2006年9月22日金曜日

マスメディアと共同体的記憶とYouTube

Web2.0(笑)の広告学
という連載記事(といってもまだ2回)に、

「テレビはつまらない」。なのに、ネットでテレビを見る不思議

連載第1回に寄せられたご意見。そしてYouTube

という記事がありました。

以前書いたYouTubeとテレビ局と著作権と同様に、「TVはもう見ない。今はインターネットだ。」と言うわりにYouTubeにはテレビの録画が溢れているという指摘です。

それに加えて、昔はテレビを見て次の日学校で「ねえ、あれ見た?」といって友達と話し合っていたのが、各人がパーソナライズされた番組や広告しか見なくなったり、多様なコンテンツの中から自分の趣味にあったものしか見なくなると、双方向だと言われてきたインターネットで逆に双方向性(たぶん友達の会話という程度の意味)が失われるのではないか?と指摘されています。

たしかに昭和の時代は、国民的番組というものが存在し、ある意味それが日本人の共同体的記憶を形作っていたことがあります。力道山、さざえさん、欽どん、8時だよ全員集合、、、
帰国子女の方は残念ながらその記憶を共有しないため、そこが彼らにとっての辛いところでもあります。

ところが、コンテンツの多様化により見るものや時間がてんでばらばらになると、たしかにそういう共同体的記憶を共有しづらくなります。

逆に言うと、話題になったテレビ映像がYouTubeにアップされるのは、そういう共同体的記憶を維持しようという無意識の表れなのかもしれません。
本人はおそらく、明日学校で(?)話題にしようという程度の意図かもしれませんが。

このように、20世紀的な大衆消費社会は、マスメディアによる共同体的記憶の形成というところに多くを負っていたわけですが、21世紀のインターネットの時代にもしそれがなくなるとすると、ポスト大衆消費社会はどのようなものになるのでしょうか?
それとも、やはりマスメディアは強く、人々は共同体的記憶をマスメディアに求めるのでしょうか。

ポスト大衆消費社会のあり方としては、これもよく指摘されることかもしれませんが、"おたく"がいい見本かもしれませんね。非常に細かく趣味が分化して、でも同じ趣味同士の人とはコミケとかいろんなところでつながり盛り上がるという。。。

個人的にはそういう社会はどうも明るく感じません。。。(笑)
たぶん、偏見ですね。。。

ちなみに、下のYouTubeの話題では、YouTubeのようなものでの広告戦略として、バーガーキングがやったことのようなものがよいのではないか?と提案されています。
バーガーキングは、キングというキャラクターの覆面を希望者に配り、それで自由にコマーシャル映像を作ってもらったそうです。

なるほど。

これからのマルチメディア社会では、変に著作権を強化するよりも、自由に使えるようにして自由に使ってもらうことで宣伝効果を得るというのも出てくるかもしれませんね。そうすると映像作品それ自体の質も今とは変わってきそうですが。

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