。
YouTubeは、デジタルミレニアム著作権法(DMCA)の「Notice & Take Down」には自国の法律なので従うでしょうが(従ってますが)、日本からの要請には従わないでしょうね。法的義務が発生しないので。
それより日本の民放連などは、自身の著作権を確保しつつ、"Creative Commons"を適用するようにという"粋な"要請をYouTubeにしてほしかったですね。その上で著作権上の調整が取れないコンテンツに対しては削除依頼を出せばよいわけです。そうするとYouTubeより一歩先行く戦略をとることもできたかもしれません。まあ、ありえないでしょうが。(YouTubeがCreative Commonsに反している点については「Web2.0に対して深まる分析:Fake Sharing vs Switchboard」)
なにより自身のコンテンツを、視聴者に有料でも何でも自由な時間に見れるような環境整備をするのを怠っているのが問題なのではないでしょうか。
そういう環境が外部にできるとあわてて否定しだしている、とそういう後手後手の対応に見受けられます。
Creative Commonsについては、伊藤穰一さんも"共有経済"という少々過激な概念で語っています。
多才の人、伊藤穰一氏に聞く
GoogleやFlickrが例としてあげられています。
ただ、この手の議論でちょっと気になるのは、GoogleにしろFlickrにしろ、人が作ったものを共有するための仕組み(API他)を提供しているだけです。Google自体は、自身のコンテンツ(=検索アルゴリズムやプログラム)を一切公開していませんし共有もしていません。その上で、その非共有の物を使って広告モデルを適用しきっちり収益を上げているということです。万が一Googleのソースコードが漏えいしたらおそらく著作権も主張してくるでしょう。
これは映像に置き換えて言ってみれば、製作した映像(映っている内容)をいつでも自由に見れるようにします=APIを提供します。でも、撮影技術やノウハウの詰まった映像自体はお渡ししませんし、映像を見るときは広告見せます、というものになるのではないでしょうか?
その意味で、自身のアイディアが詰まった製作物に対して著作権を主張することはなんら間違ったことではありません。ただ、今の映像コンテンツの現状に関して言えば、いつでも自由に見れるような仕組みが用意されていないことは消費者に対する怠慢と映ってもしょうがないかもしれません。
その問題の解決にYouTubeを利用する、というのが今アメリカの著作権管理団体が進めている戦略です。彼らは、自身の著作権は保持したままYouTubeを使って配信し、広告収益は折半する、ということを始めています。(「急速に進展する経済的対価のスキーマと著作権の折り合いの模索」)
話は変わって、上の問題よりももっと困った問題かもしれないことが今進んでいます。
著作権法違反の厳罰化とネット監視社会への危惧
厳罰化するのはいいですが、今の時代に合わない著作権法のまま厳罰化されては、運用する方も法を適用される側も困ってしまいますね。
著作権法を今の時代に適した現実的なものにするという取り組みが必要です。ただし、これについてはアメリカも実現できていないですが。
なお、最初の話題については、別の観点で、「しあわせのくつ」にも取り上げられています。今回YouTubeに要請を出した会社の中にYahoo! Japanも含まれていたようです。Yahoo!Japanの親会社がSoftBankというのも関係しているかもしれませんね。
Yahooがオールドメディアになった日
2006年12月5日火曜日
アイディアが認められるとき
アイディアが認められていく過程について、なんとなく共感できる記事があったので紹介します。
経営者倶楽部:通る企画と、通らない企画
興味深いことに、「アイデアを認めてもらう」「企画を通す」という観点から見ると、両者の取り組みには共通点があった。ごく簡単に書くと、次の二つである。
●徹底的に考え、理屈が通った詳細な提案書を作る
●最後の最後で、場の空気を変える
(略)
しかし、議論を尽くした後は、こんな経緯で成否が決まることが多いのではないか。基本的には直球で押すものの、最後の最後に、とっさの判断で変化球を投げる。それができるかどうかが、アイデアの運命を左右するのだろう。
とくに認めてもらいにくい提案や今までのやり方を変える(否定する)ようなアイディアの場合、論理的に筋が通っているだけでなくて、もうひとひねりないと認められない気がします。
これは、認める側の能力が足りないのではなくて、誰しもが認める側になると陥りやすい一種の罠です。
アイディアを出す側はそのあたりのことまで含めて提案していかないと、せっかくお互いにメリットのある提案が実現されることなく消えていくことにもなりかねません。
また別の記事に、
Processor温故知新:破壊的イノベーションには独裁型リーダーが必要
情報を読み解く総合知”とは,つまるところ,歴史と教養,先見性に基づく情報の読み方になります。そうした総合知を持つ人間だけが,情報を正しく読み解ける。そして,情報に接するとき,注意点がいくつかあります。
1.成功体験を捨てる。
2.先入観を持たずに,情報の読み方を間違えない。
3.判断するときには2つ以上の違った意見を参考にする。
4.情報が100%完全に集まることを期待しない。
という引用がありました。
とくに、1.と2.は、認める側にとって陥りやすい罠となると思います。ただし、1.や2.を否定しているわけでは決してなくて、単にそのときに意識されないだけです。
ですので、アイディアを出す側は、うまく1.と2.を認める側に意識させて、今回の提案は3.の違った意見の1つなんだと認識させ、最後に理屈を通して認めさせるということが必要なのでしょう。そこまで含めて"アイディア作り"なのでしょう。
2006年12月1日金曜日
特許権を棚上げしてもビジネス推進
最近、NovellとMicrosoftが、LinuxとWindowsについて提携したことが話題になっています。
詳しくは、次のニュースが詳しいです。
長年の争いに終止符?MicrosoftとNovellの提携で揺れるLinux業界
要するに、NovellのSUSE LinuxとMicrosoftのWindowsが仮想環境など異種混合環境で使用される際に、互いの特許権を主張しないという相互ラインセンス契約となります。
ただし、互いの特許侵害の認識はけっして合致したわけではなく異なったままです。お互い特許を侵害していると主張したまま、でもビジネス上は協力しましょうという提携になります。
以前、著作権についての権利を棚上げしてのビジネス推進について書いたように(「急速に進展する経済的対価のスキーマと著作権の折り合いの模索」)、ソフトウェアの特許権についても、ひとまず権利上の問題は棚上げしてビジネス上で協力し推進していこうというものが、今回のNovellとMicrosoftの提携となります。
ビジネス至上主義というか、法律や権利上の主張は棚上げしてそれよりもビジネスを進めようというしたたかさです。
ITと法律のスピード感があまりにも違うので、最近の流行として今後もこのような形になっていくんでしょうか。
これを受けて、GPLを改正しようという話もあるようです。
ストールマン氏もこれについて発言しています。
R・ストールマン氏が来日:「MSとノベルの提携はタイミングがよかった」