2007年9月10日月曜日

粒子の流れと淀みから時間があふれだす:『時間はどこで生まれるのか』を読んで

時間はどこで生まれるのか
橋元淳一郎
集英社新書

現代物理学の成果をふまえて、物理学者が(哲学的に)時間とはなにかを考えた本です。非常に面白いです。短時間で一気に読めます。

以下、要旨の部分は本に戻らず記憶だけを頼りに書いているので不正確なところもあるかもしれません。

■相対性理論や量子力学の世界には時間は存在しない
著者はまず、相対性理論や量子力学を紹介し、相対性理論の世界や量子力学の世界では時間は実在しないとします。"実在"の意味があいまいではありますが、要するに意味をなさないということです。

そして、マクタガートの時間論を参照しながら、主観的時間と、客観的カレンダー的時間と、数列的時間の3種類を区別しなければならないとします。主観的時間は人間の経験で感じられる時間で、客観的時間は過去から未来へと流れていく古典物理学の時間であり、数列的時間は数字が並んだだけの可逆的な並びというイメージです。

相対性理論や量子力学の数式上は時間は可逆だそうで、未来から過去に遡っていく反粒子の存在などが想定されます。したがって、そこでは数列的時間だけが存在します。
これはなにも奇天烈なことを言っているのではなくて、まずは数式上に抽象化された時間はただのパラメータであって因果関係の前後を気にしないということですし、実際の量子力学の世界も観察者の意識が介入しないと時間的要素が現れてこないという本当の物理現象でもあります。

ここから著者は、相対性理論的世界や量子力学的世界には存在しない時間が、どうして人には存在するように感じられるのか、と説き起こしていきます。

■エントロピーの法則と不可逆的前後関係
そこで登場するのがエントロピーの法則です。エントロピーの法則は、自然界のある系の中では必ず秩序ある状態から無秩序へと進行していくのでありこの逆はなりたたない、というものです。したがって、エントロピーの法則には必ず前後があり、時間的経過があります。

そもそもエントロピーの法則はなにかというと、粒子がランダムに運動すれば整列していたもの(秩序ある状態)が徐々に崩れていくという動きであり、これは、粒子の並びの総組み合わせの中で秩序ある状態が1つしかないということから、確率論として必ず秩序ある(1つしかない)状態からそうでない事実上無限の状態への遷移として現れます。

秩序があるなしは人間が認識する"意味"であって、自然界にとっては秩序あるなしは関係ありません。したがって、秩序ある状態から乱雑な状態へ遷移するというエントロピーの法則は人間にとって意味があり認識されうるものだということになります。

■エントロピーの法則に抗う生物
そもそも自然界の中で秩序あるものとは何かというと、それは生物です。自然界の中で生物が一定期間エントロピーの法則から逃れて生きています。
エントロピーの法則は生物にとってのみ意味のあることで、無生物の世界では系の内外で秩序があろうがなかろうが関係ありません。したがって、生物こそが乱雑に散らばっていく粒子の中で秩序を形成し、自らが抗する秩序の崩壊に時間を見いだしていると言えます。

著者は、微生物にも接触に反応して左か右に動く"意思"があり、この進化の過程で淘汰されてきた"意思"がエントロピーの増大=死を逃れようとして時間を生み出しているとします。
ここからが自分とは考えの違うところです。

先日、「反復できない時間を生きる生物:『生物と無生物のあいだ』を読んで Part 2」に書いたように、生物とエントロピーの法則については、『生物と無生物のあいだ』の説明の方がしっくりきます。

つまり、死=エントロピーの増大を逃れようとする"意思"など持ち出さなくても、生物は摂取と排泄の過程でエントロピーの法則より先に秩序を自ら壊しているのであり、秩序の崩壊を先回りすることによってエントロピーの法則に抗しているのです。

■粒子の流れと淀み
純粋物質世界においては、粒子のマクロな流れが、運動があるだけです。そして、それはミクロな確率論的存在が膨大な数集まって現れてくる流れで、その流れに時間的前後関係は意味をなしません。どっちからどっちに流れてもいいのです。そこに、流れが、運動があるだけです。

そうした粒子の流れ、運動に、不可逆的前後関係を生じさせるのは、秩序立った粒子の集まりである生物であり、乱雑な粒子の運動の中で秩序があるがゆえに、粒子の流れの中の淀みがあるがために、粒子の運動、流れに秩序の崩壊、淀みの解消という不可逆的前後関係を生じさせます。

そこにこそ時間が流れだす契機があるのでしょう。ただし、この時間も、人間がいないと認識されえないので、そういう意味では人間の意識が生命によって生じた不可逆な前後関係を意識するところからが、正確な時間の発生ポイントなのかもしれません。

■哲学における時間へ
このことは、哲学的にも表現されてきているのであって、著者がしばしば引用するハイデガーにおいても、死=生物がエントロピーの法則に屈するときを意識することで時間性の中に生きる世界-内-存在としての現存在を見いだしたのでした。著者はハイデガーの解釈を生物一般にまで拡張しますが、ハイデガーが言ったのはあくまで人間としての現存在までです。

この本には、時間に関する考察以外にも、量子力学において、確率論的にしか存在しない粒子が観察されるとどうして1点に集約されるのかなどについても著者の解釈も論じられていて非常におもしろいです。納得できる解釈です。

ただ、文系畑の人間として気になったのは、著者が、「現代の哲学者が説く時間論は、現代物理学(おもに相対論と量子論)が明らかにした時間の本性をほとんど無視している」とさかんに主張しながら、引用したり参照してる哲学者がせいぜい戦前のハイデガーまでで、戦後のほんとうの"現代の"哲学者にはいっさい触れていないのはどうかと思いました。まあ、しょうがないですね。

というわけで、現代の哲学者には、これら科学的成果を認識して時間論を論じている人もいるので、そういうのを紹介できればなぁ、と思っています。次回以降に。

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