2008年8月13日水曜日

レコード店と共同体的記憶

去年まで、渋谷にCiscoというレコード店があったのですが閉店になりました。HouseやTechno、Hip-hopのアナログ盤を専門に扱うレコード店でした。
最近、YouTubeをあさっていたら、その閉店前夜のゲリラライブの映像がありました。SEEDAがrapしてるようですね。



閉店当日の様子は、スペアザのblogで。
閉店大パーティー

どうして今更これを取り上げたかというと、フロッグマン・レコーズやエレ・キングのKen=Go→さんのblog記事を見つけたからです。

消えゆく宇田川町の灯り CISCO全店クローズ

このblogを読んで書きたいことが2つ。

まず、ここ数年で急速にプロのDJたちもアナログ盤を使わなくなってきているという事実。みんなデジタル化していっているようです。
CDでさえもいまや斜陽産業になりつつあるのですから、当然と言えば当然なのかもしれませんが。

そして、もう1つ。

指摘されているとおり、(マニアックな)レコード店にはレコードを売るだけではなくて、コミュニティを形成するという重要な役割があったのでした。

レコード店の壁に書かれている有名DJのサイン、店にかかる音楽、ちらし、そういうものを通じて所属意識とまではいかないまでも、共通の共同体的記憶を共有するという機能を果たしていたのでした。

以前、「マスメディアと共同体的記憶とYouTube」にも書きましたが、昨今急速に進むデジタル化は、人々から共同体的記憶を奪っていっているように思えます。

共同体的記憶を形成させるメディアとしては、マスメディアもそうですし(力道山、巨人戦、金どん)、建築や都市も共同体的記憶を作るメディアだと言えます。つねにそこにあるものとして、多くの市民の目の前に存在するものとして、建築が一種の象徴となり、市民の共同体的記憶に役立っているのです。たとえば、わかりやすいものでは広島の原爆ドーム。そんな大きなものでなくても、神社や寺、ふとした街角や公園にも、(複数人がそこで遊んだなぁというようなレベルのものでも)共同体的記憶は宿るのです。
Ciscoレコード店もまさにこのような建築的な共同体的記憶の機能を果たしていたのでした。

たしかに、デジタル化/オンライン化により、SNSなどのWeb2.0的な新たな共同体形成機能が提供されていますが、それがマスメディアや建築による共同体的記憶にとってかわれるようなものになるのでしょうか。
それとも、今後、共同体的記憶というものはなくなっていくのでしょうか。あるいは、まったく別のものとなっていくのでしょうか。共同体的記憶のないところに、人々が共有できる"常識"や"共通感覚"というものが成り立ちうるのでしょうか。

グローバリズムは世界の都市を同じ景観にしていっているという批判があります。たしかに、どこに行っても同じような店があり、同じように人々が生活するようになってきています。
逆に言うと、グローバルな共同体的記憶や共通感覚が形成されつつあるとポジティブに捉えることができるのかもしれません。はたしてそれが可能なのかは疑問ですが。

そういえば、まだ十五歳くらいのころの奥菜恵を見たのも渋谷のCiscoでした。ほんとうにキラッキラと輝いていました。初めて芸能人のオーラを感じた瞬間でした。
オンラインではこういう体験も難しいですねぇ。

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