2006年10月26日木曜日

ブログの倫理についての各国の反応

ブログについて世界各国でいろんな動きがあるようです。

「ブログ実名制」へ向かう中国政府

ブログの倫理を語るソーシャルメディア記者クラブが旗揚げ

中国では政府が強制的に実名にする動きです。かつては韓国でも実名化の動きがありました。
アメリカでは、フリージャーナリストによる一種の業界自主規制のようなものを形成しつつあるようです。

ブログの世界では、もちろん、匿名ブログがあってもいし、実名ブログがあってもいい。固定ハンドルネーム・ブログでもいい。
でも、書く側も読む側も社会的責任を伴う発言(書き込み)かどうかということには多少なりとも意識的である必要はあると思います。

ある文章(契約でもなんでも)に信頼性を与えるために、人は署名をします。それは、固有名が特権的に現実の人と結びつきうるからです。

言葉は、とくに一般名詞と呼ばれるものは、単なる概念です。「犬」と言っても、特定の犬を指すこともあれば犬一般を指すこともできます。「ポチ」と言うとずいぶん範囲が狭まります。「佐藤さん家のポチ」と言うとその文脈の中でほぼ特定されます。一般名詞でなく、固有名が、現実と言葉を結びつけるのがわかります。
ちなみに、固有名以外に、言葉と現実を結びつけるのには、指示代名詞もあります。「この犬」というように表現すると、ある文脈では現実の対象が特定されます。そのほかに、「今日」なども言葉と現実を結びつける言葉になりうることが知られています。

言葉や文章は、真実を語ることもできますし、嘘を言うこともできる、さらには嘘でも真実でもないことを言うこともできるし、意味不明にしてしまうことも可能です。

そうした言葉や文章が真実であるためには、

* 誰か特定でき正気である現実の人が書いたことを証明する(署名)
* 独立した複数の人が同じことを言っている
* 客観的証拠がある

などが必要です。

ブログは、継続的に書くことで、限りなく特定の現実の人(正気の人)が書いたことを証明することに近くなります。
さらには、リンクによる引用やトラックバックなどで結びつくことで、傍証を得ることも可能です。
もちろん、実名ブログにすれば、それだけ真実味も増すと思います。(下手な誹謗中傷は書けないでしょう)
さらには、ジャーナリズムの手法にのっとって書けばもっと真実味は増すでしょう。

これからインターネットが真のインフラとなるためには、何が真実を語っていてどれはそうではないのか、ということを法律としてあるいはガイドラインとしてさらには教育としてきちんと整備していくことも必要なのではないでしょうか。

ちなみに、"倫理"というのは、正しくやれとか正義であれとかの単なる精神論ではありません。そういう精神論は"道徳"にすぎません。
"倫理"それ自体についてはまた別の機会に。

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