友人のブログで面白い記事があったので。
Ramble On...:しょーもない発見
オーストラリア(南半球)では、月の満ち欠けが左右逆になるという話です。
日本では、新月から右側が光っている半月=上弦の月、そして満月へと移っていきますが、おそらく南半球ではこの逆で左側が光っている半月を経て満月になっていくのでしょう。
この不思議のキモは、"左右"という概念にあると思います。
プラトンの昔から、鏡に映る像はどうして左右逆なのか(上下は逆ではないのか)という問題がありました。『ティマイオス』で論じられているといいます(ちなみにこのブログのタイトルのデミウルゴスも『ティマイオス』に出てきます)。
いまだ最終的には解けていない問題だとか。
鏡で左右が逆になる問題の自分なりの理解では、次の3点がポイントです。
* "左右"はある人の主観に基づく相対的な方向概念である(それに対して、たとえば"東西"はある世界の中=地球上では絶対的な方向である)
* 人は鏡に映る像に自分の感覚を反映させてしまう
* 人は見た目が左右対称にできている
北側の壁に貼ってある姿見の鏡を前にして北向きに立ち、右手を上げると、鏡の中では左手を上げているように見えます。
でも、東西南北という絶対的方位で考えると、自分は東側の手をあげて、鏡の中の自分も東側の手をあげています。逆転していません。
実際、自分の右手に小指が無いとすると(左右対称の崩れ)、鏡の中でも小指の無い方の手を上げています。
つまり、鏡の中の自分が左手を上げているように感じるのは、自分が前を向いたときの左右という相対的方向概念と、鏡に映る像の観点に立ってしまう錯覚と(鏡の中の自分はこちら側=ほんとの自分とは反対方向が"前"になっている)、人間の体が左右対称であるための錯覚が組み合わさっての認識の結果だといえます。
さて、月の満ち欠けの左右逆転ですが、これも、東西南北という地球上での絶対方位で考えると、北半球でも南半球でも逆転はしないはずです。
北半球でも、新月のあと、右側、つまり西側から光りだし上弦の月となります。南半球でも同じく、西側から光りだすと思われます。ただし、南半球では太陽や月は北にのぼるので、北に向かって西側、つまり左側から光りだすということになります。
絶対的方向で考えると同じ方向なのですが、自分が向いている前の方向が北と南で異なるために、相対的方向概念である"左右"が逆に感じてしまうということなのだと思います。月もまた左右対称に見えるものです。
人間の認識やその認識を表す概念の曖昧さ、といったところを突っ込んでいくことから哲学が始まるんだろうなぁと思いました。
ちなみに、自分は南半球に行ったことがないのでうそを書いているかもしれません。その場合はすみません。
参照リンク
ことば・その周辺:鏡像における左右反転という現象について
2007年1月7日日曜日
"左右"という概念:南半球での月の満ち欠け
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