「ネット規制法とその反応」で書いたようなリバタリアン的ネット自主規制を実現するためには、ユーザ側、消費者側の意識の向上が必要に思えます。
ネット上の有害情報の規制に対して、それぞれの立場をまとめると、
* 自由放任主義・・・完全自己責任
* リバタリアン・・・多数決で事後的処置(フィルタリング)
* 保守(そしてなぜかサヨク)・・・事前に国家による規制
リバタリアンにとって多数決を効果的に実現するためには、消費者の多数が間違った方向に進まないことが重要です。ただし、リバタリアンの立場からは、事前に消費者の多数が正しい方向を向いているか間違った方向に向いているかは判断できないし、すべきではない、多数が集まれば間違いはしないと信じるしかない、ということになります。
多くの人が集まって間違った判断をしないためには、「「みんなの意見」は信用するにたるか」で書いたように、"多様"、"独立"、"分散"、"集約"をどう実現していくかが重要になってくると思います。これをどう実現するかですね。
関連して、
NBOnline:「消費者保護」は、経済を成長させる
という記事がありました。
福田内閣で消費者行政を一元化する組織をつくるという話があります。
消費者の過保護は経済を減退させるという意見もありますが、この記事を読んで、消費者行政の促進の背後の考えがわかってきました。
消費者を保護するだけでなくて、(消費者を適切に保護することは)市場機能の健全化に欠かせないという発想もあるようです。
まさにリバタリアン的にネットを自主規制するためには、消費者が正しくコンテンツやプロバイダを選択できることが重要です。その意味で、消費者司法や立法はすでに整いつつあるので、消費者行政が必要になっているということになります。
もはや官僚と族議員主導の開発型縦割り行政ではうまくいかなくなってきています。消費者行政の一元化案には、成熟社会においてもっと迅速かつ効果的な対応が可能な消費者主導の行政を目指すべきという高い目標がかかげられているようです。
これもまた官僚によって骨抜きにされないように祈ります。その前に福田内閣が危なそうですが。
2008年4月10日木曜日
消費者保護と経済
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