2008年4月25日金曜日

死刑と戦争は実現されない最終手段であるべきでは

光市母子殺害事件で死刑判決が出ました。今回は、この判決についてではなくて、死刑と戦争の対比を考えてみたいと思います。

どうして、死刑と戦争の対比なのかというと、どちらも国家による殺人行為を伴うからです。
国家に対する国家間のものと、個人に対する国内のものを対比してもしょうがないと言われればそうなのですが、どちらも、国家によって人が殺されることをどう考えるのかという共通点もありますので、ここでは試みに対比してみます。

まず、世界の趨勢としては"死刑廃止"です。197ヶ国中128ヶ国で死刑が廃止されています。かたや、戦争を放棄している国はほとんどありません。
日本では逆で、死刑賛成が8割近くですが、自衛隊をめぐる憲法改正反対が約半数にのぼります。

より具体例で書くと、日本の世論としては、何人もがある国家に誘拐され見殺しにされても、その国家への死を伴う報復(=戦争)には反対です。でも、国内の殺人者に対しては死を伴う報復(=死刑)に賛成しています。
戦争は罪のない一般人も殺傷してしまうという反論もありそうですが、死刑もまた罪のない冤罪被害者を殺してしまうこともあります(現に日本では冤罪となった死刑判決が何件もあります)。

戦争はいわば最終手段です。平和を実現するための最後の手段なのであって、本来使うべきではなく、その前の政治と外交での解決努力が非常に重要となります。いわば、外交交渉で使えるコマとして戦争には一定の存在意義がありますが、実際に戦争をしてしまったらお互いによいことはありません。

死刑も言ってみれば安全な社会を実現するための最終手段です。軽々しく使うべきではないし、本来的には実施しないほうがよいものとは言えないでしょうか。

戦争という最終手段を担保しつつ、その前にやるべき多くのことをがあってそれに取り組むべきだというように、死刑についても、死刑という最終手段を担保しつつ、その前にやるべき多くのことにもっと取り組むべきと思います。

(過去、死刑反対について書いてきました「死刑についての国際情勢と日本の事情」、「個人的感情と社会的正義の葛藤:死刑制度を巡って」)

0 コメント:

 
Clicky Web Analytics