2007年6月5日火曜日

歴史学という普遍の学問:『歴史学の名著』

歴史学の名著30』山内昌之、ちくま新書、2007

イスラム研究家、国際関係史研究家の山内昌之さんが選ぶ歴史の名著30選です。

いわゆる研究書としての歴史学の名著というよりも、一般の読者を意識した選抜となっています。歴史学的意義よりも読んでのおもしろさに重きをおいているようです。
歴史書が問う意義や、叙述の華麗さ、歴史の中の人間や社会を見つめる視線のおもしろさといったものに重点がおかれているように思います。
フーコーの『監獄の誕生』なども選ばれています。

こういうガイド本を読むと、読んでみたい本がたくさんありますねぇ。

そんな中でも、アイザィア・バーリンの『父と子』が選ばれていて、次のような引用がありました(歴史学の名著としてバーリンが選ばれるのもなかなかおもしろい選択です)。現代の自由主義の停滞というか、すべてが自由になってしまい何も主張できない懐疑主義的状態に陥りがちなわれわれ世代の苦悩をすでに言い表して妙です。

中道の左寄りに位置し、右翼の人相の悪さにも、左翼のヒステリー・非常な暴力・使嗾煽動にも、等しく嫌悪を感じている、この少数で自己批判的で、常に極めて勇敢とは言えぬ一群の人びとは、そう反応するのだ。彼らの祖先たち、およびその伝記執筆者トゥルゲーネフが感じたように、彼らもまたぞっとすると共に強く心を惹かれる。左翼の狂信者たちの激烈な非合理には怖気をふるうものの、さりとて、これら若者や勘当息子を代表すると称する連中、貧困者や社会的に職を奪われまたは抑圧されている人びとのチャンピオンたちを、そっくり一まとめに拒否してしまう覚悟も未だできていない。これが、現代に自由主義の伝統を受け継ぐ者の、われながら意に満たぬ、時には苦渋にみちた立場であることは、言うを俟たぬであろう。

バーリンによれば、トゥルゲーネフに倣って、このような自由の停滞状態は避けて通るべきではなく、あえて引き受けて、教育を、理性を、信じるしかないのだ、としています。

彼は明瞭な脱出路は一切示さなかった。ただ漸進主義と教育とを、ただ理性のみを、提出したのである。チェホフもかつてこう語っている。作家の任務は解決を提供することではない、ただ、ある一つの状況を忠実に描き、問題の諸相を公正に示して、読者にもはやこの問題は回避し得ぬと思わせることだ、と。トゥルゲーネフの提出した疑念のかずかずは何もなお終熄してはいない。道徳的に敏感で正直な、知的に責任をとる人間が、世論の鋭く両極化する時に当たって立たされるディレンマは、彼の時代以後、更に激しさを増し、全世界に拡がっている。当時未だ完全にヨーロッパ的とはほとんど看做されなかった国における、「教養ある一部」と彼には思えた人びとの苦境は、現代ではすべての社会階級に属する人たちの状況となっている。彼はそれを最初期において認識し、類いなく研ぎ澄まされた視線をもって、詩情と真実とをこめてくっきりと描いたのであった。

トゥルゲーネフ的態度は、おそらく正しい態度なのでしょうが、同じ態度は、当時トゥルゲーネフが味わった苦悩を現代において味わうことになるのかもしれません。しかし、『父と子』を歴史学の名著として選んだ山内さんは、あえてそれを主張したいのでしょう。
いずれにせよ、いつの時代にも自由にまつわるこの苦悩は存在するのであり、あまんじて引き受けるにせよ、そこから一歩踏み出すにせよ、自由であることの意味については、重々考えていくべきでしょう。

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