2006年8月25日金曜日

方法論(メソドロジー)について

ものづくりをする上で、どのように作るのか、どのように設計するのか、どのように考えるのか、ということについて考えることは非常に重要です。

とくに、ものづくりでうまくいった過程を1回限りの偶然にせずに、他の人にも共有できるノウハウとして全体の品質を向上していくためには、そのやり方について考え、整理する「方法論(メソドロジー)」はとても重要になってきます。ただし、方法論はただの成功方法の記述なのではなくて、そのものごとの本質を表したものでないといけません。

方法論(メソドロジー)では、具体的な命題に対しどのようにしたのか、というよりも1つ上の"メタレベル"で考えることになります。すなわち、成功するためにはAという作業が必要であるが、そのAという作業が必要であるとどう判断するのか、またAという作業をどのようにすればよいか、について考えさせるものが方法論(メソドロジー)です。

と、話をふっておきながら、具体的なメソドロジーについては、また別の機会で。

今回は、このメソドロジーの元祖とでもいうべきものを紹介します。

「われ思う、ゆえにわれあり。」という言葉はご存知の方も多いと思います。
この言葉は、17世紀の哲学者ルネ・デカルトのものです。
デカルトは、近代哲学の祖であるとともに、近代科学の礎を作った人でもあります。デカルトが物質を「空間の中の延長」と定義したことによって、人の動きも物の動きも等しく"運動"と捉えることができるようになったのでした。もっとも、デカルトは、主に 質量 x 速度 を考えていたようですが。

そのデカルトが上の言葉を書いた本が『方法論序説』です。
タイトルからわかるように、この本は哲学書でもありますが、「方法論(メソドロジー)」でもあります。デカルトは、この本の中で人間の思考についての方法論を考えたのでした。

それによると、人間の思考が真理を求めるときは、

1. 明晰かつ判明に(clara et distincta)精神にあらわれるもの以外は,なにもわたしの判断のなかに含めないこと(明証性の規則)
2. 私が検討する難問のひとつひとつを,できるだけ多くの,しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること(分析の規則)
3. 私の思考を順序に従って導くこと(総合の規則)
4. すべての場合に,完全な枚挙と全体にわたる見直しをして,なにも見落とさなかったと確信すること(枚挙の規則)

の4つの規則を適用することになる。そして

真でないいかなるものも真として受け入れることなく,ひとつのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば,どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし,どんなに隠れたものでも発見できる

としています。( 第3部 近代哲学史、第1章 近代哲学の始まり、第2節 デカルトから引用。)

今読んでも、人間がものを考えるときの本質を言い当てて妙ですね。
なにかものを考えるときには、こうした本質的根本的なことを意識して考えたいものです。

そして現代のものづくりのメソドロジーも、その本質を捉えるようなものであるべきです。

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