GIZMODE:ホンダのセグウェイもどき一輪車!?
これはすごいというか、おもしろいですね。
どういう仕組みで立ったまま静止し、またどういう仕組みで動くのか気になります。小径車輪と大径車輪の回転の組み合わせ?
東京モーターショーに出展されるそうです。
こういう新しい発想の乗り物の開発はおもしろいでしょうね。
2009年9月25日金曜日
ホンダの新しい発想の乗り物
2009年9月23日水曜日
見ることと,行動することと、認識すること 〜 ミラーニューロン
『ミラーニューロン』
ジャコモ ・リゾラッティ、コラド・シニガリア
紀伊國屋書店
を読みました。
ミラーニューロンとは、他人がある行為をしているのを見たときに、自分自身が同じ行為をしているときと同じように活性化するニューロンのことです。
従来の大脳生理学では、(視覚)感覚系と行動系でニューロンや伝達経路は別々にあると考えられていました。したがって、他人の行動を見たときに活性化するニューロンと、自分が行動する時に活性化するニューロンは別々に存在するはずでした。
ところが、最近の様々な実験結果から、従来考えられていたほど感覚系と行動系のニューロンの区別ができないということがわかってきたようです。そして、他人の行動を見るという感覚系と、自分の行動という行動系が、同じニューロンの活性化と関連していることがわかってきたということのようです。そのニューロンがミラーニューロンと呼ばれて様々な観点から注目されています。
具体的には、他人のある行動を見たときに、従来は、視覚野で捉えられた後に感覚系のニューロンを伝わって前頭葉でその行動の意味が判定され、その結果を受けて行動系のニューロン(運動野)が刺激されて自分の行動が起こると考えられていましたが、実際には、視覚野で捉えられたイメージはパターン認識された後、そのイメージに関連する運動野周辺のニューロンで運動と結びつけて認識されるというものです。したがって、他人の行動は、前頭葉の論理的認識で認識されるのではなく(されるより前に)、運動野周辺のミラーニューロンによって自分の行動と結びつけられつつパターン認識されているということになります。
こうした働きから、ミラーニューロンが、他人の行為の意図の理解、さらには他人への共感、コミュニケーション、言語活動にもかかわっているのではないか、という推論が展開されます。
この本にも少しだけ引用されているメルロー=ポンティの間主観性をはじめとして、哲学者たちが唱えてきた主観や認識論のあり方、さらには心理学者や社会心理学者が臨床実験で明らかにしてきた他人理解の仕組みといったものが、いよいよ大脳生理学、解剖学的に根拠づけられていっているようにも思います。
他方で、この本を読む限り、ミラーニューロンが即共感や、まして言語活動に結びつくかというと飛躍が大きく、まだまだ研究途上という印象も受けます。
いずれにせよ、脳という機関が、人間にわかりやすい二分法できれいに機能分割できるわけではなく、自律した超並列処理が複雑に絡み合い、結果として総合的に秩序だって機能しているように見えるということ、その一側面が感覚系と行動系を紐づけるミラーニューロンであり、そうした脳機能の解明の端緒に立っているということは言えそうです。
それもこれも、「世界を分けてこぼれ落ちるもの」で書いたように、脳を分けていった結果見えてきた、分けられないものなのかもしれませんが。
ジャコモ ・リゾラッティ、コラド・シニガリア
紀伊國屋書店
を読みました。
ミラーニューロンとは、他人がある行為をしているのを見たときに、自分自身が同じ行為をしているときと同じように活性化するニューロンのことです。
従来の大脳生理学では、(視覚)感覚系と行動系でニューロンや伝達経路は別々にあると考えられていました。したがって、他人の行動を見たときに活性化するニューロンと、自分が行動する時に活性化するニューロンは別々に存在するはずでした。
ところが、最近の様々な実験結果から、従来考えられていたほど感覚系と行動系のニューロンの区別ができないということがわかってきたようです。そして、他人の行動を見るという感覚系と、自分の行動という行動系が、同じニューロンの活性化と関連していることがわかってきたということのようです。そのニューロンがミラーニューロンと呼ばれて様々な観点から注目されています。
具体的には、他人のある行動を見たときに、従来は、視覚野で捉えられた後に感覚系のニューロンを伝わって前頭葉でその行動の意味が判定され、その結果を受けて行動系のニューロン(運動野)が刺激されて自分の行動が起こると考えられていましたが、実際には、視覚野で捉えられたイメージはパターン認識された後、そのイメージに関連する運動野周辺のニューロンで運動と結びつけて認識されるというものです。したがって、他人の行動は、前頭葉の論理的認識で認識されるのではなく(されるより前に)、運動野周辺のミラーニューロンによって自分の行動と結びつけられつつパターン認識されているということになります。
こうした働きから、ミラーニューロンが、他人の行為の意図の理解、さらには他人への共感、コミュニケーション、言語活動にもかかわっているのではないか、という推論が展開されます。
この本にも少しだけ引用されているメルロー=ポンティの間主観性をはじめとして、哲学者たちが唱えてきた主観や認識論のあり方、さらには心理学者や社会心理学者が臨床実験で明らかにしてきた他人理解の仕組みといったものが、いよいよ大脳生理学、解剖学的に根拠づけられていっているようにも思います。
他方で、この本を読む限り、ミラーニューロンが即共感や、まして言語活動に結びつくかというと飛躍が大きく、まだまだ研究途上という印象も受けます。
いずれにせよ、脳という機関が、人間にわかりやすい二分法できれいに機能分割できるわけではなく、自律した超並列処理が複雑に絡み合い、結果として総合的に秩序だって機能しているように見えるということ、その一側面が感覚系と行動系を紐づけるミラーニューロンであり、そうした脳機能の解明の端緒に立っているということは言えそうです。
それもこれも、「世界を分けてこぼれ落ちるもの」で書いたように、脳を分けていった結果見えてきた、分けられないものなのかもしれませんが。
2009年9月9日水曜日
非効率の民主的メリット
以前、「官僚内閣制と政治任用」を書きました。
モジックス:官僚を「公営シンクタンク」として使う、日本の安上がりな政治システム
http://mojix.org/2009/09/03/japan_thinktank
に、日本の官僚内閣制が実は非常に効率的なもので、逆にアメリカの二大政党制と政治任用のシステムは効率の悪いものだ、という重要な指摘がありました。
にもかかわらず、効率性を犠牲にしたアメリカのシステムの方が民主的にすぐれたもので、成熟社会にふさわしいという指摘でもあります。
そして最終的には、日本の国民がすべてを官僚に任せっきりにしてきた受け身の政治が真の問題なのだと書かれています。
なるほどと思いました。
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