最近の著作権にまつわる動向をいくつかまとめて紹介します。
「著作権保護期間の延長を」——権利者団体が要望書 ネット時代も意識
著作権の保護機関が今日本は50年ですが、それを欧米(英米仏)並にあわせて70年にしたいという要求です。
それに対して、池田信夫blogで、著作権保護期間を伸ばしても、出版社や流通業者が喜ぶだけで著作者には何のメリットもないという批判があります。
悲しい嘘
著作権そのものは、著作者にとって非常に重要です。自分が作ったアイディアを盗まれ勝手に使われていい思いをする人はほとんどいないでしょう。
ただ、なんら経済的対価が支払われなくても、そのアイディアをつくったのが自分だと明示してもらうだけで満足する人はかなり増えると思いますし、それが非商業的に利用される分には文化や社会の貢献としてその活用に満足する人もいるでしょう。
そうした著作権の考え方に応えるのが、クリエイティブ・コモンズです。
「著作権を守りつつ共有モデルを融合する」
誰もが自分が作ったものに対して著作権を求める、というところまでは非常にシンプルです。
ところが、著作権を求めるだけでなく、著作物から経済的対価を求めるとき、コピーワンスなどのDRMの技術の話と絡んでややこしくなってきます。
著作物に対する経済的対価の生み出し方はいろいろな方法が考えられてきています。
NapSterなどは定額制の音楽ダウンロードサービスを考えているようです。
定額制音楽サービスはアリか
また、音楽ダウンロードの売上高に対するマージンを著作権料として支払うパターンもあります。
Appleとモバイル事業者4社,英国で音楽著作権使用料支払いに合意
気に入った場合だけ対価を支払うDonationモデルもあるようです。
これらは、基本的にDRMによりコピー回数や条件が制限されています。
もちろん、1枚/1曲いくらという従来型のモデルもあります。
他方で、
「補償金もDRMも必要ない」——音楽家 平沢進氏の提言
という人もいます。
翻って考えてみるに、多くの著作者にとって、自分の作品が多くの人に届くことは喜ばしいことです。そこから少しばかりの対価が得られればそれでいいという人もいるでしょう。自分の作品が広がれば、"著作物を売る"というビジネスモデル以外の経済的活動もいくらでも考えられそうです。
著作物を売りたいのは、やっぱり仲介業者であり流通業者でしょう。そして、ほんの一部の著作者だけがこうした仲介業者と結託して巨万の富を得ようとするでしょう。
これが悪いという気はさらさらなく、むしろ健全な経済的活動に思えます。
大多数の著作者による著作権の柔軟な活用と、ごく一部の著作者と仲介業者による著作物の独占、という対立の図式がここには成り立ちます。
趣味が多様化し、インターネットでのダウンロードなど新しい流通モデルが出てきている現在、たしかに確実に、著作物に対する対価の得方は変わってきているし、変わっていかないといけないようには思います。
ただし、間違ってはいけないのは、それは、著作権の否定ではまったくないです。
著作権を強く言う人の論調をよく聞いてみると、本来の著作権のことなんかまったく考えておらず著作物に対する経済的対価のことだけを語っていることが多いのも事実で、そこは注意して話を聞く必要があります。
最後に、従来から特別な著作権のはからいを受けている図書館の意見と、
英国図書館、著作権法の改正を訴え--デジタルコンテンツ規定の盛り込みを要請
(図書館の立場でDRMによるコピー制限を批判しています)
現状での著作権の最前線(著作権違反ぎりぎりのところ)について。
著作権侵害の問題は未解決のまま見切り発車した無料動画共有サービス
YouTubeで一番問題なのは、タダでコンテンツを配信していることではなくて、本来の著作権が無視され著作者に無許可で配信されているケースが多々あることです。
2006年10月2日月曜日
著作権と著作物に対する経済的対価
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