2008年4月21日月曜日

目的のない機械に有効な手法とは

「情報大航海プロジェクト」に対する批判として、池田信夫blogに、

池田信夫blog:「社会工学」はなぜ失敗するのか

というのがありました。自然科学の手法をそのまま社会に応用することはできないという指摘です。それが、経済学の学問的発展のなかで捉え直されています。非常におもしろかったです。

自然科学者が、特定の目的を実現するために物理法則を工学的に応用して機械をつくるように、合理的な目的にあわせて社会を計画しようとするのは、きわめて自然な発想だ。しかし、このアナロジーは間違っている。機械と違って、社会には目的がないからだ。ハイエクは個々の企業のような合目的システムを「テシス」とよび、これに対して社会全体は目的をもたない「ノモス」(自生的秩序)だとした。

そして、自然界においても、たとえば進化論のようなものには目的があるのか?と問い直してみることもできます(進化論はまさに「ノモス」とも捉えることができるわけで)。

「目的」というものが極めて人間的な、人間からの視点による世界解釈なのだとすれば、自然科学もまた、人間による世界解釈という範囲内でのみ有効である(自然それ自体ではなく)とも言えるのではないでしょうか。

いずれにせよ、社会に対してトップダウンによるある目的を実現しようとする計画的な設計はうまくいかないというのが池田信夫さんの意見であり、それに対してどうすればよいのかについては、以前の「情報大航海プロジェクト」への批判記事にあります。

池田信夫blog:「情報大航海時代」の航海術

Try&Errorで、数撃ちゃ当たる作戦です。ただし、うまく評価されるような仕組みが重要で、それには健全な市場の形成が重要になります。

それに関連して、ディオゲネスに言及されていたのもおもしろいです。

池田信夫blog:哲学者ディオゲネス

ここでディオゲネスが出てくるのかという感じです。
コメントでは、キリスト教をユダヤ教とキニク派の合成だという話も書かれてあり、史実的にどうかは別として、この文脈で言う"アリストテレス"的なものと "ディオゲネス"的なものは、西欧思想史を貫く大きな構図になりうるようにも思います。初期ニーチェがアポロン的とディオニソス的という構図を提示したように。

個人的には、それでもアリストテレス的なものはやはり重要だとは思いますし、社会工学や社会計画もまた社会に必要な要素ではあるように思いますが。

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