『 ヒトゲノムを解読した男 クレイグ・ベンター自伝』
J・クレイグ・ベンター
化学同人
3つの観点で非常に面白かったです。
- 破天荒な個人の伝記(60年代カリフォルニア、ベトナム戦争従軍、医学生物学世界での冒険等々)
- ヒトゲノム競争で悪役を演じてきた側の言い分(ベンチャー企業でヒトゲノム解読に望んだため、大学や政府機関から公共性に欠けると多くの批判を受けてきた)
- 部分最適と全体最適、市場主義と公共性といった観点
2000年6月26日に、クリントン大統領とブレア首相、そしてNIH(アメリカ国立衛生研究所)のコリンズ博士、セレーラ社のこの本の著者であるベンターさんの4人で、ヒトゲノム解読宣言が行われました。
この歴史的共同宣言の背後では、研究者間の熾烈な競争、もっと言えばえげつない誹謗中傷合戦が繰り広げられていたのでした。
自分は5年ほど前に、
『ヒトゲノムのゆくえ』
ジョン・サルストン、ジョージナ・フェリー
を読んでいて、そこでは、線虫学者だったサルストンさんが、どのように資金をかき集め、世界中の研究者と協力協調し、サンガーセンターというゲノム解読センターを運営して、この偉業を達成したのかが描かれていました。非常に興味深く読みました。
そこに悪役同然として描かれていたのが、クレイグ・ベンターさんでした。サルストンさんからすると、本来大学や公共機関が取り組んで世界の共通資産として管理してくべきヒトゲノムを、ベンターという研究者が企業に身を売って金儲けのために独占しようとしている、というような書き方でした。
そしてこの本です。
自叙伝なのでおそらく自分に都合のいいように書かれてはいると思うのですが、ヒトゲノムについて特許を取ったり非公開にしたりするつもりはなかったようで、ただ(ベンチャー)株式会社として出資者のためにある程度非公開の期間をもうけざるをえなかったことが書かれています。真相はわかりませんが、言い分としてはそういうことのようです。
なにより読んでいて興味深かったのが、もともとベンターさんもNIHに所属していたのですが、官僚主義的で、政治で予算配分が決まり、計画から実行まで途方も無い時間を要する研究環境をあっさり見限り、企業からの出資を受ける研究環境に移っていったことです。
目の前にやりたいことと成果が転がっているのに、いちいち他研究機関と調整したり予算をとるためによけいな仕事をすることががまんならなかったようです。
たしかに全体最適という意味では、他国の研究機関含めていろいろ調整して役割分担や研究進捗をあわせていったほうがいいのかもしれません。ただ、非常に時間がかかるし、けっきょく調整などにコストがかかって役割分担がうまくできたメリットを帳消ししているかもしれない。
かたや部分最適じゃないですが、一企業でどんどん進めていけば、他企業とやっていることが重なるかもしれませんがスピードが違うし、差別化のためにイノベーションも生まれたりして、結果としてコストが安く済むかもしれない。
市場主義は言ってみれば部分最適の集積でそのなかでもっとも最適なものだけが残っていくということで、公共性は全体最適のためにある程度自由を制約して歩調を合わせていくということかもしれません。
ヒトゲノム解読について言えば、ベンターさんのセレーラ社があったから解読スピードが速まったのは確実ですし、そのなかでイノベーションも起こったことも事実です。また、官僚的に凝り固まったゲノム研究領域を打破していったという意味でも非常に重要な役割を果たされていると思います。
一方でヒトゲノム情報を一企業で独占するのはやっぱり問題であり、ベンターさんは最初から公開するつもりだったとは書いていますが、大学や研究機関からのプレッシャーがあったからこそ公開されていったのかもしれません。
それにしても、これだけ研究者から非難されながらも、自分の信念をつらぬき、いろいろなリスクを抱えながら(新しい解析方法などを試しながら)プロジェクトを遂行するその行動力にはほんとうにすごいと思います。
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