『政治学の名著30』
佐々木毅
ちくま新書
『歴史学の名著』と同時期に出た本です。
取り上げられている本は、東西時代問わず多岐にわたるのですが、なんとなくですがそこに書かれていることは次のようにまとめられるかもしれません。
1.理想郷=ユートピアを想定する
1-(1)西洋では、古代ギリシャの都市国家がユートピアかそれに一番近いものとして想定されます。そこでは、市民による直接民主制が実現されており、共同体的強さ、公平さ、繁栄が実現されています。(場合によっては古代ギリシャ都市国家と明記されていませんが、実際に読むと限りなくそれに近いと解釈できます。)
1-(2)東洋では、古代中国国家がユートピアかそれに一番近いものとして想定されます。そこでは、人徳のある王による王制が敷かれ臣民のための政治が行われています。
2.ユートピアを論理的に根拠づける
とくに西洋では、ユートピアの論理的根拠付けが行われます。それこそがその政治本の一番の読みどころの場合も多いです。論理的根拠付けとしては、権利とその委託による国家、慣習と法を実現する国家、理性の要請による国家、歴史の運動の中の国家等々、国家や政体の根拠付けや意味付けがなされます。いずれにしても、一般市民によるコミューンであったり、一般意思による支配であったり、ある前提に基づく仮想実験であったり、ある種のユートピアを想定していると言えます。
東洋では、そこまで抽象化されず、歴史の中に理想を見、倫理や徳を重視してユートピアを形作っているようです。
3.ユートピアと比較して現実を評価する
現在の政治状況をユートピアと比較して評価します。ユートピアに達していないと批判するだけではなくて、ユートピアへの道のりとして描写したり、ユートピアをより現実に引き寄せるようなことも行われます。
とくに西洋政治学本ではそうですが、近代以降の一部の血族だけが有利な権利を持つ状況から一般市民全員の権利を尊重するという流れは高く評価されつつ、他方で、一般市民全員の政治参加、直接民主制には危険性がありそれをどう回避するのかというところに苦心しているということが読み取れます。
具体的には、ルソーが市民の意思を一般化した一般意思はぜったいに正しいとしつつ、その一般意思を制御するための専門機関を想定しだしたり、トクヴィルや多くの政治思想家が一般市民の権利を尊重しつつ実際の政治を代行する貴族階級の存在を評価したりしています。
市民全員参加の政治では、「多数者の専制政治」が起こりえます。衆愚政治と呼んでもポピュリズムと呼んでもよいのですが、多数者が賛成すれば政治的に正しくない政策が実行されうるという危険性です。20世紀の民主主義はファシズムなどによって痛いほどこの危険性を体験していますが、18世紀19世紀の政治学者も近代の権利の拡大を最大限に評価しつつすでにこの危険性を問題視していたわけです。
インターネット時代においても、「多数者の専制政治」はまさに今ここにある問題です。『みんなの意見は案外正しい』にも書かれているように、単純に人が集まるだけだと集団極性化が起こり正しくない選択をしてしまう可能性が高まります。市民全員に権利を広げていって結果として市民から権利が取り上げられ一部の人に集中してしまったという結果が十分ありえますし実際に起こっています。
だからといって、一部の人に権利を独占させておくというのも間違いです。いくら知識や見識がある人でも間違いえます。完璧でぜったいに間違わない人間が存在すれば話は別ですが、そういう人間が存在しえない以上、ある政治問題を参加者全員で判断するのか一部の賢人で判断するのかどちらが正しい結論を出すかはわかりえません。
そこでよく出てくるのが、"教育"です。一般市民を教育することで、全市民参加による判断が間違わないようにしようというものです。これは言ってみれば全員を賢人にするということです。
ところが、賢人でも間違いうるというのは先ほど書いた通りですし、現実問題として全員が賢人になることはできませんしありえません。ある観点で見た場合、賢人とその正反対の間にグラデーションを作るように人々が位置するというのが現実です。逆に、その方が多様性が維持されていて正しい姿だと言えます。
ヒントとしては、ここでも書いたように、民主主義が今回自分の意見が採用されなかったとしても次回採用されるかもしれないという希望を持たせる制度であること、したがってこの制度は維持推進されなければいけないこと、そのために各個人の多様性、独立性、分散性をどう維持するか、そしてそこからの意見をどう集約するかの仕組みをいかにうまく作るかがポイントに思えます。多くの政治思想家もそこに腐心してきているように思えます。
この問題は、政治学や政治思想によって解決されたわけでもありませんし、おそらく解決しうる問題でもありません。問題を整理し精緻化するのには貢献するとしても。
いずれにせよ18世紀19世紀から近代社会は同じ問題を抱えてきているのであり、インターネット時代でも同様です。その意味で、先人の思考を参照するというのは大きな意味を持つでしょう。
2007年8月14日火曜日
民主主義の希望のために:『政治学の名著30』
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