2007年2月17日土曜日

『「近代日本文学」の誕生―百年前の文壇を読む』

「近代日本文学」の誕生―百年前の文壇を読む』 坪内祐三、PHP研究所
を読みました。
明治32年(1899)から39年(1906)までの文壇の動きを毎月の出来事として描いたもので、当時の文学の動きがよくわかりおもしろかったです。

前世紀末から日露戦争勝利後の時期です。
この頃は、詩や小説を含む文芸誌がそれなりの社会的影響力を持った時期でもあります。
発行部数は今の売れ筋雑誌と比べればはるかに少ないですが、あるいはそれがゆえに社会的影響力は大きかったと言えるでしょう。つまりは、一億総中流な社会で多様な趣味嗜好をもつ集団の集まりというよりも、ある程度共通の土台を持つ全体からすると数の限られた人たちが社会的影響力を持ち、そういう人に文芸誌が読まれていた、ということなのかもしれません。

薩長中心のある種の貴族政治(特権集団による政治)による近代化と富国強兵策が実を結び日露戦争勝利で近代列強の仲間入りをしていく時代と、それ以降の国民の形成と大衆化による民主主義政治の成立と軍国主義化が並行的に進行する時代の狭間に、文学がどのように変容していき、文壇=知識人がどのようにペンを武器に発言していたのかの記録とも言えます。

文芸誌(ペン)が力を持ったような時代の中でも、「昨今の文壇のたるみ具合はなっとらん」という批判があったり、当時は当時なりに苦悩していた有様がよくわかります。

この時代は、日本の浪漫主義文学の美麗体が古臭くなり、自然主義文学が勃興してきた時期でもあり、夏目漱石が『吾輩は猫である』の連載を始めた時期でもあります。その意味で、文学史的にも重要な時代です。

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