CNET:レディオヘッドに続くメタリカ--インターネットの積極利用を示唆
P2Pに反対してきたメタリカが、自曲の配信にインターネットの利用を考えているようです。
時機が熟してきたということでしょうか。
たしかに、CDで販売したものをNapsterで個人が勝手に交換するのと、バンド自身が配信する(そしてそれを交換する)のでは、やってることは同じことでも意味は違うかもしれません。
そもそも歴史を遡れば、レコードが出てきたときに、今まで音楽を聴くにはコンサートに行くしかなかったため(ラジオもありましたが)、音楽業界はコンサートが儲からなくなる、コンサートの意味が無くなると反対したのでした。
でも、結果としてレコード(とそれに続く記録メディアでの販売)で音楽業界は大儲けしています。
最近起こっている音楽のネット配信の結果として、記録メディアが売れなくなり、逆にコンサート(ライブ)の価値は相対的にあがってきているのだとすれば、レコードが登場したときに起きたのと逆の流れが起こっていると言えるのかもしれません。
共通しているのは、技術の革新によりユーザに便利になってきているということです。
遅い早いや紆余曲折はあるにせよ、圧倒的多数であり、価値があると認めればお金を出すユーザのメリットとなる方向に進んでいくという時代の流れは確実なものとしてあるように思います。
数十年や百年経てば、いろんな大きい変化も起こりえます。変化後の環境でいかに新しいビジネスモデルを作れるかが重要なのでしょう。
2008年4月29日火曜日
音楽配信の流れ(メタリカも態度変更)
朝EXPO
朝EXPO in Marunouchi
http://www.asaexpo.net/
というのがあるようですね。知りませんでした。今春のはもう終わってしまいましたが、次機会があれば。
Biz.ID:桂小春団治流、初対面の人と打ちとける3つの糸口
とかそういうワークショップがあるようです
O'Reilly氏による現状認識と今後の目標
ちょっと前の記事ですが、Tim O'Reillyさんが、Web2.0 Expoで講演しています。
ITPro:【Web 2.0 Expo】「ユーザーの知恵で企業を変えるのがEnterprise 2.0」とO'Reilly氏
ITPro:【Web 2.0 Expo】Web 2.0の父が示した「今そこにある3つの変革」
CNET:ティム・オライリー氏:「われわれはコンピューティングのスープに浸っている」
O'Reillyさんが指摘するWeb 2.0がもたらした3つの変化は次の通り。
* インターネットがグローバル・プラットフォームになり,あらゆるデバイスが繋がるようになった
* 集合知(Collective Intelligence)が,世界や企業をより賢明にした
* コンピュータ産業のルールを変え,ソフトウエアではなくデータこそが重要だと明らかにした
また、今まさに始まりつつある3つの変化としては、
* Web 2.0の企業への浸透
* クラウド・コンピューティングの普及
* モバイルによるWeb 2.0
さらには、より高い目標として、
逆説的なのは、オープンで権力が分散化されたネットワークの上に構築されたアプリケーションによって新しい権力の集中(Google、Facebook、 Amazonなど)が生まれようとしていることであるとO'Reilly氏は指摘した。また、強大な権力と勢力が少数の企業に集中するという有害な効果を少なくするために、相互運用性のレイヤを組み込むことを提唱した。
集合知でWebを変えたように,これから世界を変える,政治を変えることを考える時期に来た
政府が市民に迅速に対応できるようにするとか、インターネットを基盤にした取り組みによって世界的な免疫システムを構築するといった大きな目標を持つように
ということが指摘されています。
2008年4月25日金曜日
Live MeshとWeb2.0オンラインサービスとの違いと共通点
MicrosoftからLive Meshが発表されました。レイ・オジーさんの思想が反映されたものになっています。
TechCrunch:Microsoftから「Mesh Live」登場—すべてのアプリとデバイスを同期させるプラットフォーム
TechCrunch:レイ・オジー戦略メモ「ソフトは死んだ、ウェブ万歳」
CNET:フォトレポート:絵で見るマイクロソフトの「Live Mesh」
CNET:FAQ:「Live Mesh」を理解するヒント
ITPro:【Web 2.0 Expo】あらゆるデバイスをクラウドで連携,Microsoftの「Live Mesh」
Live Meshのフォルダに入れられたデータやアプリケーションは、あらゆるデバイスやアプリケーションで同期がとられていく仕組みのようです。
ただし、現時点ではファイルの同期のみで、アプリケーションの同期はまだこれからのようです。
これは、まさに、レイ・オジーさんがLotus Notesで開発し、Grooveへと引き継いできた同期技術を、RSS Feedを使ってさらに広範囲に実現したものだといえます(レイ・オジーさんはFeed Syncと呼んでいます)。
Lotus Notesでは、複数の非定型文書が集まったデータの固まりを"Notes DB"として1ファイルで管理し、それをクライアントとサーバで同期させるという仕組みです(同期は文書ごとです)。
Grooveではさらに、P2P技術を利用して、Groove上のデータをクライアント間で同期する仕組みが作られました。
そして、Mesh Liveでは、同期の仕組みにRSS Feedを使うことでファイルだけでなくより柔軟かつ広範囲にデータの同期を可能にしていったといえます。
これは明らかにMicrosoftによるクラウンド・コンピューティングへの取り組みですが、Googleなどの取り組みとは違いもあると思います。
Googleなどの主だったWeb2.0サービスは、情報をインターネット上のサーバに集めるというものです。その情報にはどこからでもアクセスできます。
それに対して、Live Meshでは、情報をサーバを含めたあらゆるユーザやデバイス間で同期をとるというものになります。
逆に共通点としては、どこからでも情報にアクセスできることや、多くのAPIが公開されてユーザがその情報を使った便利なツールを開発できるということです。その意味で、できることや使い勝手はかなり似てきそうです。
ユーザ・エクスペリエンスとしてはかなり近いものになりそうですが、その奥にある"サーバ一元化"と"クラサバ同期"というスタイルの違いが、今後どのように現われてくるでしょうか。
死刑と戦争は実現されない最終手段であるべきでは
光市母子殺害事件で死刑判決が出ました。今回は、この判決についてではなくて、死刑と戦争の対比を考えてみたいと思います。
どうして、死刑と戦争の対比なのかというと、どちらも国家による殺人行為を伴うからです。
国家に対する国家間のものと、個人に対する国内のものを対比してもしょうがないと言われればそうなのですが、どちらも、国家によって人が殺されることをどう考えるのかという共通点もありますので、ここでは試みに対比してみます。
まず、世界の趨勢としては"死刑廃止"です。197ヶ国中128ヶ国で死刑が廃止されています。かたや、戦争を放棄している国はほとんどありません。
日本では逆で、死刑賛成が8割近くですが、自衛隊をめぐる憲法改正反対が約半数にのぼります。
より具体例で書くと、日本の世論としては、何人もがある国家に誘拐され見殺しにされても、その国家への死を伴う報復(=戦争)には反対です。でも、国内の殺人者に対しては死を伴う報復(=死刑)に賛成しています。
戦争は罪のない一般人も殺傷してしまうという反論もありそうですが、死刑もまた罪のない冤罪被害者を殺してしまうこともあります(現に日本では冤罪となった死刑判決が何件もあります)。
戦争はいわば最終手段です。平和を実現するための最後の手段なのであって、本来使うべきではなく、その前の政治と外交での解決努力が非常に重要となります。いわば、外交交渉で使えるコマとして戦争には一定の存在意義がありますが、実際に戦争をしてしまったらお互いによいことはありません。
死刑も言ってみれば安全な社会を実現するための最終手段です。軽々しく使うべきではないし、本来的には実施しないほうがよいものとは言えないでしょうか。
戦争という最終手段を担保しつつ、その前にやるべき多くのことをがあってそれに取り組むべきだというように、死刑についても、死刑という最終手段を担保しつつ、その前にやるべき多くのことにもっと取り組むべきと思います。
(過去、死刑反対について書いてきました「死刑についての国際情勢と日本の事情」、「個人的感情と社会的正義の葛藤:死刑制度を巡って」)
自衛隊派遣は違憲となっていくか?傍論の影響力
NBonline:伊東 乾の「常識の源流探訪」:紛争はいかに解決されるか?「防衛省」は「平和省」への脱皮を図れ!
自衛隊イラク派遣についての集団訴訟で、名古屋高裁が、国への損害賠償請求は棄却したものの、傍論として、航空自衛隊によるバグダッドへの多国籍軍の空輸が「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」との判断を示したそうです。
伊藤さんが指摘する通り、日本の司法はあまり政治的問題について判断を下さないというのが一般論としてあります。その中での今回の判決は傍論とはいえ大きな意味をもつかもしれません。
今たまたま『裁判と社会』という本を読んでいますが、ここで、日本の司法による行政判断の事例が紹介されていました。
文脈としては、日本の司法は違憲判断など政治問題に踏み込むようなことはしないという一般論に対して、大枠は認めるものの反例もまたあるということで、白鳥事件と財田川事件が引き合いの1つに出されていました。
それらの裁判の審理では、再審請求に必要な証拠の厳密さについて、先例を覆してより甘い基準(疑わしきは罰せず)が採用されました。
これらの判断は、同じ最高裁判所第一小法廷で(おそらく同じ2人の裁判官が)、まず白鳥事件で"傍論として"再審請求の見直しに触れ、数年後の財田川事件でその傍論を引用する形で司法判断を明確にしていったとされています。
ということを踏まえると、司法判断の先例となっていくためには傍論だけではだめで、その後それにかぶさるような判決が積み重ねられていく必要があるのかもしれません。
ところが、残念ながら自衛隊イラク派遣は違憲な活動を含んでいると判断した名古屋高裁の裁判官はすでに依願退官されているそうです。
『裁判と社会』でも、日本の司法界において、先例を覆すことが裁判官としての昇進を断たれることにつながると指摘されています。それが関係してかどうかはわかりませんが、すでにこの裁判官が辞められた以上、判例として積み重なっていく可能性は薄くなってしまったのかもしれません。
2008年4月23日水曜日
PaaSとEnterprise2.0
「PaaSのエンタープライズでの位置づけ」で紹介した記事のその後も興味深かったので書きます。
ITPro:PaaSの利用価値(プロセス管理編) アイデアだけでシステムが作れる時代
日本郵政で、「お問い合わせ等報告システム」をForce.comを使って2ヶ月で作った事例が紹介されています。
ITPro:PaaSがもたらすもの、エンタープライズ・システムの未来
PaaSは、エンタープライズ・アプリケーションのロングテールを埋めるものだとされています。
Force.comでは、認証やアクセス制御の仕組みも用意され、ワークフローテンプレートも多数あり、各種機能もコンポーネント化されているため、短期間での開発が可能だそうです。
これって、どこかで聞いたことがあるような。。。
Lotus Dominoの世界ですね。
いずれにせよ、ユーザ自身による企業内データの活用がEnterprise2.0につながるとすれば、PaaSはEnterprise2.0を実現するためのツールとして有効に思います。ただし、あくまでユーザが積極的にデータを活用できるという前提ですが。その意味でのユーザに対するデータ活用教育なども重要そうですね。
TRIZ紹介と具体例
Biz.ID:アイデア創発の素振り:TRIZ——10分以内に「それ、どうやって実現するか」を思いつく方法
TRIZの紹介記事がありました。具体的な使用例も。
それをもとにフレーズ化したSCAMPERも紹介されています。
2008年4月22日火曜日
120年前の関東地方の地図
農明治時代初期に作成された「迅速測図」が、「歴史的農業環境閲覧システム」として公開されています。
しかも、kmzファイルとしても公開されていて、Google EarthにリンクさせればGoogle Earth状にマッピングして表示できます。
120年前、うちはぎりぎり陸でした。
PaaSのエンタープライズでの位置づけ
ITPro:PaaS時代の幕開け、「Salesforce」は新サービスの序章だった
ITPro:・PaaSの利用価値(データ共有編)
“Excel以上、全社システム未満”をIT化
企業の情報戦略の中では、基幹系情報処理とExcelでの数値処理の中間というところがあり、その部分にPaaSがあてはまるというのはその通りに思います。ただし、ユーザ部門がPaaSを使ったアプリ開発などができるという前提でですが。
もしそれが可能であれば、それこそITの企業戦略への活用が促進されるでしょうし、ITをコア・コンピタンスに直結して活用できるようになると思います。
問題は、
* 企業内データを外部であるPaaSにどのように安全に預けるか
* 各ユーザ部門が開発した便利なツールをどのように社内で共有するか
などでしょうか。
2番目の問題はPaaSの得意とするところなのでやり方さえ整えば問題ないとして、1番目をどうクリアするかですね。
この特集では、その後も含めて次のような記事が書かれるそうです。
* PaaS時代の幕開け
「Salesforce」は新サービスの序章だった
* PaaSの利用価値(データ共有編)
“Excel以上、全社システム未満”をIT化
* PaaSの利用価値(プロセス管理編)
アイデアだけでシステムが作れる時代 (2008/04/23公開予定)
* PaaSがもたらすもの
エンタープライズ・システムの未来 (2008/04/24公開予定)
2008年4月21日月曜日
目的のない機械に有効な手法とは
「情報大航海プロジェクト」に対する批判として、池田信夫blogに、
池田信夫blog:「社会工学」はなぜ失敗するのか
というのがありました。自然科学の手法をそのまま社会に応用することはできないという指摘です。それが、経済学の学問的発展のなかで捉え直されています。非常におもしろかったです。
自然科学者が、特定の目的を実現するために物理法則を工学的に応用して機械をつくるように、合理的な目的にあわせて社会を計画しようとするのは、きわめて自然な発想だ。しかし、このアナロジーは間違っている。機械と違って、社会には目的がないからだ。ハイエクは個々の企業のような合目的システムを「テシス」とよび、これに対して社会全体は目的をもたない「ノモス」(自生的秩序)だとした。
そして、自然界においても、たとえば進化論のようなものには目的があるのか?と問い直してみることもできます(進化論はまさに「ノモス」とも捉えることができるわけで)。
「目的」というものが極めて人間的な、人間からの視点による世界解釈なのだとすれば、自然科学もまた、人間による世界解釈という範囲内でのみ有効である(自然それ自体ではなく)とも言えるのではないでしょうか。
いずれにせよ、社会に対してトップダウンによるある目的を実現しようとする計画的な設計はうまくいかないというのが池田信夫さんの意見であり、それに対してどうすればよいのかについては、以前の「情報大航海プロジェクト」への批判記事にあります。
池田信夫blog:「情報大航海時代」の航海術
Try&Errorで、数撃ちゃ当たる作戦です。ただし、うまく評価されるような仕組みが重要で、それには健全な市場の形成が重要になります。
それに関連して、ディオゲネスに言及されていたのもおもしろいです。
池田信夫blog:哲学者ディオゲネス
ここでディオゲネスが出てくるのかという感じです。
コメントでは、キリスト教をユダヤ教とキニク派の合成だという話も書かれてあり、史実的にどうかは別として、この文脈で言う"アリストテレス"的なものと "ディオゲネス"的なものは、西欧思想史を貫く大きな構図になりうるようにも思います。初期ニーチェがアポロン的とディオニソス的という構図を提示したように。
個人的には、それでもアリストテレス的なものはやはり重要だとは思いますし、社会工学や社会計画もまた社会に必要な要素ではあるように思いますが。
研究開発での評価方法例
Tech-ON:日経ものづくり:失敗は当たり前,では成功は?
「挑戦しないと新技術なんてできない」
ホンダ社長のインタビュー記事です。
研究開発では失敗は当たり前、ただし、商品開発(顧客に渡る)では失敗は許されない。当たり前と言えば当たり前ですが。
失敗事例をきちんと評価する(発表する)ための仕組みもあるそうです。
失敗事例は隠されがちですが、ノウハウの宝庫でもあると思うので、社内でこういう活用をされるのはよいことですね。
おもしろかったのは、「結果だけでなく、プロセスも重視する」ということです。昨今の成果主義と逆をいくようですが。
失敗が当たり前の研究開発を評価するときには、結果だけでなく失敗をどういかしたかのプロセスを評価することが重要だとしています。
質問者:プロセスを客観的に評価するということはかなり難しいのでは。
福井社長:いや、難しくはないです。常に現場に行って見ていれば分かります。
たしかに。常に現場を見ていればこそのプロセス評価なんでしょうね。
巨大システムでのプログラム修正(Googleでは年に450回だそうです!)
CNET:「2007年に450回修正した」--グーグル関係者、検索事業の内側を語る
Googleのような巨大なシステムでは、検索アルゴリズムを修正するのもたいへんだろうと思いきや、、、1年で450回も修正しているそうです。
一般論として、(従来型の)巨大なエンタープライズ・アプリケーションでは、本番稼働後の頻繁なプログラム修正は行われません。他プログラムや業務への影響が大きいためです。そのため、本番稼働前までになるべく完全なプログラムを作ろうとして四苦八苦します(失敗したりもします)。
ただし、最近のLight-Weightな開発手法では、プログラムの修正についてもっと積極的に考えていて、どうすれば修正しやすいプログラムになるかへの取り組みも多いです。
Googleの検索プログラムは、エンタープライズ・アプリケーションと同じには考えられないのでしょうが、Light-Weightというにはあまりにも巨大なものだと思っていたのですが、こんなに頻繁に修正しているとは驚きです。いったいどのように実現しているのでしょうか。
その他、データの手での修正は行わず、必ずプログラムの修正を通しているということだそうです。
プログラムの修正(リリース)がなかなかできず、頻繁にデータベースのデータ修正を行っているようなシステムとは雲泥の差ですね。
安心と信頼
NBonline:超ビジネス書レビュー:ニッポン=集団主義は、ウソだった! 『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』〜信頼は「損得」でなければ培えない
本は読んでいませんが。
"安心"と"信頼"を対比させて、安心社会から信頼社会へという主張、そして信頼社会を作るためにはモラル教育ではダメだという主張に賛同します。ただし、「信頼は「損得」でなければ培えない」という副題には半分しか賛同できませんが。(なので、やっぱり読んでみないとダメなんでしょうね)
安心社会とは、集団に従うことで安心を得ることのできるムラ社会です。信頼社会とは、個人や集団に対して互いに裏切らないことで安定を得る社会です。
「安心」とは社会に不確実性が存在していないと感じることであり、「信頼」とは不確実な社会だけど、相手の人間性から判断して、ひどい行動は取らないだろうと考えることである
そのためには、「正直な人、約束を守る人たちが少しでもトクをする社会を作っていくこと」が重要だといいます。
自分としての言い方では、信頼は損得だけでは醸成されないが、信頼がうまく機能する制度設計というのは非常に重要だと思います。
青少年ネット規制法案についての解釈
あおやにき:青少年ネット規制法案
もうずいぶん前のblog記事ですが、法律家の立場から青少年ネット規制法案を解釈した意見が出ていますので載せておきます。非常に参考になります。
法律としては無難な法律だということになるのでしょう。
ただし、それはこの法律ありきで考えたときにだとは思いますが。
なので、この法律に対して違憲だとかそういう(法律論の中での)批判の仕方をしてもかわされるだけだと思います。
やはり、そもそもネットに対してだけこのような業法を作ってよいのかという観点が批判としては重要な気がします。そのためにも、業界内での自主規制の存在が重要に思います。
先日の携帯業界での自主規制についてもいろいろ意見が出ているようです。たしかに、実際の運用に当たってはいろいろ問題もありますが、こういう取り組みが重要に思います。
CNET:賛成多数だが…--モバイルフィルタリングに対する業界各社の声
PaaSの流れ(Web2.5かどうかはわかりませんが)
少し前の記事ですが。
CNET:「Google App Engine」の登場とPaaS--Web 2.5がもたらす変化
定義しにくいWeb 3.0(単なるデータ、リンク、Ajaxよりもセマンティック、意味およびコンテクストに関係があるようだ)に向かう途上で、中核的なインフラストラクチャはエッジから中心部へと移動し始めている。
これをWeb2.5と呼ぶのだそうです。
具体的には、PaaS(Platform As A Service)の流れで、
* Amazon EC2、S3、SimpleDB
* Google App Engine
* SalesForce.comとGoogle Docsの連携
などでしょうか。
これがすぐにエンタープライズ・アプリケーションの置き換えになるとは思えませんが、また、これがWeb3.0へつながっていくのかも疑問ですが、長期的に見たときの大きな流れではあるように思えます。しかも、その流れの中で具体的なサービスとして成り立ち始めた礎でもあるように思えます。
2008年4月18日金曜日
企業のMS離れ?
IBMが、OA用マシンにMacを使うという社内パイロットを開始したというニュースがありました。
RoughlyDraftedMagazine:IBM Launches Pilot Program for Migrating to Macs
社内には、Mac@IBMというイントラサイトもあり、社内アプリもMac対応されていっているようです。
また、IBM広報もそれを認めています。
MacObserver:IBM Confirms Internal Mac (and Linux) Migration Project
他方で、IBM内には、LinuxをOA用マシンのOSに採用するというプロジェクトもあるといいます。
すでに報じられているように、Lotus SymphonyというOpenOfficeベースのOfficeソフトもリリースしており、社内でMS Officeの置き換えもありうるかもしれません。
もし、IBM社内でMS製品を採用しないとなると、かなりのコスト削減が見込めると思います。
IBM社員が全世界に30万人いるとして、Windows OSの年間使用ライセンス料もMS Officeのライセンス料もボリューム・ディスカウントされてそれぞれ5000円とすると(勝手な仮定です)、
30万 x 1万円 = 30億円
の年間コスト削減になります。なかなかバカにならない額です。
IBM以外でも、企業でのWindows Vistaへの移行はなかなか進んでいないというニュースもあり、Microsoftもそれに呼応するかのようにWindows 7を2010年にも出すというニュースも流れています。
Office製品のフォーマットの標準化も進んでいて(Microsoftも進めていますが)、OpenOfficeの品質もあがってきており、なにより Google Docsなどオンライン系のドキュメント機能が充実してきている中、MS OfficeやWindowsである必然性は薄れてきているのかもしれません。
他のグローバル企業もこうした流に乗っかったりするとなると、一気にMicrosoft離れも起こりえないとも言い切れないです。
何しろ、大企業であればあるほど、そうするだけでたいへんなコスト削減が実現できますから。
とはいえ、個人的にはMicrosoft製品も依然として優れた製品はたくさんあると思います。
2008年4月10日木曜日
消費者保護と経済
「ネット規制法とその反応」で書いたようなリバタリアン的ネット自主規制を実現するためには、ユーザ側、消費者側の意識の向上が必要に思えます。
ネット上の有害情報の規制に対して、それぞれの立場をまとめると、
* 自由放任主義・・・完全自己責任
* リバタリアン・・・多数決で事後的処置(フィルタリング)
* 保守(そしてなぜかサヨク)・・・事前に国家による規制
リバタリアンにとって多数決を効果的に実現するためには、消費者の多数が間違った方向に進まないことが重要です。ただし、リバタリアンの立場からは、事前に消費者の多数が正しい方向を向いているか間違った方向に向いているかは判断できないし、すべきではない、多数が集まれば間違いはしないと信じるしかない、ということになります。
多くの人が集まって間違った判断をしないためには、「「みんなの意見」は信用するにたるか」で書いたように、"多様"、"独立"、"分散"、"集約"をどう実現していくかが重要になってくると思います。これをどう実現するかですね。
関連して、
NBOnline:「消費者保護」は、経済を成長させる
という記事がありました。
福田内閣で消費者行政を一元化する組織をつくるという話があります。
消費者の過保護は経済を減退させるという意見もありますが、この記事を読んで、消費者行政の促進の背後の考えがわかってきました。
消費者を保護するだけでなくて、(消費者を適切に保護することは)市場機能の健全化に欠かせないという発想もあるようです。
まさにリバタリアン的にネットを自主規制するためには、消費者が正しくコンテンツやプロバイダを選択できることが重要です。その意味で、消費者司法や立法はすでに整いつつあるので、消費者行政が必要になっているということになります。
もはや官僚と族議員主導の開発型縦割り行政ではうまくいかなくなってきています。消費者行政の一元化案には、成熟社会においてもっと迅速かつ効果的な対応が可能な消費者主導の行政を目指すべきという高い目標がかかげられているようです。
これもまた官僚によって骨抜きにされないように祈ります。その前に福田内閣が危なそうですが。
ネット"自主"規制の必要性
ネット規制法には、ネット上でたくさんの反対が出ているようです。
ただ、こういう法案が出てくるのは、こういう法案に対する需要もまたあるからだと思います。反対している人たちとはまったく違う世界に住む人もまた日本国内に多数いるということなのだと思います(むしろ、そちらの方が多数派のように思います)。
「表現の自由」に反する違憲な法案だという意見もありますが、「表現の自由」もまたなんでもかんでも表現してよいということではなく、きちんと公共の精神に則ったものです。今までのメディアでも、なんでも表現できたわけではなく業界で自主規制をひいてきています。
逆に言うと、(権力に対する)「表現の自由」をきちんと実現するためにも、今回のような警察がからんでいるような法案ではなくて、インターネットという新しいメディアでの表現のルールを自らで整備する必要があると思います。
業界での自主規制という話を書きましたが、携帯業界ではその取り組みが進みつつあるようです。
CNet:青少年のネット規制法、「目的は正当でも手段が大まかすぎる」--東大教授が苦言
ここで長谷部恭男さんが指摘するように、どうしてネット業界だけ法律化されるのか?放送や出版にも同じルールを適用すべきでないか?という観点での反対をもっとすべきではないでしょうか?そして、ネット業界も自主規制を検討すべきでしょう。
池田信夫blog:ネット規制とムーアの法則
でも、警察官僚が作成したような今回の法案ではなく、インターネット業界で対案を出すべきだとされています。むしろ、こうしたフィルタリングの需要はビジネスチャンスだ、と。
2008年4月9日水曜日
Google App Engine記事まとめ
昨日、GoogleもAmazon的サービスを始める模様というニュースがありましたが(「Googleもクラウドコンピューティングへ?」で書きましたが)、さっそくそのサービスが発表されたようです(先着限定で)。
CNET:グーグル、「App Engine」を発表--オンラインアプリケーション開発用にインフラ提供
次のTechCrunchの記事では、Google App Engineのポイントと、AmazonのWebサービスとの違いがまとめられています。
TechCrunch:Google、ウェブサービスに参入—「Google App Engine」で一挙に急発進
さっそく使用レポートも出ています。
TechCrunch:TC体験ルポ「Google App Engineでアプリを作って公開してみた」
音楽業界にGoogle方式は通用するか
ちょっと前の記事ですが、先日、GoogleのCIOからEMIのデジタル部門トップへと転職し話題となったDouglas Merrill氏への電話インタビュー記事です。
CNET:音楽業界を救えるか--グーグル元CIOに聞く
いろいろな配信課金方法を実際に試してみて、データを集計し、もっとも利用されるものを採用していくという方針のようです。
トライ&エラーで事業を試みるという、まさにシリコン・バレー方式、Google方式です。
問題は、IT(的な発想)に慣れていないコンテンツ製作者やユーザにどう受け入れてもらうかでしょうか。時間はかかりそうですが、機は熟しつつあるようにも思います。
2008年4月8日火曜日
オンライン広告がTV広告を抜く?
今までも指摘されていることですが、メディアの受容の仕方がTV中心から多様な形態へと移行しつつあります。
ITMedia:「デジタルネイティブ」が創出する新たな成長モデル
若い世代ではTVがなくても困らないという割合も増えてきていますし、アメリカの4大メディアはTVからオンラインへと軸足をのばしつつあります。
そんな中、イギリスでは、2009年にもTV広告をオンライン広告が抜くというニュースが流れているそうです。
mediapub:オンライン広告がTV広告を追い抜く日,英国では来年にも
そもそも、お茶の間で家族そろって人気番組をずーっと見る(合間のCMも見る)というようなライフスタイルはすでに無くなって久しいですし、TVの番組間に広告を入れるという手法がどれだけ効果があるのかという疑問もあります。おもしろいCM映像であれば、YouTubeなどで流した方が話題にも上り多くの人に見てもらえる可能性だって出てきているわけです。
他方で、インターネットというメディアでは、いまだ優れたコンテンツへの利益配分の仕組みが未成熟でもあります。
ただし、インタラクティブなメディアでもあるので、TVよりもずっと正確な利益の測定が可能です。オンライン広告ではすでにクリック数などに基づく報酬の仕組みが試みられたりしていますし、その収益をその広告をのせたコンテンツにうまく配分できるような仕組みも可能です。
オンライン映像コンテンツの主導権がどうなっていくのか、これからですね。
ネット規制法とその反応
CNET:日本のインターネット産業に大きな節目?--自民と民主が重要法案を準備
民主党から出てきたネット規制法草案が自民党案とそっくりということで、にわかに国会を通過する見込みが出てきたネット規制法について、各所で議論になっています。
その急先鋒たる池田信夫blogでも積極的に取り上げられています。
池田信夫blog「ネット規制を競う自民・民主・総務省」
この記事では基本反対ですが、評価する部分も指摘してあります。
池田信夫blog「日本の「安心」はなぜ、消えたのか」
この記事では、ムラ社会的古き良き道徳論へのセンチメンタリズムが的確に批判されています。
ただし、個人的には、ムラ的社会から契約社会への移行を歴史的必然とするのは基本的流れとしては正しいと思いますが、完全なる契約社会への移行はないと考えています。アメリカであってもムラ的社会の要素は残っていると思いますし、新大陸のアメリカ(とオーストラリア?)以外の場所では、メインストリームが契約社会になりつつあっても、いろんな側面でムラ社会は残り、インターネットがそのどちらにも影響する以上、契約社会の正論のみで押し切るのは無理か、もしくはまだもう少し時期尚早にも思えてきます。
他方で、
池田信夫blog「真理の哲学」
では、この法案に感情的に反応する人たちに対して、「「自由放任主義」も、ひとつの神話にすぎない。」と抑えも利かしています。
自分が学部生だったころもそうでしたが、こういう一見権力による締め付けに見えるものには非常に神経を逆なでるものがあります。が、実はそういう反応をする人間が寄って立つところにも権力というものは潜んでいるのであって、晩年のフーコーが研究したように、偏在する権力に敏感である必要があります。話は脱線していますが。
また、
池田信夫blog「タカ派バイアス」
では、こうした議論が、両方負ける最悪のチキンゲームになりやすいことが指摘されています。
池田信夫blog「「消費者司法」が必要だ」
では、業界ごとに業法ができることが批判されています。インターネット業界だけに適用するような法を作るのではなく、もっと刑法などどの業界にもあてはまる一般的な法にすべきだというものです。もっともです。
まとめると、池田信夫さんは明確にリバタリアンの立場だと思います。
つまり、
* 国家権力と法でもってネット上の有害情報を規制・処罰するのは間違い
* 消費者による評価(市場評価)でのみ規制処罰すべき、そのための民間の第三者機関は必要
* 実は、そのための団体や法は既に整備されていて、あとは行動あるのみ(今回のような業法は不要)
あと、業界が自主規制できるようになっていればよいのではないかとも思えます。放送業界や出版業界が自主的に規制しているように。通信の秘匿等あってネット業界では難しくなっていますが。
Googleもクラウドコンピューティングへ?
TechCrunch:Googleが巨大データベース「BigTable」をウェブサービスとして公開か?
AmazonのSimpleDB、EC2、S3への対抗とのことです。
EC2やS3については、「ユーティリティ・コンピューティングをロングテールへ(アマゾンの新たな挑戦)」に書きました。
ちなみに、Googleの技術については、最近、『Googleを支える技術 ~巨大システムの内側の世界』という本も出ました(未読ですが)。
期日の守りかた
ITPro:その日の仕事をその日に終らせるプロ
ちりも積もれば山となる。毎日の遅れが大きな遅延につながっていきます。
耳が痛い話ですが。
期日をきっちり守れる人曰く、
「その日の作業を確実にその日に終らせるためには,その日の仕事をその日に始めるのではなく,その日が始まった時には既にほとんどが終っていなければならない」
「その日に始めるからその日に終らなくなる」
だそうです。
2008年4月7日月曜日
私的録音録画補償制度の見直し
文化庁文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会で私的録音録画補償制度の見直し案が提出されたようです。
ITPro:私的録音録画補償制度、文化庁が5月8日に新案を提出
私的録音録画を利用形態ごとに分け、個々の利用形態ごとに私的録音録画補償金から著作権保護技術(DRM)への移行を目指すことを提案した。具体的には、権利者の要請に基づくDRMが普及した分野から、順次契約ベースでの対価支払いに移行し、現行の私的録音録画補償金を段階的に廃止することなどを盛り込んでいる。
著作権管理者団体側がそれに対して意見を出しています。
ITPro:「妥協でも挫折でもない」,著作権関連89団体が補償金制度の見直しで意見表明
なお、「無名の一知財政策ウォッチャーの独言:第81回:天下りという腐敗の元」では、
記事によると、権利者団体と癒着した文化庁は、私的録音録画問題についてあと2回で方向性を示すつもりらしいが、今まで何年もかけてほとんど何の進展もなかった話が、あと2回かそこらで片付く訳がない。このようなことを平気で口にする時点でやはり何かが狂っていると思わなくてはならない。
とありました。
包括利用許諾契約の使用料
YouTubeやYahoo!、ニコニコ動画等と著作権管理団体との包括契約が次々と結ばれていっています。
PConline:JASRACとニコニコ動画がついに契約、楽曲の二次利用が可能に
少し前のニュースですが、この記事では、ニコニコ動画側が支払う具体的な使用料についても記載があったので興味深かったです。
今回の契約では、「ニコニコ動画が得る収入の1.875%」と定められた。ここでいう収入は、ニコニコ動画の有料会員が支払う料金、ニコニコ動画に掲載される広告から得られる広告料などが含まれる。この条件は、先にJASRACとの契約を締結しているヤフーやソニーと同じという。「ストリーム配信に適用される料率が1.5%。これに、個々の投稿者が音楽を複製することを加味し25%増とした」(JASRAC広報部)。