2007年4月17日火曜日

物語としての歴史:『明治維新を考える』

明治維新を考える』三谷博、有志社

を読みました。

明治維新は、支配階級である武士階級自体が維新を実行し、しかもその維新によって消滅するという「階級の自殺」が起こった特異な革命である、というのが著者の主要テーマのようです。

その解明のために、"複雑系"などを持ち出すのですが、その説明がこなれていないです。

歴史を"複雑系"で語るというのでどんなもんかと読んでみたのですが、それは本書中のごく一部だけであり、しかも非常に中途半端なもので残念でした。

歴史は、多かれ少なかれ"物語"なので、ヘーゲル-マルクス主義的に階級闘争として捉えようが、アナール学派のように構造として捉えようが、最終的には物語らないといけない、物語ってなんぼだと思います。

たとえ分析手法として複雑系が使えたとしても、けっきょくは物語になるので、その中で複雑系分析の意味がどこまで活かせるのかは疑問です。

アナール学派にしても、物語の語り手として優れていたために、構造的な分析がいきてきたように思います。

複雑系分析をいかした物語り方というものを開発していかないとうまくいかないのでしょう。


このあと、トルコの小説(オルハン・パムクの『雪』)を読んだのですが、トルコも、アタチュルクという近代トルコ建国の父のもと、急進的な近代化を推し進めたのであり、文字をアラビア文字からアルファベットに変更したり、政教分離を強制したりと、日本の明治維新以上ともいえる改革を実行したのでした。

ということを考えてみても、日本の明治維新が世界の中で特別に特異なわけではなく、それぞれの近代化に特異性があるんだということがよくわかります。

それらを普遍的に物語れるのかはわかりませんが、東アジアについても、ブローデルの地中海のような物語が現れるといいですね。

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