2008年3月27日木曜日

死と抽象化

最近、(おそらく個人的にだと思いますが)新聞やネット記事で"死"について扱った物を読む機会が多かったです。

たとえば、本は読んでませんが、
NBonline:烏賊から学ぶ平和〜『イカの哲学』

中沢新一さんの新書の紹介です。イカと平和の結びつきという意外性がおもしろいですが(中沢新一さんお得意ですが)、キーテーマは、"死"をどう意識するのかということだと思います。"死"を意識させないようにしがちな近代社会の功罪が、イカと平和にからめて語られているようです。

これをはじめとして、最近読んだ記事では、現代においては"死"が日常生活から遠ざけられ、その結果、"死"にまつわる戦争や犯罪が抽象的に語られ、極論に走ることが多いという批判が多かったです。

正しいとは思いますが、抽象化(結果として原始的な生命現象からの隔離)は現代人の最高のツールなのであり、このおかげで高度な社会生活が営めています。
なので、そこのバランスをどう呼び起こすのかということが重要に思えます。

また、まだ読んでいませんが今年『死刑』という本を出した森達也さんへのインタビュー記事もありました。
(まだ読んでいませんが)バランスという意味で、興味深い内容になっているように思えました。

NBonline:誰かを「死刑」にすると言えますか〜『死刑』森達也さん【前編】
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080324/150968/

NBonline:日本人は「死刑」をなぜ支持するのか?〜『死刑』森達也さん【後編】

「死刑」という事態に対して、揺れる当事者、関係者、被害者へのインタビューからなる本です。"死"というものに対峙して揺れざるをえない。それは死刑賛成論者も反対論者も同じでしょう。

「死刑」は、アクチュアルな"死"から切り離した社会的機能として論じることができる、そして論じなければいけない一方で、どうしてもアクチュアルな"死"を呼び起こしてしまうというところが特異な社会的機能なのであり、難しい問題なのだと思います。

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