しあわせのくつ
というブログを最近ずっと読ませてもらっています。とくにIT系やインターネット系でのなかなかおもいきったメッセージの強い書き込みが多くておもしろいです。『Web2.0』の梅田さんにも共感されているようです。
YouTubeがらみで著作権についての書き込みがあったので、少し思ったことを。
(Photo: Tatiana Cardeal's Flickr)
時代遅れの著作権が新たに
JASRACの新しい著作権規制に憤っていらっしゃるようなのですが、たしかに、JASRACのような既得権益を守ることしか考えていない業界団体のやることは非常に醜くく批判に賛成です。
が、次の言葉は気になりました。
メディアはもうごく一部の特権階級を持った人々のものではないこと、コンテンツは複製され再利用されていくということ、それによって価値が増すということを理解してほしい。もうルールが変わったんです。ナップスターとiTunesのレッスンによってハリウッドは既に学んだというのに、いったい何を言っているんでしょうか?
梅田さんの『Web2.0』でも感じるのですが、「われわれはもう先に行った。お前ら早くついて来い」というムードには違和感を覚えます。
じゃあ、インターネット世代(自分も世代的にも考え方もそこに含まれているつもりですが(笑))はどういう著作権のあるべき姿を提示できているのでしょうか?ストールマンのコピーレフトやGPL?それをすべての著作物に適用するのでしょうか???
著作権法は300年の歴史のある法律ですし、ここ5年や10年で抜本的に変わるようなものでもないと思っています。
現状の著作権法はさまざまな制約や思惑が重なって無残なものとなってしまっていますが、本来は、情報の複製に対して、著作者の権利を守るための法律です。
他方で、情報の独占を抑制し、学問や文化の発展に寄与するようにするのも著作権法の役割の1つです。
そう考えると、インターネットの時代に、著作者の権利を守りつつ、著作物を文化の発展に寄与させるためにはどうしたらよいかを考えるのが、インターネット時代の著作権についての思考なのではないでしょうか。
現行著作権が無視されて垂れ流されていてそれが新しいからそっちの方が正しいんだ(とは言っていないのでしょうが)ということだとしたら、それには違和感を感じてしまいます。
クリエイティブ・コモンズは、その1つの答えだとは思うのですが、その1つのルールを全ての地域のすべての著作物に当てはめることができるのかどうかは、まだまだなんとも言えないと考えています。
梅田さんの『Web2.0』の議論も、インターネットで起こっている現状を追認し、その新しいことが一方的に正しくて、それにみんなついてこいと言うばかりです。
そうではなくて、そのインターネットで起こっている新しいことと既存の古いことをうまく結びつけて、新しい(と思っている)方へと導いてあげるようにするのが、インターネット世代の使命なのではないでしょうか?インターネット世代こそがその導きを行わないと、誰が導くのでしょう?
著作権で言うと、たとえば、作曲家や画家、作家にいきなりGPLあてはめて喜ぶ人は多いでしょうか。やっぱりいろんな形の著作権のあり方があると思います。それでいいとも思います。もしかしたら一時的段階的なものかもしれませんが。
放送メディアにおいては、長い時間をかけてクリエーターと企業、広告代理店、放送メディアのあいだで著作権の取り扱いを決めてきています。そこには微妙なバランスが存在しており、その中の一者だけが喜ぶようにしてもバランスが崩れてしまいます。
インターネットでは、著作権を解放しようという動きが主流なのかもしれませんが、他方で、アメリカではミレニアム著作権法が制定されたりと逆に著作権を強める動きも存在します。
今はどうで、人類の文化の健全な発展のためにはこうあるべきで、そのためには現在のインターネット上の動きがどういう役割を果たしていて、他の領域にあてはめるとこういう風に考えられる、ということをインターネット世代こそが示せていければいいですね。(と、最後は他人事に流れていく。。。)
ちなみに、
『ディジタル著作権』名和小太郎
を参考にさせてもらっています。この本は著作権について良くまとまっていておもしろいです。
2006年9月6日水曜日
インターネット時代の著作権
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