2008年4月25日金曜日

自衛隊派遣は違憲となっていくか?傍論の影響力

NBonline:伊東 乾の「常識の源流探訪」:紛争はいかに解決されるか?「防衛省」は「平和省」への脱皮を図れ!

自衛隊イラク派遣についての集団訴訟で、名古屋高裁が、国への損害賠償請求は棄却したものの、傍論として、航空自衛隊によるバグダッドへの多国籍軍の空輸が「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示したそうです。

伊藤さんが指摘する通り、日本の司法はあまり政治的問題について判断を下さないというのが一般論としてあります。その中での今回の判決は傍論とはいえ大きな意味をもつかもしれません。

今たまたま『裁判と社会』という本を読んでいますが、ここで、日本の司法による行政判断の事例が紹介されていました。

文脈としては、日本の司法は違憲判断など政治問題に踏み込むようなことはしないという一般論に対して、大枠は認めるものの反例もまたあるということで、白鳥事件と財田川事件が引き合いの1つに出されていました。

それらの裁判の審理では、再審請求に必要な証拠の厳密さについて、先例を覆してより甘い基準(疑わしきは罰せず)が採用されました。
これらの判断は、同じ最高裁判所第一小法廷で(おそらく同じ2人の裁判官が)、まず白鳥事件で"傍論として"再審請求の見直しに触れ、数年後の財田川事件でその傍論を引用する形で司法判断を明確にしていったとされています。

ということを踏まえると、司法判断の先例となっていくためには傍論だけではだめで、その後それにかぶさるような判決が積み重ねられていく必要があるのかもしれません。

ところが、残念ながら自衛隊イラク派遣は違憲な活動を含んでいると判断した名古屋高裁の裁判官はすでに依願退官されているそうです。
『裁判と社会』でも、日本の司法界において、先例を覆すことが裁判官としての昇進を断たれることにつながると指摘されています。それが関係してかどうかはわかりませんが、すでにこの裁判官が辞められた以上、判例として積み重なっていく可能性は薄くなってしまったのかもしれません。

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