『闘うレヴィ=ストロース』渡辺公三、平凡社新書
昨年(2009年)10月に100歳という長寿を全うして亡くなった文化人類学者レヴィ=ストロースの生涯と思想に迫った本です。若き日のレヴィ=ストロースを知らなかったので、非常におもしろかったです。
レヴィ=ストロースは、サルトルと論争したことでも有名ですが、若き日(戦間期)は政治色の強い思想青年で、当時の社会党政権にも近いところにいたようです。が、その道に諦めをつけてブラジルへ渡航します。そこで、文化人類学のフィールドワーカーと転じ、現地で長年原住民と生活をともにします。
その地で、西欧中心主義的な考え方を徹底的に相対化し、後に"構造主義"として一世を風靡する思想の基盤を形成したようです。
フランスに帰国後は、構造主義者として活動すると同時に引き続き北米インディアンの神話研究を行います。西欧の主体と論理中心の世界を相対化しうる世界として、神話の世界を梁歩し、より普遍的な思考の形態を模索したと言えます。
筆者が冒頭と途中で引用してるレヴィ=ストロースの写真とその解説が的を射ています。動物や原住民との心を許した距離感(親近性)と一方で常に冷静客観的な目の底。まさに、レヴィ=ストロースの研究姿勢を示していると納得でした。
2010年1月30日土曜日
構造主義のミナモト
2010年1月21日木曜日
京都と国家権力
自分は京都生まれの京都育ちですが、まったく同感の記事が同郷人である池田信夫さんから。
池田信夫blog:京のお茶漬け
京都生まれだと言うと、多くの人からうらやましがられるのですが、それ自体はありがたいことなのですが、正直住みやすい街ではないです。裏表があるので非常にめんどくさい。「もっといてはっていいんですよ」と言われると帰らないといけないし、「そんなんしてもらわんでもけっこうですのに」と言われるとなんか贈り物をしないといけない。
そういうのが奥ゆかしくてよいという人もいるとは思いますが、自分は、そういうのが嫌で二度と京都には住みたくないです。
観光にはいい街だと思いますけどね。
また、先の記事にあるとおり、少なくとも自分が小さいころまでは京都はずっと府知事が共産党だったのですが、とくに公教育(日教組)を中心にまっかっかでした。小学校の先生方は、運動会に国旗が掲げられようとすると校門に立て看を出して抗議するし、駅で共産党のビラ配りもしていました。共産党の街宣車もうるさくてしょうがなかった。
一方で、右翼も強くて、あとやくざ屋さんも非常に身近な存在でした。家の並びにも事務所があったし、ソーシャルネットワークで言えば何人目かには必ずやくざ屋さんにつながりました(笑)。
部落や在日の問題も色濃く残っていて、親戚で集まるとなぜか必ずそういう話題になって、彼ら(親戚たち)は日本人であることの優越感に満足しているのでした。そういうのを、子供ながらくだらないとずーっと思ってました。
というように、小さいころからなんとなくそういう社会問題的なことを考えさせられたという意味では京都に育ってよかったですが、東京に出てきてからの自由の風に浸ると、もう二度とああいう世界には戻れないなぁと感じています。
2010年1月3日日曜日
2010
あけましておめでとうございます。
2009年後半は怒濤の忙しさでさっぱりblog更新できていませんでした。
そもそも世間では、blog熱冷めちゃってる感はありますね。
自分は引き続き読んだ本のメモを書いていこうと思ってはいますが、どこまでできるかは。。。
さて、2010の英語での読み方の記事があったのでご紹介。
TechCrunch:“2010″の英語の正しい読み方はこうだ–年が明けるまでにおぼえてね
”twenty ten”だそうです。
"two thousand and nine"のような読み方をするのはゼロ年代だけなのだとか。