2006年8月23日水曜日

ものづくりの美学

花や空など自然界のものも美しいですが、人が作ったものが"美しい"ことも多々あります。

スポーツカーに美しさを感じる人もいれば、ジェット機に美しさを感じる人もいます。もちろん、美術作品に美しさを感じる人は多いでしょう。

たとえば、スポーツカーに美しさを感じるのは、すごく速そうに見えるとき、"速さ"という目的に適った姿かたちをしているときではないでしょうか。展示されているスポーツカーは停まっていますし、もしかしたらエンジンもつけられてないかもしれないので、実際に速いかどうかはわかりません。でも、人がその形に速さを感じ、それも他とは比較にならないくらいの速さを感じるとき、そして、その速さをあたかも実現しそうな無駄のない姿かたちを見るとき、美しさを感じます。

たとえば、一流スポーツ選手のプレー。それにも美しさを感じます。イチロー選手の流れるようなグラブ捌きとそこから瞬時に繰り出される矢のような送球。そこに美しさを感じる人もいます。この場合も、捕球や送球という目的に適った動き、無駄のない動きに美しいと感じているのでしょう。

一般的に言って、ある目的に適った無駄のない形や動きに、それもその形や動きが同類の一般的な形や動きに比べて突出しているとき、人は美しいと感じるようです。

そういう意味では、ものづくりの究極は、もしかしたら美しさの実現にあるかもしれません。
人によって作られる「もの」は、多くの場合、なんらかの目的を達成するためのものです。その目的を他とは比べ物にならないくらい見事に無駄なく実現するようなものを作れたとき、それはものづくりの究極の姿ではないでしょうか。そして、そのようにつくられたものに、人が美しいと感じてくれるとき、それはものづくりをする人の冥利につきるでしょう。

ちなみに、"美しい"とは?というのは、古くからの哲学的(美学的)テーマでもあります。"善い"などと並んで、規定できないカテゴリー化できない概念としてさまざまに語られてきました。
たとえば、18〜19世紀ドイツの哲学者カントの考える美しさについては、

カント『判断力批判』 -美のメカニズムについて-
http://asianblue.info/kitaro_nisida/panduanli.htm

詳しくは、また別の機会に。

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