2007年3月4日日曜日

国際的であるために:『右であれ左であれ、わが祖国日本』

右であれ左であれ、わが祖国日本』 船曳建夫、PHP新書

を読みました。

右翼か左翼か、保守か革新か、といったあまりにも手垢のついた概念ではなく、もっと別の概念で日本の立場を語ろうという試みです。
船曳さんは、戦国時代からのタイムスケールで、次の3つの概念で日本の立場を表現します。

* 国際日本
* 大日本
* 小日本

「国際日本」は、世界の視野で、複数の国家間での関係を重視する立場、「大日本」は、近隣諸国との関係や近隣への勢力拡大を重視する立場、「小日本」は、国内の充実を重視する立場です。それぞれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に対応するものとされていますが、けっきょく戦国時代から今まで、それぞれの立場のどれが強いかによってその時代日本の対外的立場が決まってきているとします。

また、日本に関係する主体を次の3つとしてまとめます。

* 中国
* ロシア(ソ連)
* 西洋(ヨーロッパ→アメリカ)

これらの主体との関係で日本の立場と歴史を分析していきます。

以下、この本を読んでの自分の感想です(内容の要約ではありません)。

戦後の日本が、国際日本のふりをして、実は国際連合一本槍で国際日本たろうとしたというのは重要な指摘です。他の地域では、NATOとかワルシャワ条約機構、ASEANなど、その地域の複数のステークホルダー間での調整を行う機構を設けています。ところが、日本は、国連と日米安全保障条約のみで戦後を送ってきました。安保というアメリカとの二国間条約は、国際的というよりも、太平洋を挟んだ隣国との条約にすぎません。それはまた、一種の大日本的立場だと言えます。

ということもあり、日本は国際的であることについて国連1つに命運をかけ、お金をつぎ込み、常任理事国入りしようとして失敗しました。常任理事国入りは常識で考えたら無理でしょう。5ヶ国でさえ自由が利かずにアメリカ等の国連離れが進んでいるというのに、これ以上常任理事国が増えるはずがありません。
国連は、理念としてはすばらしく、またこういう機関の必要性は高いといえますが、これだけで国際問題を解決できるかというとそういうものでもないと思います。

ヨーロッパは、何百年来の戦争と、2つの世界大戦を経て、それでもなお、経済や鉄鋼の貿易調整をする機関からEU共同体を作ってきました。同時に軍事的にもNATOを組織しています。
アメリカ大陸やアフリカ、東南アジア、太平洋地域でも調整機構が設けられてきています。
ところが、東アジア、極東地域には、そういう機構が存在せず、戦争の遺恨だけが残っています。

今回の北朝鮮問題に関する六カ国協議が、戦後初の東アジアでの調整会議かもしれないと本書では指摘されています。そこからどのような東アジアでの国際関係が発展していくのか、その中で日本がどのように立ち振る舞えるのかは重要だといえます。今のところ、中国、ロシア、アメリカの影に隠れて、「拉致問題」と叫んでいるだけで国際間"交渉"しているのかどうか怪しいところですが。

この本は、新しく提示された概念に多少振り回されている気もしないでもないですが、興味深いタイムスケールと概念枠組みで日本のパワーポリティクスを論じたものとなっていておもしろいです。

意地悪な見方をすると、もっとおもしろいのは、現実的なパワーポリティクスで論じてきて、読者からすると、日本がもっと東アジアとの関係を重視して、日米安保(憲法九条の裏返しとしての)だけでない国際関係をつくっていくべきだという結論になりそうだと思ったところで、憲法改正反対という具体論に入っていくところです。あれ?そうなの?となってしまいます。

船曳さんがあえて避けた今までの左右の議論でいくと、健全な保守主義的パワーポリティクス議論がなされてきて、最後の具体論のところでくるっと左よりの憲法反対に落ち着くところがおもしろいなぁと思いました。
船曳さんの議論を読み取ると、憲法改正絶対反対ではなく、時期尚早という風には読み取れますが。

船曳さんは、元々文化人類学者で、東大教養学部の教授です。最近、日本についての著作が増えてきています。
この本でも、大学の授業で日中戦争の可能性などを話し出すと学生の態度が変わるという逸話が紹介されています。学生にその理由を聞くと「みんな日本が悪いという左翼的な議論にはうんざりしているからじゃないか」と言われたそうです。つまり、第二次世界大戦は日本が悪かった、戦争反対、軍隊不要、という学校で習ってきた議論は、今の時代では単なるオウム返しのようになってしまっていて、真の議論になりえなくなってしまっているのではないか?と考えこのような本を書かれたんだと思います。もっともな反応だと思います。
今の時代に戦争反対と言うためには、もう一度そういうためのロジックを深め積み重ねていく必要があるでしょう。今までの繰り返しではもう通用しないのです。戦争反対を当たり前とせず、もう一度戦争反対の考えを深化していく必要があります。

 
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