2007年9月15日土曜日

インターネットが今までの価値観でいうところの社会的たりえるか

media pub:プロが編集したニュース 対 集合知で編集したニュース
http://zen.seesaa.net/article/55183313.html

Diggやredditなどのソーシャルニュースサイトとメインストリームニュースサイトでの、取り上げる記事の種類やソース元の比較情報が出ています。
やはり、メインストリームでは、国際問題や社会問題が取り上げられる一方で、ソーシャルニュースサイトでは、もっと身近なネタが多いようです。
アメリカでもそうなのだから、日本はもっとそうなのでしょう。


ところで、この結果を受けて、やっぱりみんなの意見が集まるソーシャルニュースではニュースたりえないなぁ、という感想を持つこともできます。

さらにもう少し踏み込んで、世の中で日々起こっている事柄について、メインストリームのメディアが取り扱う情報の偏りをどう評価するか、つまり、本来はみんなはもっと身近なことに興味があるにもかかわらず、いわゆる今までのメディアのニュースが社会問題ばかり取り上げているということが、はたしてよいことなのかどうか、社会問題のニュースは既存メディがなければ元々は知りえないような情報であり本当はわれわれにとってたいしたことじゃないんじゃないかと問い直すことも可能です。

さらにさらに翻ってみると、それでもやはり、社会に属するメンバーとして、一見われわれにとって直接関係のない社会問題であっても、そのことを知り考えるということは重要だと言えると思います。

それが重要なのは、客観的根拠があって、あるいは数えきれない出来事や情報と比較して、重要なわけではなくて、「お年寄りに席を譲ろう」「選挙に行こう」といったスローガンから、一方的情報伝達である義務教育、さらにはマスメディアによる情報取捨選択の偏りといった社会の隅々に行き渡る啓蒙的価値観から重要なだけではあります。

が、すでにそういう社会が存在し、そういう社会に属している以上、その価値観を真っ向から否定してもしょうがなくて、意味がなくて(ただのクレーマーにしかならない)、そうした価値観をいかに継承していくのかということも、インターネットに課された重要な使命だと個人的には思っています。
そこを否定すると、インターネットはただの反社会的道具にすぎなくなってしまう。
自分は、インターネットにはもっと可能性があると考えています。

というこういう文章も、まさに啓蒙的価値観による情報発信ではあるのですが。

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