2007年2月2日金曜日

インターネットでの情報の集約実現のための真っ白でありえないプラン

【このエントリの言い訳】
前エントリで、インターネットが社会へ影響を与えるためには、情報の集約方法が、そして、(3)から(2)へ、(2)から(1)への回路をどう開くかが重要である、と書きました。同時に、自分にはそのアイディアが無いとも書きました。

斬新かつ革命的なアイディアはもちろんありません。が、稚拙ながら私なりの考えはないことはないです。恥ずかしながら、ここではそれについて書いてみたいと思います。
もちろん、正しいわけでも実現しそうなわけでもありません。むしろ、ありえないとも言えます。が、まずは自分なりのあるべき論として書いてみます。
「ありえね~」というご批判もどうぞ。


【投票による情報の集約】
インターネットやブログでの情報の集約の最善の方法の1つは投票だと考えています。多数からの投票により、重要だと思われる情報が見えやすい位置にくるというものです。diggなどのサイトですでに実現されているものでもあります。
もっとも民主主義的であり、長期的に見ればもっとも公平な手法です。株式市場における株価が長期的には企業価値を表しているのは、株の売買という一種の民主主義的投票のおかげだと考えています。

ただし、民主主義的投票は、短期的にはときには暴走します。ファシズム政権を選んでしまったりします。株式市場も短期的にはバブルを引き起こしたりします。
いわゆる集団極性化と呼ばれる現象です。

こうした短期的な集団極性化を避けるためには、投票主体の多様性や独立性が重要となります。

また、今回は取り上げませんが、長期的には公平を実現できるというものなので、とくにニュースなど速報性が重要なものについてどこまでうまくいくかは難しいところもあるとは思っています。


【投票の前提としてのアイデンティティ】

投票主体の多様性や独立性を実現するためには、投票主体がアイデンティティをもつ必要があります。アイデンティティのない主体は、あるときはこちらの意見、別のときはあちらの意見と、意見が定まらずにいるような存在です。それは一見多様性を実現していますが、周りの意見に流されだすと一気に同じ方向を向いてしまう非常に危うい多様性です。独立した多様性を実現するためには、主体一人一人がアイデンティティを持ち、自分の意見に一貫性を持ち、社会に対する責任を持つ必要があります。

こうした主体をインターネット上で実現するためには、インターネット上でのアイデンティティを実現しなければなりません。
一番手っ取り早くよい方法は、インターネット上でも実名で活動することです。われわれは名前を持つことで自分のアイデンティティを一貫して保っています。社会的責任も負っています。

実名ではないにしても、固定ハンドルネームで活動することによって、ある程度のアイデンティティは確立できるとは思います。


【インターネットでの情報の集約の実現方法(夢物語)】
そこで、たとえば、pubドメインのような実名または固定ハンドルネームで活動できるドメインを作り、そのドメインではアクセス時に必ずVeriSein (ベリザイン:Seinはドイツ語で「存在」。ここではただのシャレでつけた仮名サービスです)で認証されて個人が特定されるようにするのはどうでしょうか。そして、pubドメイン内に、pubドメインのYahoo!やブログを作ります。pubドメインのYahoo!にアクセスすると自動的に認証されて実名もしくは固定ハンドルネームでサービスを利用することになります。

VeriSeinでは、実名の公表度合いを設定することができ、pubドメイン内のあるサイトでは実名は隠し、別のサイトでは実名を出すなどもできたり、自分が認めた人にはハンドルネームと実名の紐付けを公開することができます。が、実名を明かさないときも、少なくともVeriSeinによってハンドルネームと個人の紐付けが担保されています。

またpubドメイン内で詐欺行為やルール違反を犯すと、現実の個人が罰せられます。

こうしたpubドメイン内では、オークションもe-Commerceもオンライン・バンキングも安心して利用できます(少なくとも現実世界と同程度にという意味ですが)。diggのようなニュース投票も詐欺的行為無くある程度信用できます。相変わらずブログでは自分の好きなことが書けますが、故意に炎上するようなコメントが書かれることも少なく、無関係なサイトからのトラックバックなども発生しません。
友人や同僚とディスカッションしたいときには、認証サイトで実名でディスカッションし、非認証の自分のブログに書き込んだ人が誰か確認したいときにはVeriSeinにアクセスし、自分に公開されていればその人が誰かを知ることもできます。

こういうpubドメインが実現すれば、自由かつ責任を持ったインターネット上のバーチャル社会が形成でき、個人の意見が信頼性を持って社会とリンクしていくのではないでしょうか?

問題は、pubドメインやVeriSeinを誰が運用するのかということですが、これはpubドメインに複数の民間業者が参入できるようにして、人々が自由にpubドメインを変更できるようにするしかないでしょうね。

こういう案はどうでしょう?
多くのインターネット・ユーザにとって、デメリットよりもメリットのほうが多いと思うのですが。
2ちゃんねるのようなところで井戸端会議したいのであれば、pubドメインから出ればもう今までのインターネットと同じです。
pubドメイン内では、安心して各種サービスを利用できますし、個人が発信した情報が信頼しうる投票によって社会的力を得ていくこともできます。

とくに初期からのインターネット・ユーザほど、身元を明かしてインターネットにアクセスすることに抵抗を感じるようですが、ここは今までの慣習に囚われず、ゼロベースで考えてみてください。身元を(少なくとも第三者に)明かしてインターネットにアクセスした方が実はよくないですか?


【夢物語は夢の物語にすぎないけれど】
でも、そういうのは(おそらく)ありえない。

なぜなら、SSQ氏が常日頃言うように、人間は個人としても集団としても社会としても表と裏を持っており、その中間グレーゾーンも持っているからです。表裏はそんなにはっきり区別できるものではありません。

インターネットはエロで普及したといわれています。マスコミもまた、エログロナンセンスを好み、趣味の悪いワイドショーを垂れ流します。一般大多数がそれを楽しんでいるというのも事実です。テロップだらけで騒がしいだけの番組を楽しみ、コメンテーターの情緒的発言に憤怒するのもまた一般大多数です。

過去の歴史を見ても、綺麗な夢物語、言ってみればユートピアはけっして実現されずに来ています。たとえば、武者小路実篤の「新しき村」。理想的な農村生活ですが、けっきょく一部の人しか賛同しませんでした。武者小路実篤自身も数年間しか村に住んでませんし、晩年はぶっとんだ作品を書いたりもしていて、いろんな側面のある人物です。やっぱり、アイデンティティをもつ人間であっても、一色に塗りつぶすことはできないのです。白から黒までカラフルなグラデーションを描いているというのが真実でしょう。

そういう人間を表象するのにデジタルは弱いと思います。
アナログの場合は、境目が曖昧なので、必然的にグレーな部分を含みますが、デジタルの世界では個人を特定しようとすればはっきりできてします。変装などもできません。逆に匿名にすれば徹底的に匿名になってしまう。指紋なども残りません。
こういうデジタルなインターネットの世界でどうグレーゾーンを含むようなよりよいあり方を実現していくか、というのは非常に難しい問題です。

他方で、ありえないと投げやり開き直ってしまってはどうにもなりません。われわれ一般ピープルは俗な人間なのだから俗な世界に生きていればいいんだというような諦念は起こりがちですが、それには個人的には賛同できません。
先ほども書いたように、人間は白から黒まであるのです。つまり、"白い"部分もあるのです。白い部分だけではうまくいかないのはそのとおりですが、だからといって黒い方だけでいいというわけではありません。

遅々とした歩みながらなんとか問題を解決し少しずつ前進してきているのも人間の歴史です。自然科学のようにスパッと道が切り開けるわけではありませんが、白と黒の狭間でもがきつつも、(よくない)現状を変えていくことが重要だと思っています。
そのためにも、恥ずかしながら、真っ白な考えを書いてみました。突っ込みどころ満載だと思いますが。

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